一つの可能性
食卓に並ぶのは、至って簡素なメニュー。
山型食パンのトーストに、ポテトサラダ。オムレツに、カリカリに焼いた厚切りベーコン。オニオンスープとヨーグルトのイチゴジャムがけ。
街中のカフェで食べられるモーニングセットのような献立だ。
――ただ一つ、人間界のカフェでは絶対にお目にかかれないだろう一品がグラスに注がれている。
「……葉月が僕の側近に収まって、唯一困るのが――これ……だよね、やっぱり」
ため息をつきつつ、ワイングラスに半分ほど注がれたそれを、まず先に傾け、朔海は肩を竦めた。
「ファティマーや『夢路の導き』に頼んで融通してもらう事も出来なくはないけど。……手間とコストを考えると、今はまだ難しいし……何より――」
言葉の途中で、ちらりと給仕を仕切る涼牙に視線をやると……
「朔海様」
ちくりと刺すような声で名を呼ばれる。
「……仮にもこれから王位につこうという者がそれでは示しが付かない、だそうだ」
それに対し、もう一度肩を竦めつつ、続ける。
「だとしても、やっぱり……紅狼みたいなやり方は絶対に出来ないし、緊急時以外に奴の血なんか飲みたくないし」
苦虫を噛み潰したような顔をして、普段の彼らしくなくパンを乱暴に噛み千切る朔海を苦笑しつつ眺めながら、葉月もそっと自分の席に用意されたグラスに手を伸ばした。
「……けど、だからといって彼女たちを呼ばれるのも困るし」
「まぁ、そうですね。……私も同感です」
しかし、やはり手に触れるのを躊躇う。
「だから、これは妥協策だ。――直接噛み付くなんて下品だと、あえてこういう形で飲む貴族も居る。……その殆どは貴婦人方だけど。でも、これなら一応献血された血だってことで、ぎりぎりセーフだろう、色々な意味で」
「……我々は、人の生き血無しには己を保てませんからね」
「――いずれは、変えてみせる。だが、今は……」
「確かに、ここが最善の妥協点――なのでしょうね」
葉月が、意を決したように、グラスの中身を一気に干し、そして複雑な笑みを浮かべる。
「……美味いけど、美味くないだろう?」
そんな葉月に、朔海は苦笑を向けた。
「僕らはもう、あの苦味に慣れてしまったからな。あれは確かに不味いが……」
「……ええ、これは薬の味もしなければ、あれより遥かに新鮮な血液。確かに美味ではありますが、……まあ、物足りないですよね」
「お互い、本当に最上の“食事”は……特に葉月は、僕以上に望めなかった。だから、日常の食事が不味くても不満はなかった」
「なのに、食事が美味しくなったことを不満に思う事があるなんて。――初めて知りました」
「全くだ。……それでも僕はまだ、彼女の血を味わう事は出来る。だが葉月、それが出来ないお前は尚更、そうだろう」
今は姿を消している彼の彼女の姿を見透かすように、朔海は葉月をじっと見つめる。
「……依代が」
そして、呟いた。
「何か、依代があれば……もしかしたら、彼らを蘇らせられるかもしれない」
カラン、と。その朔海の言葉が終わる直前、ナイフの落ちる音が部屋に響いた。
「……まさか」
「少し前から、考えていたんだ。――そう、葉月から血を貰って、その血と格闘していた、あの時から……」
給仕が、落ちたそれを拾い、新しい物を用意するのを横目に、葉月は声を失ったまま朔海を凝視する。
「――勿論、元通り人間として蘇らせるのは不可能だ。だけど、一個の使い魔として……個体として独立させる事は、可能だと思う。ただし、彼らが葉月の中の竜を抑える役目は外せない。そこは、契約として、葉月を主、青彦と紅姫を従とした使い魔としての主従関係は残さざるを得ないけど」
あえてゆっくりと、朔海は言った。
「紅姫は、竜王と。青彦は、白龍と。それぞれセットで、別の器に移す。そういう事は可能だと思う」
カトラリーを静かに置き――
「勿論、大量の魔力を消費する、大掛かりな術式を組む必要がある。――何より、何を器とするか。それをどう調達するか。……問題はまだある。だけど――不可能な事じゃない」
食後のお茶に口をつける。
「……急ぐ話じゃない。というか、今日明日には無理な話だからな。今はまだ、少し考えておいて欲しいっていう段階だけど」
若干渋い顔をしながらティーカップを置き、席を立つ。
「とにかく、まずは今日一日を乗り切るのが最優先課題だ」
葉月に歩み寄り、彼の肩を叩いて、部屋の出口へ向かう。
「……最初は、軽く前菜から。――最後のメインディッシュを美味しく平らげられるようにコンディションを整えておかないとね」




