二人の使者と二つの書状
「――紅狼様!」
従卒が、慌ただしく扉を叩いたのは、紅狼が、例の命令の伝達を指示してしばらくの後の事だった。
紅狼は、先だっての命令に対する返答の使いであろうかとも思ったが、何やら様子がおかしい。
「ええい、うるさい!」
怒鳴りつけながらも、紅狼は従卒の入室を許し、要件を促した。
「それで、何用だ?」
「――はっ、それが王宮より使いが参りまして……」
「何、王宮から使い?」
もしや、各貴族らに探りを入れた件で部下が何か粗相をし、こちらの企みをあちらに気取られたのだろうか……?
一瞬、その懸念が頭をよぎったが、それはすぐさま目の前の従卒によって打ち消された。
「はっ、“綺羅星”の名で、旦那様宛の書状を預かっているとの事で、その書状の要件についての返答を願いたいと……!」
王ではなく、王子から――それもあの綺羅星からの使者。
ならば、何の問題もない。
王子という称号以外何も持たないあの者に、こちらが貴族たちへ探りを入れていたことなど知りようがない。
例え何かの間違いで漏れたとしても、何のツテも権限もないあれが何を言ったところで誰も相手になどしない。
ましてや、四大家の一つ、アルフ族の長である紅狼に対し、あれが行使できる手段など無いに等しい。
だが、本当に気取られたのだとしたら、流石に見過ごしはしないだろう。
現地で直接やり合う事になる可能性が出てきた。
まあ、所詮綺羅星とは言え、あの力を思えば、油断してかかっては先日の二の舞になる。
あれだけに任せず、アルフ族の総力を上げて事にかかるべきかもしれない。
従卒が差し出した紙切れを受け取りながらそう思案し、伝令役を呼び戻そうとベルへと手を伸ばし――
紅狼は、書状に書かれたその内容に目を剥いた。
そして顔を真っ赤に染め、ぶるぶると震える手で、紙切れを握りつぶした。
「何を……あの綺羅星めが、図に乗りおって……。言うに事欠いて、この我に膝を折れとのたまうか、身の程知らずめ!」
ガン、と執務机の天板を力いっぱい殴りつける。
「しかも、断るならば公開仕合をしろだと……? ふざけるなよ……!」
誰がこんなものに乗るものか。
そう、己の従卒に喚き散らそうと口を開けたその時、再びやかましく扉を叩く音が、その言葉を彼の喉奥に押し込めた。
「ええい、今度は何だ!」
代わりに扉の外の人物へ怒鳴り散らせば、引きつった声が新たな使者の来訪を告げた。
「お、畏れながら……! 儀典省よりの使いが参りまして……!」
「……何?」
儀典省は、――とくにその長官は、王ですら一目を置かざるをえない存在だ。
ましてや、王位を欲さんとし、近々その位に就こうとするなら尚更に、邪険には扱えない。
「――分かった。使者殿は応接間に通し、丁寧にもてなせ。我もすぐに行く」
「いえ、それが……。この書状のみ置いて、お使者様は既にお帰りになられております」
差し出された紙片。
確かに、儀典省の紋章が押印された封蝋がしてあり、差出人の名は“瀧守”と記されている。
長官直々の知らせは、先日の『王族認証の儀』への招集状以来だ。
今、このタイミングでの書状に、先程以上の懸念を抱きつつ、ペーパーナイフで封を切り、中の書状を開く。
『竜王位への挑戦者が現れた。よって、規則に則り明後日に公開仕合を招集する。四大家の一、アルフ族首長紅狼様にも四大家当主としての義務として仕合への参加を要請する』
そして、その書状の最後に記された、挑戦者の名は――
「綺羅星……」
成る程、これは先の使いが持ってきた紙切れとは訳が違う。
儀典省が定める各種称号を得るための条件を記した規則、そしてその条件への挑戦に関わる規則。
これに反することはこの国に存在する全ての称号を貶める事になるとされ、許されぬ行為とされる。
もしも逆らえば、直ちに儀典省から差し向けられた役人たちがその罪状を携えて、全ての身分と称号を剥奪しに来るだろう。
それに抵抗しようとすれば、即座に儀典省から要請を受けた軍務省の武官が動き、捕らえにやってくるだろう。
万が一、それを逃れたとしても、もうこの種族の中でやっていくことは出来なくなる。
少なくとも貴族に名を連ねることは許されなくなる。
綺羅星の要請は断れても、儀典省の要請を断る事は出来ない。
「……あの身の程知らずめが。こちらが断ると見越して手を打ったつもりだろうが、笑止。いくら竜王の血の使い手とは言え、所詮は綺羅星。いかに優れた武器を持とうと、その使い手がなまくらでは意味を成さん」
彼の持つ力が本物であることは、あの日嫌という程見せつけられたが、あれの本質を思えば、さしたる驚異ではない。
「いいだろう、お前の思惑に乗ってやろう。……そこへ乗っかった上で、我が直々にその思惑ごと喰い尽くしてやる」
紅狼は上等な便箋とペンを取り、了解の意を記した書状を書き付け、従者へ託す。
「おい、我の戦袍を持て。一番上等で、見栄えのするのを選んで来い」
だが、一つだけ懸念がある。
それは、仕合いの順番だ。24時間以内に倒すべき四大家の長と四大公。
しかしその順序は特に決められてはおらず、それは慣例に則り、その時ごとにくじで決められる。
その順番しだいでは自分と同じ事を考える他者に美味しいところを持っていかれる可能性がある。そしてその確率はかなり高いだろうと予想される。
むしろ戦いそのものよりもそちらのほうが余程も問題である。
……他での事なら紅狼は即座にくじに細工するよう命じ、係りの者を買収するなど工作をしただろうが、儀典省は殊のほか公明正大を重んじる。
力が全てが唯一の掟、とは言え、本当にそれだけで動いては、低俗な魔獣と変わらない。
悪魔に次ぐ力と知能を持ち合わせた誇り高い種族として、この手の規律は大いに重要視されるのだ。
下手に小細工をした事がもしも漏れたとすれば、その者の権威は即座に地に落ちる。
どんなに力を持っていようと、王位を狙うどころではなくなる。
そこが歯がゆいところだが、今回ばかりは己の運を信じる他ない。まあ、運も実力のうちとはよく言ったものだ。
「……良いだろう。さて、もしも今回万が一のことがあっても、我にはまだ策がある」
先ほど命じた仕事が上手く運べば、もし今回の事が裏目に出る結果になってもまだ挽回のチャンスは残されている。
紅狼は、従僕たちに声高に命じた。
「表へ馬車を回せ! 王都へ参るぞ!」