初戦
それはさながら、獅子と子猫のにらみ合いのようで。
獅子が軽く前足を振るっただけで、ぺしゃんこに潰されてしまいそうな、弱々しい子猫。
試合開始が告げられようやく沸き始めた会場も、常の緊迫に満ちた興奮ではなく、獅子に弄ばれる子猫に対する嗜虐的な興奮。
そんな空気に包まれる中、朔海はその男を見上げた。
「――先日の書状、ご覧いただけましたか?」
まるでアメフトの選手のような、ガッチリとした筋肉の鎧をまとった巨漢だが、その均斉のとれた体つきからはむさ苦しさは感じない。
後ろへ撫で付けられた髪の色は、金色。――まさに、獅子のたてがみのようだ。
「おう、一応読んだは読んだぜ?」
歳は、まだ比較的若い。――もちろん、吸血鬼という種族としては、だ。
確か実年齢は500歳代後半、――人間換算では二十代後半。
吸血鬼であることを思えば、比較的日に焼けたような肌の色をしている。小麦色、と言うには流石に白すぎるが、飴色に炒めた玉ねぎのような、吸血鬼にしては健康そうな色。
その肢体に“火”を冠する者らしい朱色の生地に金糸で刺繍を施した戦袍を纏った彼は余裕の体で肩をすくめ、首を傾げて見せた。
「だが、ほぼ無位に近いひ弱なお坊ちゃんがよくも、仮にも四大公の一人である俺に対して随分と上から目線で命じてくれたよなぁ?」
炎のように赤くぎらつく瞳で朔海を見据え、彼は舌なめずりをしながら獰猛な笑みを浮かべた。
「ソッコーで断った上、礼儀を知らねぇガキにヤキ入れたろうと思った矢先に、今度はコレだもんなぁ? ……ああ、頼まれるまでもねぇ。わざわざ領地から重い腰上げて来た他の連中には無駄足踏むハメになってご愁傷様だが、この初戦で俺がお前を景気よく灰にして散らしてやる――ぜッ!」
ゴウっ、と音を立てて、朔海の鼻先を火炎の軌跡が掠めた。
――マーズ公お得意の武器。
その武器を、一般的な名で呼ぶならば、流星錘と呼ぶのが正しいだろう。
だが、それは彼仕様に大幅に改造が施され、最早基本の形状以外は別物といっても良い代物になっている。
「う、うわぁ、どんだけえげつない武器だよ、アレ……」
それを見た潮がこそりと呟いた。
通常、流星錘とは、数メートルの縄や鎖の片方、或いは両方に「錘」と呼ばれる金属製の重りをつけて振り回し、それを相手にぶつけるなどして使う武器である。
その鎖の長さや錘の重さは、確かにある程度幅があるのは確かだが――しかし、あれは。
「火のついたピンをお手玉する大道芸ってのは、テレビで見た事あったけどなぁ……」
鎖の両端にあるのは、無骨な金属の塊……ではなく、燃え盛る炎――。
正確には、炎を閉じ込めた金属の籠を、ブンブンと頭の上で振り回しているのだ。
バスケットボール大の球体をしたそれは、球を入れるネット網の如く張り巡らせられた金属製のカゴになっている。……しかも趣味の悪いことに、それはまるで蔓薔薇の如き刺を纏う。
そして、その無骨な揺り篭に守られ暴れ狂う炎は――
「俺が扱う炎は、そんじょそこらの炎とは訳が違う。魂まで焼き尽くす地獄の炎だ。――決して燃え尽きる事のない、焦熱の炎の味、とくと味あわせてやる!」
炎の素となる可燃物も燃料の類も無いのに、轟々と勢いよく燃え盛るそれが、勢いよく振り回されることによって、周囲に火の粉を撒き散らす。
下手に触れれば、ただの火傷では済まない炎。
運良く炎を避けても、それを囲う籠を覆う刺には勿論、彼自身の血――強力な魔力を秘め、それだけ恐ろしい毒となりうるそれがたっぷり仕込まれているはず。
そして、一見、金属の塊ではなく骨組みだけの籠仕様になっている分、重量に依る破壊力や耐久力は落ちているように見えるが――
「あれ、何だ? ただの鉄や鋼じゃないよな?」
「……ヒヒイロカネ、って聞いたことある?」
「おお。……聞けば聞くほど、えげつねぇ武器だな。ンで、どうするんだ? どう見ても素手でかかっていけば、お前なんかあっという間にひと捻りだろ」
どんなに体格に恵まれた相手だろうと、敵が人間ならば、吸血鬼たる朔海の腕力で瞬殺できるが、相手も吸血鬼では……。
「そうだねぇ、血の素養だけなら僕の方が格上ではあるんだけど……」
彼は、『四大公』の一人だ。『四大家』の様な恵まれた血の素養も、一族の家格の恩恵も無いままに、己自身を磨き上げた成果で以てその地位を得た。
当然、実戦経験では朔海など彼の足の裏にも届かない。……血の素養があるだけでは、足りない格差がそこに生まれる。
「でも、そういう事ならさ、僕の方にも一応、アドバンテージはあるんだよ。唯一、彼らに対し一日の長があると主張できるものが……」
ブンっ、と空気を裂く音と爆ぜる炎の熱とが再び朔海に襲いかかる。
宙を舞う燕のように素早い一撃。炎玉が、朔海の胴へクリーンヒットし、その身体を引き裂き――朔海はしかし、一瞬早く手に馴染む使い慣れた小刀を握り締め、篭手に覆われていない左腕に刃を走らせた。
ブンッ、と、空を切った炎玉が朔海の残像を蹴散らし、派手に血飛沫が舞った。




