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4:      (二)

 

 確かにあの晩、彼は彼女を死の底から救うのに懸命になっていた。そして結果、二人を地獄の底へと至らしめた。それは夢物語でも妄想の産物でもない。紛うかたなき現実の出来事なのである。至らしめたのは“美咲に目撃された時の男”と、“片割れの男”だった。

(片割れの男か……、いったいヤツは何者だったんだ)

 あの検問に待ち伏せていたニセ警官と首無し死体。どう首を捻ろうとも分からない。腑に落ちないことだらけである。

(美咲ちゃんが刺された理由……、この俺に仕掛けてくる理由。どちらから考えたとしても、やつらが結びつく接点が見受けられない。彼女が言っていた“害人間”というものが本当にあるとするならば、それも要因なのだろうけど……。俺までが襲われなくてはならない理由がまるで分からない。まるで分からないんだ。それに……)

 それに、今まで誰にも知られず隠し通してきた彼の能力。そんなものを、さも最初から知っていた少女の存在自体が謎のまま。それゆえに正太郎の心境が宙に浮いたままになってしまう。異能の存在をほとんど正確に把握されていた状態なのだ。しかも成り行きとはいえ、殺されかけたとはいえ、人を一人、見るも無惨な死へと追いやったのだ。己の所業に震えが止まらぬのも無理もないことである。

 俺は自分の立場を守るためだけに人を殺したのか? 自分の満足を得るためだけに力を利用したのだろうか? 彼はこんな事が起きるたびに気が狂いそうになり掛けるほど何度も何度も自問するのだ。己の肉体が滅び、いずれ鬼籍に名を連ねることは必然である。その時、いかにもいかめしい面構えをした地獄の閻魔大王が目の前に立ちはだかるのだ。このどでかい、もうもうとした髭面で真っ赤に気色だった強面の巨人は、俺の顔を上から覗き込み、なんと声をかけてくるのだろうか、どんな顔をして裁決を下すのだろうか。その表情は怒りに充ち満ちているのだろうか、それとも上からものを見る者特有の皮肉たっぷり目線で罪状を述べてくるのだろうか、そんなふうに。その光景を思い浮かべながら自らの理性と本能を闘わせねば、己がとうの昔に独裁者の成れの果てになってしまっていた、ということは想像するに容易いからなのだ。

 彼は、こんなちっぽけな自分にほとほと呆れてしまっている。が、どんなにちっぽけな自分を理解したところで、己の力の強大さは計り知れない。むしろ、互いの関係が反比例運動を起こしていると思える。

 だが、それでも彼は問い続けなれければならないのである。これが公衆の面前だと分かっていながら。これが悪い癖だと分かっていながら。

(あれから、やつらの炎の色が目に焼きついて離れないんだ……)

 彼の脳裏には、奴らの屍を地獄の業火で焼き払った光景がはっきりと浮かび上がってきている。おとついの晩のパトカーもろとも吹き飛ばした閃光が、何度も何度も繰り返されてしまうのである。だから仕方ないのかもしれない。彼の病はとことん闇に向かっているのかもしれない。そのたびに彼は過去の自分に咆えるのだ。

 いったい。いったい俺は、どこへ向かって行けばいいんだ――と。


 あの晩――


 片割れの屍は糞尿の臭いにまみれていた。

 何かこの世に置き忘れていった情念が悪臭となって具現しているように思えた。正太郎は、片割れの腕をずるずると引っ張ってパトカーの中に放り込もうとする。すると、やつの制服のどこからか何か落っこちた。なるほど最近流行りの小型超電子ライターというやつだ。手のひらにすっぽりと収まるサイズでジュラルミン製の高価なやつ。真ん中辺りには何やら丸い文様のようなものが浮き彫りになっている。レア物らしい。案外こいつ……ミーハーなんだな、と鼻で笑ってやる。

 そんなミーちゃんハーちゃんな刺客をパトカーに無造作に押し入れると、運転席側に廻り込み、ボンネットの開閉レバーを引いた。そしてエンジンを覗き込み、形状を確かめる。後方のトランクからの車載用具のバールを探し出し、もう一度エンジンに廻り、ピストン部分に狙いをつけてそれを思い切り振り下ろした。

 がつっ――。

 青白い火花が散る。そうか、さすがにオールセラミックス製のエンジンだな、と彼は感心する。

 それはまるでビクともしない強固な意志そのものだった。天上から振り下ろした彼の一撃では壁を叩き割ることはできなかった。

 まったく……アンタッチャブルとでもいうやつ――

 彼は、一度溜め息をつきバールを膝に立て掛けると、右手の人差し指で鼻の横を掻いた。その時、少年の頃に映画館で観たエリオット・ネスの揺るぎない何かを思い出す。

 アメリカ禁酒法の時代。ネスは“正義”の為に仲間を選りすぐり、不撓不屈の意志で“悪”のカポネを法の裁きへと追いやった。あらゆる脅しや誘惑にも負けず、信頼しきっていた仲間の死をも乗り越えて。

 ふん。比べるまでもない――

 最初はあまりに硬くて歯が立たなかったが、安価な素材と手抜き工程で造られたセラミックス製のエンジンはいとも細かい亀裂を伴いながら、ゴツゴツと派手な音をたてずに崩れていった。いける! と彼は思った。そして、混合気が噴出するピストン部分の辺りを入念に叩き割った。

