つかの間の触れ合い
先日、儀式の際に訪れた、彼の私室があった北塔は別の建物。
葉月が言うには、『旧中央塔』という、北塔よりは広いというだけの、扱いとしては北塔と大差なかったそこを、急遽修繕して使っているらしい。
「……ここが、君の部屋。――今は現王妃が使っている後宮に移るまでの、仮の住まいだけど」
日本の住宅事情に慣れていた目には十分広く感じる、けれどここしばらく朔海の屋敷に滞在していた今の咲月の目には、少しばかり窮屈にも見える。
この魔界で、人界の、それも日本固有の単位を持ち出すのもどうかとは思うが……、大体12畳、といったところだろうか、この部屋の広さは。
そこに、ベッドが1台、机と書棚が一つ、化粧台とクローゼット、ソファが一つ。
それぞれデザインのシンプルな物が置かれている。
ここまで荷物を運んできた涼牙からそれを受け取り、
「涼牙、まずはセレナの案内を頼む」
朔海は彼に命じた。
「では、私は彼らと共に先に会場へ行ってお待ちしておりますよ、本日の主賓の登場を」
朔海の命令に従い部屋を出ていく涼牙とセレナの後を追うように、葉月もまた部屋を後にする。
パタン、と、扉の閉まる音がして。
少しの静けさが部屋を支配する。
部屋にいるのは、咲月と朔海だけ。
「……たった、半月だったのに。――なんだか、凄く久しぶりな気がする」
部屋の外の静けさを確信した直後、咲月は朔海にしっかと抱きくるめられていた。
「……うん」
久しぶりに感じる、彼の体温に、咲月の体からは自然と力が抜けていく。
「本当は、ゆっくり色々君と話したい。……だけど、ごめん」
「……うん、分かってる。馬車の中で葉月さんからも聞いてたし」
朔海が、クローゼットの中から一枚のドレスを出してくる。
「私は、のんびり保養しに魔界へ来たんじゃないもの。朔海の隣で頑張れるなら、今はそれで十分だから」
それを受け取りながら、咲月は朔海に背を向けた。
今朝、このドレスを着付けてくれたのはセレナだ。
一人で脱ぎ着できない、豪華なドレス。その着替えを手伝うのは、当然侍女の仕事。
でも、セレナはたった今涼牙について部屋を出て行ったばかりだ。
彼の指が、背中のリボンに触れる。
するすると、少し窮屈だった腰周りに余裕が生まれ、苦しかった呼吸が、僅かに楽になる。
咲月がホッと一息つくのと同時に、素肌に彼の手が触れ――
「――姫様」
二人きりだったはずの部屋に、突如甲高い声が割って入った。
「うわぁ!?」
「ひゃあ!」
「……まさか、また?」
最初の呼びかけより随分と低い声。……元の声が高いから、それでも可愛い声だが、少し不機嫌の色が混じっているのがすぐに分かる。
また、忘れていた?
……手遅れ、という気もしないでもないが、真正直に肯定してしまうと、後が怖い気がして、朔海は慌てて笑顔を取り繕った。
「いや、それこそ、まさかさ。……けど、誰だって突然声をかけられれば驚くだろう?」
急いで咲月の着付けを済ませ、潮を抱きすくめ、頭をくしゃくしゃと撫でくり回し――文句を言うため牙を見せるその口の中に、朔海はぽいっとポケットに入れていたそれを詰め込んだ。
「――ンむ?」
咲月や朔海にとってはごく普通のサイズのチョコレートトリュフ。
しかし、まだ人間の幼児くらいの背丈しかない潮の口を塞ぐには十分だった。
まるでハムスターのように頬を膨らませた潮は、悔しそうにしつつも口の中に広がる甘さに目を泳がせる。
「潮、今日は君のことも改めてきちんと皆に紹介するつもりなんだ。……そのために、涼牙に衣装を用意させた。早速着替えて欲しいんだけど、手伝いはいるかい?」
朔海が潮の目の前に広げて見せたのは、彼の体のサイズに合わせて作られた、タキシードだ。
「……着替えくらい、自分でできる」
もぐもぐと、口の中いっぱいのチョコレートを急いで噛み砕いて飲み込み、潮はそれでもまだ膨らみ気味の頬をしたまま、奪うようにそれを朔海から受け取った。
「――着替えてくる」
そのままこちらを振り返らず、潮は小走りに部屋の外へと出ていく。
……だが、彼の尻から生えた彼の尻尾は――疑いようもなく目一杯左右に大きくパタパタと振られていた。
朔海は、咲月と顔を見合わせ、思わず吹き出してしまった。
けれど、それを彼に知られたら、ますます彼はへそを曲げるだろう。
お互い、笑いをこらえながら、その背を見送った。




