姿を消した嵐
――濃い、血臭。
今の今まで嗅いでいた、ルナ一人のそれだけでも苦しかったのに。
呼吸のために吸い込んだ空気に、それ以外の匂いを探すことが困難なほど、鉄臭い匂いしか感じない状況で。
清士に回復の術を施され、吸血も済ませてきた咲月でも、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう程に、甘い誘惑に満ちたこの場所で。
咲月は、視界のチャンネルが切り替わると同時に、限界まで目を凝らして彼の姿を探す。
翼を広げ、宙を舞い、視界を広げれば、やけに赤が目に染みる。
葉月と共にいた第一陣が、既に街へと入り、狼たちの回収を始めているが、彼らが流したものではない血だまりが明らかに増えている。
“力”を持つ、狼の一族の血も、美味しそうな匂いはする。
それでも、やはり吸血鬼が一番に求めるのは人間の血で、しかも希少価値の高い“力”を有した血の香りは、お腹一杯でも、なんとなく空いている気分になってくるほど魅惑的なものなのだと、改めて実感しながら、あれが街の人間の血だと確信する。
その被害は、街の家屋や草木にまで及び、まるで街中を竜巻が蹂躙していったような有様である。
だがその割に、倒れ伏しているのは狼たちばかり。
人間たちはそれぞれ塊になって、腰を抜かしたように座り込んではいるが、倒れている者は見当たらない。
しかし、血臭は確かにあり、よく見れば、彼らの纏う衣のあちらこちらに赤黒い染みが見える。
こうして見る限りは、致命傷を負った者は居ない。――が、目の前の事態に立ち向かう気力は失せている様で、街を使い魔とはいえ魔物が闊歩するのもぼんやり眺めるだけだ。
この有様は、ローレル様が暴走した結果だろう。
「ローレル様は……、何より、朔海は……?」
別れたのは、ローレルの祠の祭壇前だった。
しかし、今そこに二人の姿はない。
代わりに、一際大きな集団がそこに居た。
その中央で、唯一地面に横になっているのは……
「あの人……」
咲月の父親だというあの男。
ざっと街を見渡しても、二人の姿は見当たらない。
咲月はまず、彼らのもとへ舞い降りた。
彼らと言葉を交わすため、竜化を解き、彼らにゆっくり歩み寄る。
「……潮、通訳をお願い」
彼らの言葉を、咲月は直には理解できないが、潮と意識を共有することで、彼らが何を言っているのか知ることはできる。
けれど、咲月が彼らの言葉を話せない以上、咲月の言葉を彼らに伝えるには通訳が必要だ。
『その人、怪我の状態は……』
酷い血臭の中、一際濃く薫る匂いの元は――彼。
『――良ければ、これを。強制はしませんが』
その様子に、咲月は晃希に教わった術を込めた自らの血で作った丸薬を手のひらに乗せて差し出し――
『できれば、あの後の事、教えていただけませんか。ローレル様達の行方も』
咲月は、潮と繋がる朔海の気配を指標に飛んできたのだから、間違いなくこの近辺にはいるはずなのだ。
「ぐ……」
しかし、彼は呻くばかりで言葉らしい言葉を喋る余裕もないらしい。
『その薬は?』
代わりに、彼の使い魔が問い返してくる。
『癒しの術を仕込んだものです。簡単な術ですから、それ程の大怪我だと完治させるまでには至らないでしょうが、少しはましになるはずですから』
『……そうか。助かる』
使い魔である彼は、主が儚くなれば同時に消える運命にある。
そのせいだろうか。警戒はしつつも、割と素直に受け取った。
『――ローレル様は……あの男が連れて行った』
丸薬をアーサーの口に無理やり押し込みながら、彼はムスっとしたままボソリと呟いた。
『ローレル様が怒り、我らに刃を向けられた……。それに対して為す術もなかった我らが致命的なほど切り刻まれる前に、あいつはローレル様と共に姿を消した』
「……姫様。確かに奴の気配は今、ここにあります」
潮が、日本語で咲月に囁いた。
「次元を渡った形跡は?」
「――ありません、が……一つ。一つだけ、心当たりの場所があります」
潮が駆け出す。
「姫様!」
言われるまでもなく、咲月も彼を追って走る。
目指すのは――街の中、一際大きな屋敷。
ルナが囚われていた、あの屋敷……
「朔海……」




