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特別な彼女と平凡な俺

 温かい風が吹いてカーテンが舞う。

 夕方に赤みを帯びた日が窓から差し込んで部屋の半分ほどが染まっている。

 外から聞こえる運動部の声がやけに遠く感じ顔を上げた。


「……」


 机一つ挟んだ先に、いつもの顔が歪んだ笑顔を作って俺を見ていた。

 学校指定の制服と小柄な彼女に少し不釣合いな大きいヘッドフォンを肩にかけ、短く切りそろえられた黒髪が窓から赤るく染まっている。

 白い顔に両手を付けながらニヤニヤともとれる顔で眺めてきているようだ。

 ため息一つついてから開いていた本を閉じる。


「何か用か、彩」


 岩倉彩。

 それが彼女の、俺の唯一の後輩にして読書仲間の名前だ。


「いやあ? 先輩が楽しそうに本を読んでいるから眺めていただけ」


 彼女は歪んだ笑顔のまま楽しそうに体を揺らす。

 そんな彼女を見慣れた俺だから何も感じないのだろうが、普段の彼女を知る人が見れば驚くだろうし異性なら恋情を抱いてしまうかもしれない。

 それほどまでに、彼女は綺麗だ。


「そう見つめるなよ。照れるだろ」

「嘘。全然照れてないくせに」


 そりゃそうだ。

 彼女が入学した初日からだから、もう丸1年の付き合いだ。

 そこまで付き合いが長い奴に見つめられただけで照れてたら彼女の顔を直視することすらできない。

 だから軽い冗談を返す。


「じゃあ俺に惚れてるのかな?」

「……馬鹿じゃないの」


 真顔で返す彼女を見て少し頰が緩む。

 こんな冗談を返すようになったのも最近のことだ。

 それまでずっと無口で、ただ俺の前で本を読むだけの存在だった。

 そう考えると、彼女との仲もだいぶ進展したものだ。


 入学早々に校門の前で俺を待っていて、入部できるようになった初日すぐ我が部活に入ってきた。

 今でもなぜ最初から俺を待っていたのか分からないし教えてはくれない。

 さらに『学校で一番何をしてるのか分からない部活』と名高い我が部『情報技術文芸部』を選んだ理由も分からない。

 彼女が自分のことを誰にも話さないからだ。


 それでも彼女はこの1年間ずっと俺の側に居て、休み以外の放課後を毎日部室で過ごしていた。

 そんな彼女と出会ってからの1年は今まで経験したことがない程に充実していた。

 嫌なことの方が多かったかもしれないが、良い思い出しかないなんてのも味気ないものだ。


 彼女と一緒の空間にいると何故だか気分が高揚し楽しくなる。

 いつまで経っても何も語らない彼女だが、居てくれるだけで周りに花が咲く。

 何の変化もない毎日に楽しみが増えた。以前より楽しく学校生活を送れた。


 だが、そんな日々も今年で終わりだ。


 俺は3年、彼女は2年。

 翌年に俺は卒業し、彼女は3年生に上がる。

 それは俺と彼女との関係の終わりを意味している。


 優秀な彼女なら俺が選ぶ大学よりずっと上を目指すだろうし、それだけ離れれば平凡な俺に付き合う理由も意義もない。

 なぜ俺に近付いてきたのかは分からずじまいだし彼女が話してくれないのなら俺も無理して聞く必要もない。

