捌
「……酷い、せっかく博士が作ってくれた身体なのに………」
がっくりと垂れ下がった頭を自分の手で支えて、少年を睨む。
「何度も契りあった二人がいまさら親子だって?虫唾が走るね。おお、気味の悪い」
少年が苦い顔をして最後には舌を出し、おえぇ、とえづいた。
「これからあの二人は何をしていても、きっと思い出すだろう。あの荒れた家でしていた行為を。それは表情に翳りを作り、楽しい時も、幸せな時も、不意に頭をよぎるのだよ。悲しい時も不幸な時も、きっとこびり付いて離れない。だったら、今、あの女を粛清してしまえば春太郎くんはあの女をあの女のまま、記憶に仕舞っておける。親子になんかなっちゃいけないのさ」
「………」
私はぶらぶらと不安定な頭を薫子さんと春太郎くんへ向ける。
二人は目を見開いて少年の言葉に聞き入っていた。
どうして?
私が教えてあげたことよりも、二人に響いているみたいだ。
「好き合っているのだから、それでいいではないの。関係が変わるだけだわ」
「……女は時々馬鹿だ。まあ、それだけ愛の扱いに長けている愚かな傲りだ。それで狂うのはいつも男なんだよ。きみなら身にしみているだろう?」
少年が何もかも分かっているみたいに言う。
「私が?さあ、憶えていないわ。だって、私、今は人ではないのだもの」
「きみ、それが女のずるいところさ。男は死んだって憶えていて苦しんでいるというのに!」
「そんなの男とか女とか関係ないと思うわ。あなたがただ、執念深いのよ。きっとそうだわ」
私は思わず笑ってしまう。
だって、可笑しいんだもの。
少年がまるで、駄々をこねる子供のように言い連ねるから。
私はさしずめ、それをなだめるおねい様だわ。
「きみとはもう話したくないな。きみには繊細な男心は一生理解できないのさ」
「ふふ、ごめんなさいね。許してね」
私の子供扱いが気に食わないのか、少年が私の首をとうとう片手で千切り落とす。
「怒りん坊ね……」
私は地面から少年を見上げて微笑んだ。
「もう黙っていておくれ」
少年は私を見ずに薫子さんと春太郎くんの方へと向かう。
あらら、やっぱり粛清してしまうのね。
でも、これだけ言っても駄目なら、もう諦めましょう。
少年は私よりもずっと前から粛清している先輩ですしね。
私は首を千切られた身体で頭を拾い上げ、二人を見る。
「ひい!」
薫子さんが少年に怯えて腰を抜かす。
「や、やめろ!薫子と僕はやり直すんだ!い、依頼は取り止めだ!」
春太郎くんが、頭一つ分背の高い少年に拳を振り上げ立ち向かう。
「春太郎、やめないか?今、ぼくが粛清しないと、いずれきみがこの女を壊すことにきっとなるんだ。ここが退き際だよ。男なら決断するんだ」
「………」
少年の言葉に春太郎くんが固まる。
子供に分かるかしら?
「……薫子、死ぬことがこわいか?」
春太郎くんが薫子に問う。
「……いいえ、いいえ。薫子はあの世で春太郎坊ちゃんを見守ることができるのなら、この世に未練はございません!」
「……薫子」
二人は歳の差など感じさせないくらいに熱く見つめ合っていた。
「薫子、僕は生きるよ。薫子のまなこをずっと背に感じて生きていくよ」
「はい……はい……薫子はありあまる幸せをいただきました。春太郎坊ちゃん、どうか、どうか、薫子の愛を携えて誰よりも、誰よりも幸せになってくださいまし」
「………なんと綺麗な終わり方……」
私は呟いていた。
親子として生きていくよりも、ずっと綺麗で後腐れがない。
いい愛だ。
とても、良質な愛を最後に二人は見つけられた。
「春太郎、ぼくが薫子さんに口づけすることを堪えてくれるかい?」
少年は穏やかな表情で春太郎に訊いた。
「……少し、ま、待ってください」
春太郎くんはぎこちなく少年に言い、薫子さんへと身を屈めた。
二人は静かな口づけを交わす。
「春太郎坊ちゃん……」
薫子さんが戸惑い気味に唇をずらす。
一度は親子になろうとしたのだから、今までの口づけとは味が違うのかもしれない。
「薫子、僕は薫子の男がいいよ。薫子の子供になんかならない。僕は薫子の最後の男だ」
「春太郎さん!」
二人は再び口づけを交わす。
短い少年の接吻で、薫子さんはすぐに事切れた。
春太郎くんは薫子さんの亡骸を一瞬見下ろし、薫子さんの家の敷地から出てきた。
「手を合わせなくてもいいの?」
私は春太郎くんに訊いた。
「あ、は、はい。か、薫子は、もう、ぼ、僕の背中で僕をま、護ってくれていま、すから」
春太郎くんは微笑む。
「そう……」
「は、はい」
「春太郎、きみ、一人で帰られるかい?こいつがこんななりだから、ぼくらさっさと退散したいのだけれど」
少年が白いハンカチーフで口もとを拭いながら遅れて出てくる。
「は、はい」
「春太郎くん、ごめんない。楽しいお話と家まで送る約束破ってしまったわ」
「い、いえ、お、お気になさらず、さ、さようなら!」
春太郎くんは逃げるように走って行ってしまった。
「春太郎くんどうしたのかしら、あんなに慌てて」
「ふっ……きみがすごいことになっているから恐くなったんだよ、きっとね」
少年が私の身体から私の頭を奪い、口づけをする。
培養液が口移しで注入されて、私は潤う。
「悪かったね。やり過ぎたかな?」
少年が唇を離して謝ってくる。
「千切ることはなかったと思うわ。私、力ずくで止めようなんてしなかったのに」
「そうかな?女はこうと決めたら人の話なんて聞く耳もちやしないからね」
「あなた、やけに女とか男とかを決めつけて喋るのね。どうかと思うわ」
歩き出した少年に頭を抱えられたまま、私は身体を少年の後ろへついて歩かせる。
「きみが余計な事しなけりゃぼくだってこんなに喋ることはなかったさ。でも、思い出したから、喋らずにいられなかったのさ」
「女に対してずいぶんな言い草だったわね」
「……愛し過ぎてたからね。ぼくの女を」
「そう、それはご苦労様」
「きみは性格が悪いね」
「そうかもしれない。意地悪な女だったかもね」
「やれやれ……」
「それにしても、春太郎くんは薫子さんの前ではつっかえずに喋れるのね。それに、子供らしくもなかったわ」
私は少年の腕に抱えられ、暮れゆく空を眺めた。
「女は呪いや魔法を使うからね」
「また女って決めつけて!」
「春太郎は薫子さんに自信という愛を与えられていたんだよ」
「……歪んだ自信だったけどね。男は奇々怪々な野獣だわ」
私は決めつける少年へ言い返した。
「春太郎が子供でなかったら、ぼくは彼をきっと粛清したよ」
「………」
少年が足を止めて私を優しい顔で見下ろす。
「同感だわ」
私は嬉しくなって、少年を見上げて微笑んだ。
第一章 春太郎と薫子はこれにて完結です。
読んでくださった皆様、ありがとうございます。
第ニ章の予定は今のところありません。
再開の時は活動報告にて予告いたします。
ご了承、ご容赦くださいますようお願い申し上げます。