総長戦記 005話 流血の226 その④
【筆者からの一言】
総長の剛腕発揮!
1936年2月26日 午後
叛乱は潰えた。
全てはこの日の朝に始まり朝に終わった。
僅か数時間の出来事だった。
陸軍大臣官邸を制圧し川島陸軍大臣を救出した閑院宮総長は残る叛乱軍の拠点を一つずつ潰していった。
叛乱を直接指揮した青年士官達は全員死亡。
また、陸軍大臣官邸にて叛乱軍との交渉にあたっていた軍事参議官の真崎甚三郎大将、陸軍省軍事課長の村上啓作大佐、野戦重砲兵第2連隊の橋本欣五郎大佐も官邸にて射殺された。
射殺された公式の理由としては、この者達は実際には叛乱を裏から主導しており、身柄を拘束しようとしたところ、武器を持って抵抗しようとしたため射殺したとされている。
多くの血が流された。
だが、閑院宮総長の血の饗宴はまだ終わらない。
その日の午後には閑院宮総長の名において今回の叛乱を裏から主導、もしくは協力したとして数十人が身柄を拘束され射殺された。
皇道派の大物であり軍事参議官の荒木貞夫大将も叛乱を裏から操った首謀者の一人として射殺されている。公式発表では、これも身柄を拘束しようとしたところ武器をもって抵抗した為、やむなく射殺したとされる。
朝鮮軍司令官の小磯國昭中将も同様であった。
満州事変で中心となった人物達…本庄繁、板垣征四郎、名倉栞、高橋金一、川島正、小野正雄、児島正範、三谷清、花谷正、今田新太郎、矢崎勘十、林銑十郎、神田正種……
他にも何人かの軍人や民間人が身柄を拘束される。
所謂「満洲派」と呼ばれる者達である。
日本の各地や満洲にいた者はその身柄を拘束され東京へ護送される事になった。
だが、その身柄を拘束された者達は誰一人として生きて帝都東京に到着した者はいなかった。
公式的には拘束された者全員が、移送途中に逃亡を図るか、護送中の兵士に抵抗したとして射殺されたのである。
帝都東京にいた者も同様に射殺されている。
皇道派と満洲派だけではなかった。
閑院宮総長の手は統制派にも伸ばされた。
第4師団長の建川美次中将、陸軍参謀本部の長勇中佐、同じく統制派でありながら226事件では叛乱軍に加担する動きを見せた田中弥大尉、第6師団で歩兵大隊長の小原重孝少佐ら何人かが身柄を拘束され後に射殺されている。
これらの者に共通するのは1931年に発生した「三月事件」「十月事件」といったクーデター事件に関与した事である。
当時は軽い処分ですまされていた者達であった。
ここまで来ると流石に陸軍内部でも閑院宮総長がどういう意図を持って動いているのか見えて来る。
それは今回の226事件を利用しての「満州事変」「三月事件」「十月事件」を起こした者達への遅まきながらの厳罰である。
皇道派、満洲派、統制派への派閥を越えての粛清であった。
拘束された殆ど全員が逃亡、抵抗を理由に射殺された。
しかし陸軍内部にその公式発表を信じる者はいない。
誰もが声を潜め総長による粛清だと囁きあった。
総長はこれらの事件にお怒りだったのだと今更ながらに噂し合った。
本来なら叛乱関係者は憲兵隊が逮捕するか身柄を拘束するのが筋である。
しかし、今回は憲兵隊内部にも叛乱軍同調者がいるとして使わず、特定の部隊に閑院宮総長から直接命令が出ていた。
帝国陸軍始まって以来の前代未聞の特例処置である。
これを皇国危急の非常事態の時であるとして閑院宮総長は押し切った。
閑院宮総長の恣意的な権力乱用ではないか、という声も内々に聞かれたほどである。
しかし、誰も声を大にして批判する事はしなかった。
我が身可愛さである。
下手に抗議でもすれば粛清されかねない空気が漂っていた。
それだけではない。
閑院宮総長の手際はあまりにも良すぎた。
前もって計画し該当部隊を把握し事前に準備命令でも出していなければ、こんなにも早く、こんなにも速やかに粛清などできはしない。
閑院宮総長はどこまで計画し、その手をどこまで伸ばすのか……
「三月事件」「十月事件」では陸軍内にあった派閥「桜会」が大きな役割を担った。
その桜会には百数十名が加盟していた。
全員がクーデター事件に関わったわけではないし既に「桜会」は解散させられている。
しかし、加盟していた過去を持つ者は、いつ閑院宮総長の手が我が身に及ぶか不安に苛まれた。
他の将官、佐官、尉官の者達も皆、この粛清の嵐が我が身に及ばずに終息するのを願うしかなかった。
皇族であり参謀総長であり元帥である閑院宮総長には誰も手のつけようがなかった。止めようが無かった。既に川島陸軍大臣は閑院宮総長の言いなりであり操り人形と化している。
皇道派の傀儡で担ぎ出された筈の閑院宮総長が今ではその思惑を超え予想外の動きを見せている。
それも力と恐怖をもって……
この日より帝国陸軍は閑院宮総長による恐怖政治により支配された……
【to be continued】
【筆者からの一言】
満洲派を始め派閥の説明に正しくない部分がありますが、史実における陸軍内の派閥をきちんと語ると長くなりそうなので、強引に簡略化しました。
この歴史では…という設定としてご了承下さい。
史実における陸軍の派閥は複雑怪奇!