 そういう関係だったからこそ俺たちはそこそこやって行けた気がする。

 今更くだらない私情で関係を崩すは嫌だ。



 窓の外を見ると赤みは消えすでに暗さが増していた。

 俺だけならまだ居るだろうが今は彼女がいる。

 本に付箋をし、鞄に入れて立ち上がる。


「ちょっと暗くなってきたし今日はもう帰るか」


 言うと彼女は頷きもせず本を鞄に仕舞うと立ち上がり身なりを正す。

 顔を上げた時には先程まであった笑顔はなく、いつもの無表情があった。

 こういう切り替えは本当に早くていつも感心する。




 部室を出て一人で駐輪場に自転車を取りに行く。

 自転車に跨がり軽快に校門までの急坂を登り、彼女の元に辿り着くと自転車から降りて手で押していく。

 もう数十回は繰り返した動作は身に染みて無意識に行える程度にまでなっている。

 それほどの時間を彼女と共に過ごしていた。


 街灯が灯る道を二人で並んで歩く。

 彼女を家の前まで送るのが俺の日課となっている。

 それまでの道中に喋ることは殆どない。

 俺が家に送る理由も俺自身わかっていない。

 ただ気付くとそういう風になっていたのだから思い出そうにも出てこないのだ。



 街灯に照らされる彼女は数段綺麗に見える。

 儚げで憂いているような表情なのに、纏う空気は凛としていて確固とした意思を示している。

 思わず……いつも通りに……彼女の頬に触れた。


 モチっとした女の子特有の柔らかい白肌に手を滑らせフニフニと感触を楽しむ。

 ムッとした顔をしながらも、何も言わないのもいつも通りだ。


 結局、彼女の家に辿り着く手前まで頬を撫でた。

 家を背に二人で立ち止まり、お互い顔を向き合わせる。

 頭二つほど身長が低い彼女は同学年より少し小さいくらいだろうか、不機嫌そうな顔をしながら俺を見上げている。

 それでも彼女の口から不満が漏れることはなくジッと俺の顔を見続ける。


 薄っすらと染まる頬に再び触れて、耳に触れ、頭を撫でる。

 彼女の目が細くなり体を預けてくる。

 目蓋や額も撫でながら彼女の小さく変わっていく表情を楽しみ、時間や周囲のことを忘れ一心に彼女の顔や頭を撫でた。


「……ん」


 小さく声を上げるのを見て手を退かす。

 唇をアヒルのようにとんがらせて見上げる彼女は実に可愛らしい。


 しかし俺の名誉のために言わせてもらうが、この少し危ない接し方を求めてきたのは彼女であり、俺が好きで強要し行っているわけではないので誤解しないでいただきたい。

 まあ、初めに彼女の頬に触れたのは俺なのだが……。


 心の中での言い訳が終わる頃には彼女も平静を保っていた。

 そしておずおずといった感じで俺に触れようとして、手を引っ込めると踵を返し小走りで玄関まで離れていく。


「じゃあね、先輩」

「おう、また明日だな彩」


 お互い手を振りながら彼女が家の中に消えるまでを見届ける。

 それが俺と彼女が送る、いつも通りの放課後だ。


 たまに思い返してみて「これって恋人っぽくないか?」と思うこともあったが彼女が俺に対してそういう感情を抱いているわけがないし、最近俺の前で表情が見えるようになったからといってそんな風に考えるのは早とちりと言うかなんというか。