 ある程度の亀裂を確かめた後、水素燃料分解システムの安全弁ロックを外し全開にさせた。システムのコントロールパネルには、一気にオーバーロードを示す赤ランプが点灯する。

 血の赤だ。真っ赤だ。

 血液と体液の匂いが充満している車内。そこに気化燃料の混合気が相まって一気に腐敗臭のようなものが加速する。

 雨粒が激しくなってきた。そのまま放っておきたかったが、片割れに殺られた二人の警察官の遺体が後部座席から崩れながら突っ伏している。やれやれ。彼は深く溜め息をつき、二人の遺体を抱き上げる。両腕が血液と何かでべったりになる。

 彼は、一瞬だけ念のこもった黙祷を捧げ、丁寧に後部シートに座らせる。首はない。暗がりでよくは分からなかったが、彼らの無念そうな表情が二つ、じっとこちら側を見ているような気がする。彼は何気ない調子でつぶやく。おいおい、そんな悲しい目でこっちを見るなよ。感謝ぐらいしてくれよ。

 最後に、自らの愛車に乗り込み、二台のパトロールカーから移動する。三十メートルは離れただろうか。“片割れ”の自慢のライターの着火ボタンを押し、それを遠くから適確に投げ入れた。閃光が走る。爆風と爆炎が辺り一帯を轟かせる。あっと言う間にパトカーは粉々に砕け散り、後に残ったものが可燃物と一緒に燃え出した。

 あいつら全てを燃やし尽くせただろうか――

 彼は炎を見つめ、そう思った。何をしに、何を求めて俺たちは“殺りあった”のか――。 

 その炎の色は、これまでの出来事すべてを無に帰す勢いがある。いったいこの炎は何色なんだ。彼はそう思った。なにが、なにを、なんのために燃えているのか。まったく予測のつかない色だった。ただ彼はそれをジッと見つめ、頬に当たる熱の感触を確かめていた。


 それがおとついの深夜の出来事だ。あれから何度も思い返した。

 そして彼は、何度も心の奥に言い聞かせていた。それは、自らが殺りたがってやったものではない。あちら側から仕掛けてきたものだ。だがこれだけは言わせてくれ。あれは成り行きなのだ。そうだ、そうなんだ。あれは己の身を守るためのものであり、少女美咲の命を守るためのものだったのだ。殺したくて殺したんじゃあない。奴が気に入らなくて殺ったんじゃない。あれは殺るしかなかったんだ。あの時はああするしかなかったんだ。殺るしかなかったんだ、殺らねば殺られていたんだ、と。

 夕闇の中、窓ガラスに薄っすらと自らの姿が映し出されている。羽間正太郎はその奥でいっしょうけんめいうごめいている“虫”の行列相手に、強く言い訳をした。

 彼の意識は常にこの世界に存在している。誰よりも強くそれを誇示している。あの晩の出来事もそうなのかもしれない。それははっきりとは分からない。だが、見えているのだ。常に感じるのだ。何もかもが。ありとあらゆる何もかもが。

 目の前に通り過ぎる百代の人々の心が。全ての物質の鼓動が。さまざまな人間模様でさえもが――

 だからあれほどの攻撃でさえ予測できる。これは彼による彼の中の厳然たる事実。

 大袈裟なのかもしれないが、それが彼の真実だ。あの夜の異様な攻防劇のように、知り得るはずのない一瞬の動きが、まるでコマを送ったストロボヴィジョンのように見えている。

 いつものことだ。さして気に病むことはない。俺はその核心を辿り、常に何百通りも脳内で演習し、実践する。それだけだ。彼はそう思っていた。

 だが、あの日は勝手が違っていたんだ! 何かいつもと勝手が違っていたんだ! 

 彼は、『新世ええじゃないか』の騒ぎに自らが飛び込んでいった時の事を思い返す。

(俺がやりたいのは、人殺しじゃない! やりたかったわけじゃない!)

 しかし、その様な言い訳が世間でまかり通るわけがない。理解されるはずもない。そんなこと、子供の時分から解かっていたじゃないか。解かり果てていたことじゃないか。やはり人殺しは人殺しなのだよ。そう。夕日が沈むあの日、あの時、あの瞬間にそう結論付けたじゃないか。答えを出したじゃないか。正太郎は渇いた唇をぎゅっと引き締め、喉の奥で声にならない声で叫んだ。

 すべては完璧に隠し通さねばならない。誰にも知られてはならない。それが今までの定石であり、己の生活を守る必然である。しかし……

 どう相手から仕掛けられたにせよ、この虚しさだけは拭えない。

 普段の彼のやり口であれば、彼が疑われるような要因など残すはずがない。あのような派手なたち回りなどするわけがない。

(なのに、まったく俺ってやつは……)

 俺ってやつは――。

 タイヤ痕は残す。血痕は残す。靴跡は残す。あまつさえジャケットの破れた切れ端などはあの辺りに散乱しているはずだ。目撃者がいなかっただけ幸運といわねばなるまい。

 幸運の要因は他にもあった。あの後、激しい風雨が冬の関東地方を襲ったのだ。これはかなりの証拠隠滅の手助けになったのは言うまでもない。



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