モーガンの軍勢
――それは、獣の群れだった。
四足で駆けるもの、翼で翔けるもの、それぞれ居るが……
ここが、魔界でも次元の狭間でもないはずなのにと、咲月が一瞬自分の居るこの世界がどこだったか――まずは足元を、そして空を見上げる。
眼下には、日本育ちの咲月の目には珍しい、ヒースの荒野。
空は、少し重い雲のかかった、咲月の目にもそう珍しくはない空模様。
日本に比べ、雲のかかる天気の多い地域柄ならではの天気だが、それでも遮りきれない太陽の存在を、吸血鬼となった咲月の肌が確かに感じ取る。
――ここは、確かに人間界……の……はず、だ。
だが、つい我が目を疑いたくなったのも無理はないはずだ。
……朔海と知り合い、葉月の医院で初めてそれを自分の目で見たあの時まで、単なる空想の産物だと信じていたものたちが、大挙して押し寄せる――
短い間とはいえ、次元の狭間で暮らし、魔界へ移住し。魔王にまで謁見すれば。
ここが人間界でなければ、咲月はこの光景にももう、眉一つ動かすことはなかったはずだ。
しかし、よくよく目を凝らしてみれば、コマドリや野うさぎに野ねずみが驚いて逃げていく姿があるような状況で、幻獣の類をこれほど多く目にするなんて。
その真ん中にある葉月の姿を見つけ、心底ホッとするのと同時に、咲月の頭には大きな疑問符が浮かぶが……
しかし、今は一刻を争う。
今にも消えそうな命の灯火の前に、それは瑣末な事と、咲月は余計な思考を振り払い、大きく息を吸い込み、腹の底から声を出す。
「葉月さん!」
彼に、自分の存在を気づかせるため、彼の名を呼ぶ。
まだまだ距離はあるが、彼も半分ながら吸血鬼で、しかも狼の血を引く一族に属しているから、それでも充分聞き取れるはず。
咲月のその思惑通り、すぐさまその一群の中から、一人飛び出し、こちらへ向かってくる。
その表情は、険しい。
咲月の隣に、朔海が居ないこの状況で、咲月だけがこうして引き返し、葉月を喚ぶ理由を考えれば、何かあったと察するには十分な状況だ。
「咲月様、どうなさいました――」
すぐさま、葉月から問いが返ってくる。
「お願いです、彼女を助けてください!」
潮が、静かに降下し、ふわりと着地するのに続いて、葉月も騎乗していたグリフォンから降りた。
近くで見れば、そのグリフォンには見覚えがあった。
間違いない、ファティマー師匠の使い魔だ。
それに気づいて後ろの一群をもう一度見直せば、ちらほらと見覚えのあるものたちを見つけることができる。
「ファティマー様のご尽力により、モーガン一族が所有する使い魔たちをお借りして参りました」
……当然、現地で戦闘になると踏んで、負傷した者たちを運搬する足が必要になるだろうと、彼女のいつもながら逞しい商魂が発揮された結果らしい。
咲月は、そう遠くない未来に届くはずの請求書に肩を落とす朔海の姿が鮮明に頭の中に浮かび、申し訳なさで一杯になりながら、葉月を彼女の傍へと導いた。
「この人が、私のお母さんだって……。でも、まだまともに話もできていなくて……」
一目見ただけで、とたんに葉月の顔が険しくなる。
これに似た表情を、咲月は前にも目にした事がある。
――紅狼の配下が葉月の医院を襲い、それを迎え撃った朔海が負傷した時と同じ表情。
正直、負傷の度合いを言えば、あの時の朔海の方が酷かったが……それでも彼は吸血鬼の中でも力ある血を受け継ぐ王の子だった。
あの時の彼には意識があり、彼自身が時間さえあれば特に治療などせずとも自然治癒は可能だと言っていた。
けれど、彼女は多少特殊な力を持ってはいても、肉体は人間のもの。
ファティマーも言っていた。
……傷を負う前に、その力でその度合いを軽減させる術はあるし、体力を一時的に高める術もある――が、所詮は人間という器の範疇から越えるものではなく、決して吸血鬼たる彼のような丈夫さには届かないのだと。
「……負傷者が居る可能性も考えて、多少の医療用具も用意はしてきましたが――これは、到底それで足りるものではありませんね」
葉月もまた、一見してそう判断を下した。
「――ファティマー様が、朔海様の屋敷の地下にて準備を整えて下さっています」
次元の狭間の彼の屋敷の地下には、彼女が拓いた魔法陣がある。
「ファティマー様に、緊急用の“入口”を預かっております。――参りましょう」
詳しい説明の一切ない彼の言葉に、咲月は時間をを惜しむ事情を汲み取り、急いで頷いた。
葉月は懐から何やら鉱石を取り出し、それを強く握り締め、拳ほどの大きさのそれを握り潰す。
すると、とたんに青白い光がそれから爆発的に広がり、見覚えのある陣を宙に描き出し――咲月が、反射的に“出口”の名を唱えれば、視界は瞬時に見慣れた場所へと切り替わっていた。