 そもそも彼女と俺では見ている世界が違いすぎる。


 というか彼女に好かれるようなことをした覚えはない。

 最初は俺が一方的に話して最近になって会話らしい会話ができるようになった程度。

 この段階で俺に対して特別な感情を抱いているのならあいつはチョロインだ。




 そうだ。

 彼女と俺がこれ以上近付くことはない。


 彼女はあらゆるものが特別だ。

 黒く艶やかな短い髪に真っ白な肌。赤みがかった瞳ときつく結ばれた桃色の唇。

 全体的に小柄ながらもそれを気にもしない凛とした雰囲気を放つ泰然とした姿は中性的で、どの層からも支持が高い。

 しかも成績優秀で去年も数々の賞を貰っていた。

 ただ肌が弱いせいか運動は駄目なようで、隅っこで体育座りしているのを教室から見ることがある。


 端から見ればクールで中性的な魅力を持つ成績優秀な完璧美少女だ。

 よく虐めを受けないなと初めは笑ったものだ。

 それも彼女と一緒にいることによって払拭されたが理解できないことも多くなっていたった。


 まあ、一番に理解できないのは、なんで『俺なんか』と一緒にいるのか。という1年前から気になっている事なんだが……。


 そんな彼女は人前で必要以上に話そうとしない、だが自然と彼女の周りには常に人が集まる。

 容姿に見惚れて、才能に嫉妬して、弱い身体を心配して、尊敬劣情。様々な感情を抱く者達に囲まれている。

 それに対し鬱陶しそうに眉間にしわを寄せる姿をよく見かけるが、その表情すら美しく愛おしく見える。


 しかしそれだけ人が集まれば気の合う人巡り会うだろうし、事実そういう集まりの幾人かと楽しそうに昼食をとるのを見たこともあった。

 楽しそうといってもその顔は相変わらず感情の起伏が見かけられなかったが、俺から見れば楽しんでいるように見えた。


 一見すると人付き合いが嫌いなように見えるが実際そうでもない。

 困っている人がいれば手を伸ばし、喧嘩していれば仲介に入るなんてのもよくある。

 女子グループともある一定の距離を置いて均衡を保ちつつ何かあれば助力に入る。

 そういう時の彼女が笑うことや怒ることもないが、みんなそういう彼女を気に入っているみたいだった。


 才色兼備で誰に対しても分け隔てなく優しく接する彼女は半年と経たずに学校の顔となっていた。

 集会で彼女が壇上に上がる姿はすでに見慣れた光景となり、壇上に上がる者は誰かと聞けば誰も彼もが疑うことなく彼女のことを思い浮かべるだろう。

 我が校のホームページにも彼女の写真がよく公開され、学校の名前で画像検索すれば彼女の写真が始めに来ている。最近ではテレビにも出たほどだ。



 それに比べ俺はというと平凡そのものだ。

 通知表も5段階中オール4でたまに5が入る程度。

 平均よりは良いかもしれないが、それ以上行くこともない。

 特出した特技があるわけでもなく性格も顔も平凡そのもの、モブとしてやっていける程度のレベルだとと自負している。


 正直、彼女の側にいるべきレベルではない。

 彼女が好きな奴らからそれを指摘されたこともあるし罵倒されるなんてのもしばしば。



「お前のような奴が岩倉さんの側にいるのは間違っている」



 指を指され大声で言われた時は「そうだ」と本気で思い同意した。

 指指されたことに腹はたったが、彼女に対する怒りの方が強かった。

 おそらく彼女は俺がそんな目に遭うのを知っていて側にいる。きっと戸惑う俺を隠れながら見て笑っているに違いない。

 そう思い込み自分のことを棚に上げて怒りをぶつけた時があった。




 俺はお前の側にいるような資格はないし、それに対して被害も受けている。

 お前がいつも付いてくるせいで俺に迷惑になってるし俺自身もこんな関係にうんざりしている。正直邪魔だとさえ思ってきてる。

 どうせ俺が戸惑い苦しむのを楽しむために一緒にいるんだろうが、そんなことに付き合うほど暇じゃない。

 お前の身勝手な考えに付き合う気はない。

 これ以上付き纏うなら軽蔑する。口もきかない。

 いや、これがお前の求めていた状況かもな。

 とにかくお前が俺と一緒にいるせいでみんなが不機嫌になって俺が迷惑を被る。

 そんな状況にならないため、これ以上近付くな。




 俺が怒りに任せて叫び、それが終わった時の彼女の顔は未だ憶えている。

 瞳に大粒の涙を浮かべ唇を噛み締め、顔は悲しみでぐちゃぐちゃに歪んでいた。

 体は震え、手が胸を強く握りしめていた。


