夢の中へ
僕たちはバスに乗っていた。
有名テーマパークへと向かう高速道路を走る貸し切られた観光バス、学校遠足で決まった楽しみな旅。
退屈な日常である高校生活の中で許された非日常。
首都圏から外れた地域で暮らしている僕らにとってはこんな子供騙しな企画だって一大イベントだ。
周りを見渡すと普段反抗的な不良も、机に伏せて居眠りのフリで時間を潰している生徒もほぼ来ていた。
笑顔ではしゃぐ者、乗り物酔いで不快そうな顔の者、我関せずで窓の外を眺め続ける者、きっと何千何万と行われたであろう楽しい遠足へと向かうバスの車内ではいつだってこんな風景だったのであろう。
僕はそんな光景を横目にフロントガラスの先を見ていた。
中央に通路がある左右二席ずつの貸し切られた高速バス。
近頃の少子化によって50人程度の座席数でも空席が目立つ。
それぞれが好きな相手、グループと組んで好きに座っていた。
僕の隣に人は居ない。
特に友人がいない上に強制的な席決めも無かったのだから当たり前の状況だ。
孤独が好きな訳じゃない、誰かに苛められている訳じゃない、ただ観察をする癖が自分を孤独にさせていた。
距離を保つ事で解る人というもの。
感情が理解を鈍らせる。
僕は眼に映る物を噛み砕かなければ気が済まない。
あくまでも自分の尺度であるから人に説明し切れはしないが、ただ納得するまでそれを観察したい、その性質が人を遠ざけていた。
僕を知っている同級生はいないだろう、もちろん名前と顔を照合して「ああ、こんなやつもいたな」程度の話ではなく、僕の人となりってやつだ。
けれども僕は同級生全ての良い所も悪い所も言える。
もしかしたら親友とされている者どうしよりも知っているかもしれない。
だからこそ誰も僕を認識していない。
これまで培ってきた歴史が僕をただの空気として座席を埋めさせている。
しかし人数合わせは必要だ。
卒業時に渡されるアルバムに載る可能性があるだけ参加する意義はある。
僕は皆が嫌いじゃない、こうして同じ空間に存在しているだけで楽しさを感じられるから、関わりを持たずにただ眺めていられるこの状況は満足といっていい。
僕のせいで皆が不快になる様な事があってはいけない。
もしそんな事があれば本末転倒、観察も空間を味わう事も出来なくなる。
好きの反対は嫌い、嫌いになられたくないなら空気で居る事だ。
中央近くの通路側、正面に見据えるガラスの先にはスピードに置いて行かれる防音壁が波の様に分かれて行く。
高速で走るバスの座席は周期的に上下し、睡眠避けのはずがかえって睡魔を呼ぶ。
同級生達の若さから来る精気溢れたはしゃぎ声も邪魔にならない。
瞼は重くなり、空の青さも落ちてくる。
夢と現実の合間を行き来している実感はあった。
心地良さが全身を覆う。
晴天の中、光に満ちた車内はブラックアウトした。
トンネルに入ったのか、夢の中に落ちたのか、音もしなくなった。
夢から覚めれば夢の国に着いている。
筈だった。