第1話
夫編始まります。
よろしくお願いします。
朝からザーザー雨が降っている。まぁ、梅雨だから仕方がないとは言えこれから会社へ行く身としては早く止んでくれる事を祈るばかりだ。
「おはよう」
「おはようございます」
「菊池さん、おはよーです」
「あ、菊池おはよう!」
会社へ着き挨拶を交わせば、同期で友人の早瀬が待っていましたと言わんばかりに飛びついてきた。
「おい、近すぎないか?」
「やだなー、僕と菊池の仲だろ〜」
「ただの同僚だな」
「酷い……あんなに夜を共にした仲なのにっ」
「残業で徹夜したからな。んで、どうかしたか?」
いつまでもおふざけに付き合っている時間は無いので、サッサと要件を聞いた。“菊池が冷たい〜”と反対の机に座る社員に泣き付くフリをする早瀬に、若干イラつくが何処か憎めない奴だ。それに仕事は出来るのだ。仕事は。
「……はぁ、マジか。こんな時にトラブルとか勘弁しろよ。しかも今日中に解決しろとか」
「ちなみに原因は分かっていない。今日は残業決定な〜☆」
俺にウィンクをしながらそんな事を言うと上司に申請出してくると、止める間も無く行ってしまった。宙に浮いた腕を引っ込めると社員の殆どが肩を震わせている事に気づく。男にウィンクされて喜ぶ趣味は無いのだが、職場が和むなら良いかと思う様にした。
今日はもう帰れないだろう。合間を縫って妻に電話しようと頭の隅に記憶して、仕事に没頭した。
+ + +
時計を見れば既に夜だ。そろそろ電話しよう。ラジオから流れてくるニュースで今日の大雨による交通機関への影響がだいぶ大きい事を知った。どのみち今日は帰れなかったのか。
「悪い、少し妻へ電話してくる」
「相変わらずラブラブですなぁ。奥さんによろしく〜……って、やべぇっ」
手を動かしながらも茶化してくる早瀬に手を振り、電波の良い場所へ移動した。帰れない事を伝えると、珍しく何とかならないかと聞いてきた。
「珍しいじゃないか。どうかしたのか?」
『うぅん、駄目ならいいの……。ケイと二人で寝るわ』
「あぁ。明日の朝には帰れると思う」
少し元気が無いような怯えたような声で気にはなったが、早瀬に呼ばれすぐに電話を切った。
あれから集中して取り掛かった甲斐があり、今日中に対処する案件は片付いた。ひと段落ついた所で体を伸ばし、コーヒーを淹れに行くかと首をコキコキ鳴らしながら離れた場所にある給湯室へ足を向けた。もっと近くへ作れば良かったのにと愚痴を零す。
片付いたとは言え、最終チェックが残っている。濃いめに淹れよう。
「早瀬のも持っていくか」
カップを二つ手にすると、ただでさえ薄暗い給湯室の蛍光灯がチカチカと点滅し始める。蛍光灯の寿命でもきたのだろうかなんて思っているうちに、とうとう消えてしまった。
ザァァァァァァ………
窓を叩く雨音に目を向けると、外は雨の勢いが増すばかりでまるで台風が上陸したかのようだった。
「朝には止むといいんだがなぁ……」
『……、……』
ポツリと独り言を呟いた時だ。何かの呻き声みたいな音が聞こえた気がして辺りを見回すが何もない。まぁ、当たり前だが今は早瀬と俺の二人しかここには居ないのだ。
また寝ぼけて椅子から落ちたか? 暗闇の中で何とかコーヒーを淹れ、足早に戻った。
「早瀬、コーヒー持ってきたぞ」
ここも電気が消え暗闇に包まれていた。停電なのか?
