総長戦記 0029話 ノモンハンのその後に その①
【筆者からの一言】
キーワードに書いてありながら、まだ出ていなかったアレがようやく……
1939年秋 『日本 陸軍参謀本部 参謀総長室』
1939年夏、満洲においてノモンハン事件が発生した。
満洲国の国境線をめぐり日ソ両軍が激突した戦いである。
戦いは国と国との総力戦に突入する事なく局地戦に終わる。
日本軍は勝利したとは言えなかったが決定的敗北も喫しなかった。
史実においては関東軍が陸軍中央の国境紛争不拡大方針の意向に反し拡大に動き、陸軍中央は渋々それを容認するという状況だった。
しかし、今回の歴史では違った。
閑院宮総長が「ここらでソ連軍の実力とやらを一度確認しておきたい」と、限定的な兵力投入を関東軍に認めたからである。
「経験に勝るものはない」と閑院宮総長が言ったとも伝えられている。
全体的に見れば、史実との違いは陸軍中央が積極的に容認するか消極的に容認するかの違いでしかなく、投入された兵力や戦況の推移、戦いの結末は殆ど史実と変わらない結果となる。
この戦いは日本軍にとり戦略、戦術上、幾つかの問題を浮き彫りにしていた。
その問題の一つの責任者が、今、閑院宮総長に呼び出されていた……
「報告書は読んだ。うまくはいかなかったようだな」
閑院宮総長の言葉には失望や見限ったというようなニュアンスは無かった。
だが、事実なだけに「関東軍防疫部隊」の石井四郎軍医大佐の苦悩は大きかった。
「関東軍防疫部隊」の設立は閑院宮総長の強い意向によって為されたのだ。
今回の失敗は閑院宮総長の面目を潰したに等しい。
「申し訳ありません。
ですが、次こそは必ずや成功させてみせます。
ですから閣下、どうか…」
そう言って頭を下げる事しか石井四郎軍医大佐にできる事は何もない。
石井四郎軍医大佐にとって幸いな事に閑院宮総長は性急な判断を下す事はなかった。
「貴官の研究を廃止したり縮小する気は無い。
最初から全てがうまくいくとは考えておらんからな。
それどころか予算を増額しよう」
「あ、有り難うございます閣下」
「これも貴官の研究に期待しているからだ」
「はい。ご期待に沿えるよう全力を尽くします」
「うむ。そこでだ。
貴官にはもう一つ研究と計画を立ててもらいたい。
これがそれだ」
そう言って閑院宮総長が出して来た書類を石井四郎軍医大佐は受け取った。
「拝見致します」
暫く書類に目を通した石井四郎軍医大佐は、これが何を目標にしているか朧気ながら察する。
「こ、これは、もしや……」
閑院宮総長は最後まで言わせなかった。
「何も言うな。軍人はただ命令に従えばよい」
「はっ。了解致しました。この研究計画も万難を排し遂行致します」
「うむ。頼むぞ」
こうして「関東軍防疫部隊」は、新たな計画に取り組む事になる。
「関東軍防疫部隊」……その実態は細菌戦部隊である。
ノモンハン事件でも細菌戦を行ったが大きな成果は出せなかった。
だが、閑院宮総長は、まだ「関東軍防疫部隊」を見限ってはいない。
閑院宮総長の計画とは、狙いとは、果たして……
なお、この日、ノモンハン事件において越権行為に及んだとして辻政信少佐が軍法会議にかけられており有罪判決を受けている。
この件については閑院宮総長の強い指示により軍法会議が開かれたという話である。
【to be continued】
【筆者からの一言】
史実では「関東軍防疫部隊」が閑院宮総長の意向によって設立された事実はありませんが、この歴史ではそういう事のようです。
総長の求める物は「ウラン爆弾(原子爆弾)」だけにあらず。




