壱
口の中に入れられたのは熱くてとろけたものだった。
味はしょっぱくて苦くて、甘くもあった。
目を閉じたまま口の中でうごめくそれを、ただひたすらに自分の舌ですくったり絡めたりしてなだめる。
溺れそうになるくらいの唾液量に辟易し始めた頃、やっと口の中からそれが出て行く。
握り締めていたガーゼでべったりと濡れた唇を拭いた。
困ったように私を見つめる彼は、自身のやはり濡れて光っている唇を白衣の袖で雑に拭き取る。
「君、毒の調節がうまくいっていないよ」
彼は、いや、博士は困った顔のまま私に言う。
「本物の毒ではないからです。私、本物の毒ならばきっと上手にできますから」
改造された後でも私の負けん気は残存しているようで、博士に堂々と言い返した。
「……しかし、毒の代わりに仕込んだ蜂蜜の味がこうも薄いと君の主張も受け入れることはできかねるな、今回の依頼はやはり、少年に頼むしかあるまい」
「博士!」
私は憤慨し、立ち上がった。
「こらえてくれたまえ、君はまだ改造して日が浅いのだ。しょうがないさ、ああ、しょうがないことなのだ」
博士は私の髪を撫でながら、まるで幼子をあやすようにしてくる。
培養液の満たされたガラスケースの中で、私よりずいぶん以前から改造された少年が、そんな様子を見て微笑んだ。
私はカッとなり、博士を睨みつける。
「博士!私が行きたいのです!どうか、どうか、私に行かせてくださいよ!私も博士のお役に立ちたいのですから!ねえ、どうか、どうか!」
「少女よ……」
博士は憐れむような目で私を見下ろす。
思考がうまく回っていないのかもしれないけれど、私は私の希望を必死に懇願することで、どうにか活路を見出そうとしているだけだ。
「博士、博士。どうか、どうか!また新しい少女が来たではありませんか、来たのであれば博士はきっと改造に忙しく、依頼は少年一人で裁かなければなりません。そうなれば、負担が増えて博士か少年が倒れてしまいます。私はそんなのは嫌なのです!私はお役に立ちたいのです!お役に立たなければ、親姉弟を捨てて、許嫁を粛清した理由が消えてしまいます!消えてしまえば私、私、私も、消えなければ、消えなければいけないのです!」
今はもう思い出すことは叶わない、父様母様姉様弟、そして、私を酷い目にあわせた許嫁……何をされたのかは思い出せない。
思い出せないけれど、思い出そうとすると鳥肌が、嫌悪感がこみ上げてくる。
「博士、いいではないですか、少女にやらせてみましょう」
少年が培養液に満たされたガラスケースの中で言う。
前回の粛清で負った傷が、まだ生々しく少年の腹をぱっくりと割っていた。
日本刀で斬られたらしい。
私が少年を回収しに行った時には粛清対象の女は日本刀を手に持ったまま事切れていた。
「しかし……」
「博士、心配は無用なことです。もうぼくたちはそのためだけの存在として生きることを決めたのですから。そう決めないと、罪に押し潰されてしまいますよ」
「少年……」
「博士!少年の言う通りです!私たちがまだ生きられるのは、罪を償うためなのですよ!償うことを生きる糧にしてしまっているのです!」
「……わたしはお前たちを弄んでいるのではないかと日々自問自答していたのだが……」
博士は初めて会った時にはとても冷たい目をしていた。
私たちへの対応もぞんざいで、口数も多くなかった。
しかし、粛清の依頼を受けて、実行していくうちに段々と冷たい目が憂いを帯びて、言葉の印象も柔らかくなっている。
私たちがもう人間ではないから、博士はどんどん優しくなってゆく。
「博士、私たちは救われたのですよ。博士に、博士のつくった少年に出会えて、私は、絶望を全て知らずにすんだのです」
私は博士の身体にそっと近づいて胸元に頬をくっつけた。
「博士、私は愛を粛清しましたが、また新しい愛を知りました。博士、あなたの愛を」
それがたとえ自分の創造物へ対する自己愛だとしても。
「少女……」
「お願い申し上げます。もう一度、今一度、毒のテストをしてください」
私は仕込んだ蜂蜜を口の中や唇に行き渡るよう神経回路を組み替えた。
それは人間だった頃の感覚を忘れてしまいそうな所業。
それでも博士の顔を引き寄せる行為が作り物の鼓動を速くして、私の頬は熱くなる。
「……甘い」
博士が嬉しそうに呟いた。