与えるもの与えられたもの
血の池はブクブクと泡を立てて徐々に広がって行く。
とても強い酸性なのだろう、アルカリ性のコンクリートですら侵食していた。
赤い人に溶かされてしまった人は誰だったのだろう、きっと正義感の強くて今までは人望もあった様な人だったのだろうか。
ろくに自己紹介もせずに亡くなってしまったであろう人の事を考えても仕方がないが、彼のおかげで理解出来た事がある。
一つ目は眼前の赤い人は敵である事。
二つ目は明確に僕たちへ差し向けられている事。
三つ目は敵を倒さなくてはいけないという事。
僕はどうすれば危機を回避出来るのか必死に考えていた。
今まで喧嘩どころか言い争った事すらない僕が敵を倒すだなんてファンタジーな事ができるのだろうか。
こんな時都合のいい漫画なら強い能力を持った主人公でも現れて一撃で敵を倒すんだろうが…
「うわああああああああ」
赤い人が白いパーカーの男を消す前、一緒に駆け寄った男が悲鳴と共に走っていった。
あれは逃げたのだろう。
「孝志!まって!!」
僕たちと同じ場所にまだ佇んでいる群れの中、一人の女が叫ぶ。
きっとここに来る前の知り合いか恋人だったのだろう。
赤い人の動きは緩慢だ。
誰を見ているのか把握しているのか、狙っているのか、その立ち振る舞いからは予測出来なかった。
次の瞬間走りよって来る可能性だってある。
動きが遅くて口から酸性の血を吐くという認識に囚われてはいけない。
しかし赤い人は動くそぶりは見せず、彼女は赤い人を大きく迂回し、孝志と呼んだ男の方へと走った。
孝志は赤い人が来た方向、霞がかった道へと進んだ。
彼女の事など目もくれずに。
すると孝志は消えた。
霧によって見えなくなったのではない。
はっきりと道の途中で消えた。
「え!?」
彼女は唖然としながらも彼を追いかけた。
「孝志どこいっ」
言葉を言い切る間もなく彼女も消えてしまった。
後述ながら僕が不確定ながら推測した事もある。
それはこの敵から逃れられる筈がないという事。
逃れる事が正解であるならスピード重視にするだろうからだ。
攻撃力が高いが動きが遅い相手を攻略する。
恐らくこれがこのミッションの主題。
そしてもう一つ、何か対抗するはずの武器もある筈。
殺戮ショーにおいて餌に抵抗させるのは盛り上げに必要な要素だ。
それがどの程度のものであるかは不明だが必ずある。
なければただ殺されるだけだ。
僕は壁を背にしつつも適度な距離を保ち、この群れの後尾に居た。
赤い人がどう動こうと回避の出来る位置、パニックになった人間にも邪魔されない最適な場所だ。
男性二人が消滅し、女性一人もいなくなった。
後21人。
赤い人に近づく者はおらず、脅えながらも皆集団で距離をとり続けていた。
赤い人はゆっくりと近付いては来るが決してそのスピードを崩さなかった。
円を描く様に進む方向の逆へ。
音を立ててはいけないかの様な緊張感、赤い人の嗚咽が響く。
どれくらいの時が過ぎただろう、ゆっくりとした動きに合わせた集団行動はまるで喜劇の様で、後ろに転がる白い服の両腕が舞台の人形に見える。
現実感がなくなって来た刹那、赤い人は突如真上を見上げるその口から大量の血を流し始めた。
赤い人が見えなくなる程の大量の吐血は噴水の様で、呆気にとられる僕たちを尻目にそれは止むと同時に赤い人の姿を消した。
「いなくなった?」
クラスメートの男子がぼそっと呟く。
「終わったのか?」
一人の発言に呼応して皆がしゃべり出す。
時間制限有のミッションだったのだろうか。
そもそもミッションだ戦いだと推測しているのは僕の妄想であり、ただ逃げ続ければよかったパターンだってありえる。
皆は興奮しながら乗り切った喜びを分かち合おうとしていた。
緊張と緩和は人を結びつける、名前も知らない者どうしが同じ行動を徹する事で難関を越えたとなってはその達成感は異常だろう。
命もかかっているのだから。
しかし僕はその輪に入らずにいた。
なぜなら喜ぶ彼らの後ろに赤い人が居たから。
正確には白い服の腕が脇に落ちた血溜まりの中から顔が見えた。
僕の声は届くだろうか、僕の呼びかけが一回で正しく彼らに伝わるだろうか、その自問自答が手遅れだった。
血の噴水は勢いよく彼らに降り注ぎ、何が起きたかすら分からずに死んだ者もいるだろう。
悲惨の原因は僕であろうか。
再び現れた阿鼻叫喚に絶望を感じてしまった。