戦場の只中で
その大半が、野太い男の声だ。
彼らが使っているのは、日本語ではない。……おそらく英語なのだろうと思われるが、発音に癖があって、聞き取りにくく、咲月の英語力では彼らの発する言葉は殆ど意味不明だが、それでもその声が恐慌状態にある者の叫びである事は嫌でも分かった。
――何より。
慌てて風の精霊の助けを借りて起こした暴風が巻き込み、そうして咲月の鼻孔に届き、その嗅覚をくすぐる甘い香りは……
「血の、匂い……」
当然、それまでだって狼たちを防ぐ男たちが全くの無傷でいられたはずもない。
ふわりふわりと、普通の人間では持ち得ない、特殊な力を持った者の血の匂いが、咲月の中の吸血鬼の本能をくすぐってはいた。
だが、細かい傷から滲む程度の量なら、少し離れればすぐに掻き消え、気をつけてさえいればそう気になるものでもなかったのだが。
その香りの濃度が、一気に増した。
濃厚に香る、甘い誘惑に満ちた香りに、思わず酔いそうになるが、つまりこれは……
霧を吹き飛ばし、そうして視界の晴れた眼下に広がる、凄惨な赤い色。
咲月たち同様、視界を奪われた彼らの隙をついた狼たちの牙を受け、深々と穿たれた傷から見る間に溢れ、地面が赤く染め変えられていく。
その香りに魅了されたのは、どうやら咲月ばかりではなかったようで、その香りの元である血を求めて、狼たちの多くが結界よりもそちらに興味を惹かれ、殺到する。
……彼らは、狩人とはいえ、身体は普通の人間だ。
吸血鬼となった咲月であれば、血を飲み、少し休めば回復できるだろう傷だが、人間である彼らにとっては一生に関わる大怪我を負い、それでもまだ動けているのは、彼らがその生業故の訓練の成果だろうが……
中には片腕、片足を持って行かれ、腹からとめどなく血を溢れさせている者も居る。
……もしかしたら、あの中に咲月の父親も居るかもしれない。
身体は吸血鬼となり、こうして血の匂いを嗅げば、つい喉が渇いてくるくらいには吸血鬼としての本能も馴染んでいるけれど、それでもまだ咲月の意識は人間として生きてきた時の常識と考え方の方がまだ強い。
血の匂いに酔いそうになりながらも、眼下の凄惨な光景に思わず吐き気を覚える。
矛盾に震える心に、朔海の声が響く。
『……咲月、連中の相手は僕がするから、君は彼らについていて』
そう、吸血鬼の力を持っているなら、咲月に出来ることがある。
以前、彼がしてくれたように。
失われたものを元に戻すことは出来なくとも、生死の境を彷徨う者をこちらに引き止め、負った怪我を癒す事なら可能だ。
炎を吐き、狼の群れに自身の竜の巨体を割り込ませ、追い散らす彼の後ろで、咲月は術を忍ばせた蝶を飛ばす。
今回は、毒ではない。――咲月が吸血鬼になる前、朔海が咲月が負った傷を癒してくれたように、その為の力を持たせた蝶を飛ばす。
朔海が追い立てる狼達と、狩人たちとの間とタイミングを見計らい、咲月はもう一度、改めて結界を張り直し、一回り大きな結界に、狩人たちを匿う。
突如現れた無数の蝶にはじめこそ戸惑い恐れた彼らも、それがもたらすものに気づけば、少しばかりの落ち着きを取り戻す。
……ここは、もう大丈夫だろう。
流石に、荒事には慣れた様子で、重傷を負った者たちは素早く回収され、それぞれ負った怪我の応急処置を手早く済ませている。
それでも、やはりまだ不信の目はこちらに向けられる。
狼たちが完全に退かない限り、落ち着いて話をするのは無理だろう。
結界の外では、獲物を奪われ、憤った獣たちが朔海たちに群がり、牙を剥いている。
まるで、特撮映画のような光景だが……
何しろ巨大狼を相手に多対一だ。
そして、厄介なことに彼らは見た目通りの“獣”ではない。
「馬鹿者、惑わされるな」
その、鶴の一声で、暴れまわっていた彼らがぴたりと静まり、揃って尾を巻き、頭を下げる。
彼らの視線の先には、一際大きな赤い狼。
未だ、回復は完全ではないらしく、毛艶はいつぞやにも増して悪い。
……だが、その目に宿る狂気は――いつぞやとは比べ物にならないほどの悪寒を、咲月に抱かせた。




