厄介な報せ(2)
「――姫様!」
彼の姿が、気づけば見えなくなっていた。
大勢が行き交い、あちらこちらに固まるこの場所で、常にその姿を意識する余裕は、今日の咲月に無かったけれど。
けれど、しばらく前から全く彼の姿をとらえられなくなっている。
もう、本番前日で、今日は執務室に戻る事もなくほぼ現場で直接指示を飛ばし、動いていたはずなのに。
気づいたときには、朔海が居るはずのポジションに、朔海の側近衆が立ち、彼がしていたはずの仕事をしている。
――彼は。朔海は、どこに……?
それに気づいて、会場を見渡した咲月の耳に、やけに切羽詰まった様子の潮の声が届く。
側近衆の中から、迷わず葉月の腕をかなり強引に引っ張りながら、こちらに手を振り、手招きながら、咲月を呼んでいる。
「……ごめんなさい、少し外すね」
咲月を手伝ってくれている者たちに断って、潮たちについて会場を出る。
潮は、そこから一番手近な、人気のない小部屋に、葉月と咲月とを押し込んだ。
「潮? 何、どうしたの?」
途中、随分と強引な彼に、葉月と咲月とで何度も尋ねても、彼はそれに答えることはなかった。
「……姫様、落ち着いて聞いてください」
その部屋の扉を、きっちり閉じ、さらに窓の戸締りを自分の目で確認して、ようやく彼は口を開いた。
「姫様、つい先ほど、お師匠……ファティマー様から良くない知らせを受けました。……オレとして目覚める前の、精霊の種だった頃のオレの生まれ故郷の村が、紅狼の襲撃を受けています」
潮は、焦った様子もなく、毅然とそう、“事実”を語った。
「先にそう報告を受けたあいつが、先行して奴らの足止めに向かっています。あいつがその場に到着し次第、オレもそれに加わります」
「……潮の、生まれ故郷」
「はい。……それは同時に、姫様の生まれ故郷でもあります。……記憶もなく、実感は無いでしょうが……姫様の、実のお母上と……父君も居られます。だから、あの腐れ狼が目をつけたのだろうと、あいつは言っていた。だから、今戦闘に出ていない他の一族を拘束して欲しいと、あいつがあなたに告げて欲しいと」
その村について、朔海は以前、葉月に相談を持ちかけたことがある。
だから葉月も、一応の事情は把握していた。
――だから、こそ。
「……全く。往生際の悪い。身内の恥もいい所だ。――本当なら、むしろ私が真っ先に奴を叩き潰しに向かいたいところですが……、残念ながら今の私ではただの足でまといにしかなれないでしょうからね。……承知しました。今すぐ手配して参ります」
「――姫様に、この事をお伝えするかどうかは、オレの判断に任せると、あいつは言いました」
葉月が部屋を出て行った後で、もう一度しっかり扉が閉まっているのを確認して、潮は再び口を開いた。
「姫様に、一つ、内緒にしていた事があるのです。……オレは、あいつと一緒に一度、その村に忍び込んで、姫様のお母上様とお話した事があったのです」
そう言って、あの日――咲月が急きょ一晩ファティマーの店に泊まり込むことになったあの時の事情を彼が話し始める。
彼が――そして朔海が知る限りの、咲月の出生の事情を。
「……オレも、あいつも、その話を聞いて、とても姫様にお話出来ませんでした。けれど、あの腐れ狼がそんな事情を知っているとも思えません。きっと、どこからかあの村が姫様の血縁だとだけ知って、そこを叩けば姫様の足を引っ張れる、そうすればあいつにもダメージを与えられる。そう思っての事だと、オレは思うんです」
聞かされた話は、途方もなくて。でも、やっぱり実感は湧かない。
「姫様のお母上の事は、今回の一件が片付いて、あいつが王として落ち着いたら、姫様にお話して、姫さまのご意志次第では、お城にお迎えするつもりだったんです。けど、こうなった以上はこのまま姫様に黙ったままではいられません」
なのに、朔海はそこまで考えてフォローしてくれるつもりだった――。
いや、実際に今、この大事な時に、咲月のためだけに、本来無用だったはずの戦いの場に向かってくれているという。
「……うん、そうだね。潮、教えてくれて、ありがとう」
正直なところ、いくら言われてもやっぱり今は自分の実の両親だの故郷だのと言われても、良く分からない。
でも、そこへ朔海が出向いていると聞けば、話は別だ。
「潮、私も行く。……場所は、あなたも知っているんでしょう?」
「はい、姫様。多分、そろそろあいつから喚びかけがある頃だと思います。――姫様、オレと同化出来ますか?」
潮は、契約の繋がりを辿って、いつでもどこでも、朔海と咲月の傍へと顕れる事が出来る。
「でも、その繋がりは、あくまで精霊のオレだけが使えるもので、オレが姫様を連れて行く事は出来ないのです。でも、オレと同化することが出来れば、オレと共に飛ぶ事は出来ます」
潮が、その手のひらで咲月の手に触れる。
「姫様、オレの力と姫様の力、上手く同化させられますか?」
同時に、暖かい――潮の力がそこから流れ込んでくるのを感じる。
咲月は、それを素直に受け入れ、同時に自分の力を重ね、波長をゆっくり合わせていく。
それは、他の精霊の力を借りる時と似て非なるもの。
潮も精霊だけど、彼は、咲月の半身でもある。
その波長は、元々咲月の力と酷似している。
彼の力と、咲月の力。特に区別することもなく、全身に力を巡らせる。
全身に温もりが広がり、それが脳へと届いた時、ふっと、咲月の意識が一瞬、真白に染まり――
「姫様、飛びます!」
脳裏に、潮の声が直接響いた、その直後。
次元の狭間にある移動の魔法陣、あれを初めて使った時と似た、それを倍にしたような感覚を覚えた。
そして、ようやく感覚がクリアに戻った、と、そう自覚した咲月は――息を、呑んだ。