 そこにはいつもの彼女ではなく、年相応に泣く女の子がいた。


 俺だけではなく、俺と彼女の関係が終わることを望んで遠巻きに見ていた奴らも驚愕していた。

 滅多に感情を表に出さない非の打ち所がない彼女が人前で見せる初めての表情だったから。


 結局、俺が彼女の家に出向くまで彼女は不登校となった。

 家のベッドに引きこもっていた彼女はどこにでもいる女の子で、俺さえも知らない岩倉彩だった。

 俺という友人に拒絶されたことを恐怖し、震えるだけの彼女を抱きしめ頭を撫でたのは今となっては良い思い出だ。



 元気を取り戻して登校し始めてからは俺たちの関係についてとやかく言ってくる輩は大分減った。

 まあ、あそこまで取り乱し不登校にまでなったのだ。普段の彼女からは想像もできまい。

 そんなものを見たもんだから、俺はある程度許容……妥協されたようだった。

 俺としては彼女が離れてくれる方が良かったのだが、あれから彼女はますます俺に近付くようになった。


 ならばその頃からだろうか、彼女が俺に対してだけ表情を変え声をはっきりと出すようになったのは……。


 最初のころは今までと違う彼女に困惑しどう接した方が良いのかと思案したものだ。

 それも現在では苦になっていないどころか、俺とだけ接し方が違うことから彼女にとって俺が特別の存在になったのではと考えも改まり気分もよくなっている。

 今は彼女の色んな表情を独占できて内心ニヤニヤが止まらないでいる。


 と、家に滑り込む彼女を見てあることを思い出す。

 年初めに神社で言った記憶があるが、なんとなしに口にしたい気分だ。


「彩!」


 近所迷惑にならない程度の声量で張り上げる。

 頭にハテナマークを浮かべながら俺に振り返り小首を傾げる。

 その何気ない仕草も普段の彼女からしたら驚くべきものだ。そしてそれを見せてくれるのは俺一人だけ。

 今まで気付かないフリをしていたが、もしかしたら俺にとっても彼女は特別な存在になりつつあるのかもしれない。彼女が感じる特別と同じものかは知らないが、少なくとも俺にとって彼女は気付かぬうちに友人以上の存在になっているのかも……まあそれはいいか。

 自分が思う最大限の笑顔を作りつつ声を張り上げる。


「今度、一緒にどこかに行こう! 二人で一緒に!」


 ちょっと大胆だったかもしれないがこれでいい。

 これくらいじゃないと彼女には届かない。それに俺自身もこう言い方の方が慣れつつある。


「……」


 彼女は何も言わず頷きもしなかったが嬉しそうに白い肌を桃色に上気させているのが見て取れた。

 それを確認して彼女も嫌がっていないと確信して手を振る。

 家に入り扉を閉めるまで彼女を見送り、一つため息をつく。


 何も考えずに言ってしまったが、今のは所謂「イケメンだけに許される台詞」なのではないだろうか。

 考え始めると自分の馬鹿さ加減に頭がクラクラする。

 ……また新しい黒歴史を作ってしまったかもしれない。



 頭を振って気分を落ち着かせ、まだ冷たい空気の中を自慢の自転車、クロスバイクに跨り颯爽と駆ける。

 最大までギアを上げ重いペダルを踏み込み今日もまた激坂に挑戦する。

 ギアを一つ下げれば軽く登れるようになったものの、最大では途中までしか登れない。

 そんな無意味な行動を今日も行いながら頭を整理させる。


 今年で彼女との生活も終わる。

 半年前まではずっと願っていたはずなのに、今になってみてみると彼女と離れるのはあまり好ましい気分にならないらしい。

 だからといって彼女を縛り付ける気もないし今からでも俺の元から抜けるならどうぞとフリーハンドで道を譲る気はある。というより、彼女から離れてほしい。

 今の俺には彼女を手放す気はない……らしい。

 ならばせめて、彼女自身からいなくなってほしい。


 負荷で重くなる足に活を入れ、軋む音を立てながら自転車を持ち上げていく。

 今年だ。今年でなんとしても彼女と別れるか何かしらで折り合いをつけよう。

 考えると同時にブレーキをかけ地面に片足を付け肩で息をする。


 また坂の半分で止まってしまった。

 意味はないかもしれないが、これを登りきれば彼女との整理がつきそうな気がして毎日挑戦しているものの、目に見えた成果は今のところない。

 はるか下にある彼女の家に目を向けながら、息を落ち着かせ、これからのことを考えるのだった。

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