参
横縞通りを過ぎ、しばらく南へ歩くと一軒の小さな家があった。
あの家に春太郎くんを愛で苦しめている人間がいる。
私が知っていることは春太郎くんのまだ幼く未熟な慕う心を利用して、春太郎くんの家から金を巻き上げている女郎蜘蛛を粛清しろ、ということだけだ。
細かいことは博士が把握しているから、私は特に追求する気はなかった。
しかし、春太郎くん自身は悪い女に騙されているなんて歳じゃないだろうに、ご両親に後押しされる形で依頼は舞い込んだのだろうけれど……
あの悲しそうな、私に救いの光を見たような表情を目の当たりにしてしまうと、やはり苦しんでいたに違いない。
私は春太郎くんの為に息を大きく吸い込んで、気合いを入れ、女郎蜘蛛の家の呼び鈴を鳴らす。
「………はい」
すぐにくぐもった声がすりガラスの玄関の向こうから人影と共に聞こえてきた。
「わたくし、春太郎くんの使いのものですけれど、薫子さんはご在宅でしょうか」
女郎蜘蛛の名前が私の頭に浮かんで口に出す。
必要な記憶は必要な時に引き出される仕組みだ。
「どういったご用件でしょうか……」
玄関を開けて出て来たのは、弱々しく全体的に不潔な印象の女だ。
髪の毛は櫛を通していないように乱れ、肌も垢で薄汚れているし、着物だってほつれて皺だらけで脂臭い。
歳の頃は私と同じくらいに見える。
これが悪い女郎蜘蛛?
金を巻き上げているような身なりには、とても見えない。
「……わたくし、松宮春太郎くんに頼まれまして、あなたを粛清しに参りましたの」
疑問は感じても、私のしなければならないことは一つだけ。
薫子さん、あなたを粛清する。
「………」
薫子さんは一瞬だけ驚き、怯えたような眼差しを私に向けたけれど、すぐに声も出さずに笑い始めた。
「か、薫子さん?」
「旦那様と奥様に頼まれて私を殺しにやってきたのね?さあ、どうぞ、やってちょうだいな。嗚呼、これでやっと楽になれる………」
薫子さんは私の足元に跪き、縋るように見上げて涙を流している。
その姿は私の神経回路を刺激した。
耐えられない嫌悪感が私の全身を震わせる。
「あなた……お小水が……」
薫子さんは私の両足を流れ伝う培養液に涙を止めて家の中へ駆け込む。
私はというと、完全に混乱していた。
心臓は作り物のでも、脳みそは少しは人間だった頃のものだから、そのせいだ。
だって薫子さんの涙。
私も流していた涙。
「あなた、これでお拭きなさいな!」
薫子さんが手拭いを何枚も持って私の足元に再び跪き、お拭きなさい、と言いながら拭いてくれている。
「すみません、申し訳ありません……」
私はまだ動けずに、ただ詫びることしかできない。
「いいの、いいのよ。気にしなさんな」
ひょっとして、薫子さんは私と同じ歳の頃かと思っていたけれどそれは私の誤作動で、私が人間だったら同じ歳の頃だった、と考えなければいけなかったらしい。
薫子さんは明らかに私を子供扱いだけど、見た目だけで言えば確かに薫子さんは私の今の見た目よりは大人なのだ。
私は本当は一体、幾つなのだろうか。
薫子さんを見下ろしていたら、人だった時にいつも感じていた憂いを思い出せそうで、私はつい、余計なことをしたくなる。
「薫子さん、よければわたくし……私に教えてくださいませんか?……あなたの涙のわけを……」
「………」
薫子さんは私を見上げると、困ったように微笑んだ。