持っていたコーヒーを近くの机の上に置くと、ポケットへしまった携帯を取り出して薄暗い明かりを頼りに自分のディスクへ辿り着き、懐中電灯を探す事にする。もしもの時の為にと引き出しに眠らせていた懐中電灯が役に立つ事になるとは思わなかったが、入れておけよと言ったあの時の早瀬を褒めてやりたい。
「おい、早瀬? 居ないのか?」
『……、………』
またあの地を這う様な呻き声らしき音だ。纏わりつくような生暖かい空気に背中がゾクゾクとする。
本当に椅子から落ちて、受け身も取れずに床へ打ちつけたのだろうか。嫌な考えに焦り始め、見つけた懐中電灯を急いで点けて辺りを照らすが何処にも早瀬は居なかった。
ガタンッ
後ろから聞こえた大きな物音に飛び上がるほど驚いた。心臓がバクバクと煩い。ゆっくり後ろを振り向けば、早瀬が懐中電灯を自分の顔に当てニタァと笑っていた。
「ビックリした?」
「おい、冗談はやめてくれ。マジで心配したんだぞっ」
「ごめんごめん。怒らせるつもりは無かったんだよ〜。警備室行ってきたら社内だけじゃなくて、ここら辺一帯で停電だって。予備電源に切り替わるから暫く待てってさ」
声を荒げると、早瀬が手を合わせ謝りながら現状を報告してきた。やはり停電か……仕事が進まないな。っと、ちょっと待て。さっきのプログラム保存したか?
「お前、停電前に保存かバックアップ取ったか?」
「え……? 菊池がしたんじゃないの?」
「マジか……」
お互いに見つめ合いながら嫌な汗が背中を流れ、早く予備電源にならないかと待ち焦がれた。
暫くすると、予備電源に切り替わったのか電気が点いた。パソコンを立ち上げ、確認すると保存はされていた。だが、停電のせいかは分からないが別の所で不具合が出てしまいその対応に追われる。……朝には帰れないだろう。また連絡しないと。
+ + +
結局、一睡もできずに朝を迎えた。眠らないようにと濃く淹れたコーヒーを飲み過ぎた所為か胃が痛い。昨夜のうちに報告をしていたので、部長が早朝出勤してきた。
「部長、すいません。少し仮眠してきます」
「あぁ。夜通しご苦労だったな、後は任せてくれ。熱いシャワーも浴びればゆっくり寝れるだろ。早瀬も連れて行って休んでくれ」
「ありがとうございます」
机の上で船を漕いでいる早瀬を叩き起こし、休憩室へと向かった。この会社は急な残業や徹夜があるせいか休憩室にシャワー室や仮眠室などがあり、自販機で下着も食料も買える。それはそれで有難いが本音は“帰らせてくれ”だ。
「おい、早瀬そこで寝るな。シャワー室すぐそこだろうが」
「うぅん……むにゃ……っ、いってぇ!」
「起きたか?」
「いつぅ……、少しは加減してくれよなぁ〜。僕は少し寝てから浴びるから、菊池が先に入れよう」
眠そうな早瀬に順番を譲ろうとしたが、相当眠いらしい。ならばと仮眠室へ放り込むと先にシャワーを浴びる事にした。
「あぁ……疲れた。今日こそは帰ってゆっくり寝たい」
そして妻と息子に癒してもらうのだ。三歳になる息子はママっ子だが、たまにパパ、パパと嬉しそうに笑うのが可愛い。……親バカだと分かっているが可愛いものは仕方ない。
シャァァァァァァァ……
カタン……コロコロ……コロコロ……
電話をしないと心配させてしまうなと思いを馳せていたらシャワーの音に混じり、脱衣所の方から何かが転がる音がした。早瀬が起きたのか? 入浴中の札を下げたから分かるはずだが我慢できなかったのか。
「早瀬? もう少しで出るから待ってくれ」
そう扉の方へ投げかけるが何の返答も無い。首を傾げ、サッサと洗って腰にタオルを巻いて出るが誰も居なかった。
「?」
脱衣所には常備されているヘアケア用の空のプラスチックの容器が床へ転がっていた。何かの弾みでこれが落ちたのか。と言うか、空になったら捨てろよと思いながらもゴミ箱へ投げ捨て、ゴミ箱へ入っていく容器を確認してから仮眠室へ向かった。