第6話
男の子が意識を失うと同時に、周りの景色が歪み瞬きをする間に白い部屋へと変わる。そこには包帯でグルグルに巻かれ白い天井を見上げている男の子が居た。
「ど……、 ちゃ……」
ボンヤリとした表情で女の子の名前を呼んでいる。何処かその呟く声が、あの悪夢の中で聞く声と重なった。
「君、ここが何処だか分かる?」
「どうして…… ちゃん、どこにいるの……」
「 くん?」
「ボクが守らないと……ボクが……」
「……もう少し落ち着かないと駄目か」
「そうですね」
「あかい、あかい ちゃん。どこなの」
大人が男の子に問いかけるが、それに答えるでもなく女の子を探す言葉を呟いている。ゆっくりこちらを振り向く男の子と目が合ったと思った。
「 ちゃん……。ど、こ……」
何かに弾かれた様に意識が覚醒した。
「っ、はぁ、はぁ……」
隣では妻もケイもスヤスヤと眠っていた。現実に戻ったと安堵し詰めていた息を吐くと、じっとりと額に張り付く髪を掻き上げて着替えを持ち脱衣所へ向かった。
「……はぁ」
カラカラに渇いた喉を潤し、服を脱いで汗を拭いながら鏡を見れば首に残る痣が前に見た時よりも色濃くなっている。守ると誓ったが俺が早瀬の様に眠ったまま目覚めなくなってしまったら? もし、もしも狂ってしまったら妻とケイはどうなる……。それを考えるとまた吐き気が込み上げてきた。
その場へ座り自身の手をじっと見つめた。夢の男の子と追いかけてくる声は同じ人物だろう。そんな男の過去を俺に見せて何がしたいんだ……。
持っていた服に着替え、また眠りについた。
+ + +
ケイを幼稚園へ送ってから二人揃って山田さんの自宅へ向かった。
ドアをノックするが返事は無く、ノブを回して扉が開いた所でひょっこり顔色の悪い山田さんが顔を出した。
「おはようございます」
「菊池さん? 退院したんだねぇ、心配したんだよ」
「はい、無事に退院しました」
和かに退院した事を喜んでくれ、部屋の中へと促された。
「急に夫婦で押し掛けてしまって、すみません」
妻が話し始め菊池さんがキッチンへ消えた。周りに飾られている写真を確認しているが、友人達と楽しそうに笑う山田さんの写真しか無かった。
山田さんがこちらへ戻り、写真の事を聞く妻に話しを任せて俺は見守る事にした。
「っ、やっぱり……『ミ ちゃん』だわ」
「間違いないのか?」
「どっ、どう、して菊池さんがそれを……!?」
ちゃぶ台の上へ置かれた写真を受け取ると、顔を強張らせながらも間違いないと言う妻へ驚きを隠せない山田さんが掴みかかりそうな勢いで声を荒げる。
「山田さん、落ち着いて下さい」
「どうして菊池さんが……」
「実は……」
目が合うと、話してもいいかなと聞こえてきそうな顔をしていた妻へ頷きを返せば、話す覚悟が出来たのかゆっくりと話し始めた。
それを聞いていた山田さんも肩を震わせ、堰を切ったように涙を流した。涙を流す二人を何処か遠くで見ている様な感覚に首を傾げ妻の背中をさすると、その間に写真を見てしまいドクンと心臓が脈動した。
写真の女の子は……俺が殴ってしまった女の子だった。あの子が山田さんの……。罪悪感に囚われ、それからは目を向ける事が出来なくなってしまった。
「……みっともない所を見せてしまってすまないねぇ」
取り乱した山田さんが落ち着く頃には雨足が強くなり、屋根を叩く音が大きくなってヤケに耳についた。
「見つかっ……は、この間……た……雨の日でねぇ……」
静かにポツポツと話す声が時折掻き消えたかの様に遠くなる。何処か遠くを見つめ、複雑な顔をして震えていた。妻は痛ましそうに山田さんを見つめていて、胸がザワリと疼いた。
「犯人は、あいつは孫を『 カちゃん』なんて呼んで……私の、孫は美鈴だよ! それを……っ」
「え……」
「み、みすずちゃん?」
その名を聞いた途端に目の前が真っ赤になった。違う、違う違う違う。
「この子は美しい鈴と書いて美鈴って呼ぶんだ。私がつけた名前でねぇ」
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う! あのこは、あの子は、ミ ちゃん、 カちゃん。ミカちゃんだ。そんな名前じゃない。あぁ、ミカちゃん……。どうして名前を言えなかったんだろう?
「……話が長くなったね。そろそろ、ケイくんを迎えに行く時間だろう?」
「あ、もうこんな時間。山田さん、長々とありがとうございました」
「いいんだよ。話しを聞いてくれてありがとうねぇ」
妻と山田さんの会話にハッと我に返った。ミカちゃんなんて知らない。俺は、知らないっ!
「……お邪魔しました」
心の内を悟られまいと平静を装い、挨拶をして山田さんの家を後にした。ケイを迎えに行き、妻と俺の姿が見えると顔を輝かせながら妻の胸へ飛び込んでくる。フラつく妻を後ろから支えた。
「おぉっと」
「一哉さんありがとう。お待たせ、ケイくん」
「きょうはままもぱぱもいっしょなの?」
「ケイ君、ママもパパも一緒で良いな〜」
「えへへ」
ニコニコと笑うケイを連れ家へ戻る頃には、いつかの嫌な雨の様に激しく降っていた。
+ + +
昨夜も余り眠れなかった俺は、横になった途端に睡魔に襲われそのまま眠ってしまった。だから、これは夢だ。現実じゃ、な、い……。
動かなくなったミカちゃん。可愛い可愛いミカちゃん。ずっと探して見つけたのに……逃げようとするなんて酷いよ。
「どうして、どうして赤いのにねぇ、動かないの?」
「黒い……? また居なくなった?」
「ミカちゃん、僕を置いて何処へ行ったの……?」
彷徨い歩く男が向った先は、女の子と同じくらいの歳の子が集まる公園やアパートの近くだった。
「あぁ、駄目だ……。赤い赤いミカちゃんは居ない。キミは違うんだ……」
「どうして、キミは居ないの……」
警察官に呼び止められるが、ブツブツと何かを呟いて意思の疎通が出来ない。その事に不審に思ったのか、パトカーへと乗せられた。
「どうして、どうしてどうして……どこ。ミカちゃん、どこにいるの」
「そうだ、ボクも……」
独房の中で服を首に巻き付けグッと体重をかけた。
「ごれでぇぇぇぇぇぇぇ」
布で喉が締まる前、言葉を発してギリギリと布が食い込んでいく。酸素を求めパクパクと口を魚の様に動かし食い込む布を引き剥がそうと、もがき苦しみながら息絶えーーーー
「……さん、一哉さん」
「ぅ……ん……っ?」
「うなされていたから起こしちゃった」
はぁっと詰めていた息を吐き、“ありがとう”と礼を言って張り付く髪を掻き上げた。
「まだ寝てなかったの?」
「忘れないうちに書き出してたの」
「うん」
「山田さんから聞いた話をまとめようと思って……」
「あんな事があったなんて考えられないな」
腕を組み、山田さんの様子を思い浮かべるが靄がかった様にあまりハッキリとは思い出せなかった。“きっと重ねて見ていたのね”と寂しそうに紡ぐ妻の言葉に同意して頷いた時だ。
ドドォォォォン!
ピカッと強く辺りが光ったかと思うと轟音とも言える音が響き渡り、反射的に妻が抱きついてきた。点いていた電気も消えて辺りは真っ暗になっている。
余程、驚いたのだろう。薄い布地越しに柔らかな体温とドクドクと早い鼓動を感じる。
「っ、大丈夫か?」
「え、えぇ。ビックリした……。近くに落ちたのかしら」
「あの大きさの音だとそうだろうな……。懐中電灯は何処へしまった?」
「確か、テレビの下の……」
懐中電灯を探しに妻が離れるとゾクリと背筋を震わせた。何だ、この感覚。まるで夢の中に居るみたいだ……。
「一哉さん移動させた?」
「いや、俺は懐中電灯なんて使わないぞ?」
妻がガサゴソと懐中電灯を探しているが俺は鳥肌が立った腕を摩り、嫌な感じしかしない寝室の方を見つめた。