難攻不落の登竜門
「涼牙、手配にどのくらいかかる?」
「一刻ほど猶予をいただければ」
「なら、その間に王への謁見申請をしてくれ。新しく連れてきた側近たちのための部屋を確保する。……確か、旧中央塔は今も空いていたよな?」
「ええ、空いておりますよ。まあ、古い建物ですからね。誰も使いたがりません」
「けど、少し手を加えれば、まだ十分使えるだろう? 修繕の手には心当たりがある。建材の手配の準備を頼むよ」
「――かしこまりました」
まだ、正式に王位を継ぐまでは、後宮も、内宮にある王の執務室や謁見室も、政務を執り行う外宮も、全ては紅龍王のものである。
何の準備をするにも、拠点となる宮が必要だった。
「謁見申請が通るまでの間に、僕は儀典庁長官に面会して、公開仕合の申請を申し入れて来る。彼らを、僕の配下にするための――僕の配下として認めさせるための仕合を」
涼牙に命じた使い。
それは、朔海の臣下として服従を誓い、働けと命じるもの。
それを不服とする者は、後日開く公開仕合へ強制参加し、その意を示せ、と。
「旧中央塔を確保し次第、僕の私室を北塔から移すから、その手配も頼む。全ての仕合を消化するまでには、修繕を完了させる。それが済み次第、本格的に体制を整えるため、側近たちもそこへ集めるから、近々その手配も時期を見計らって頼むぞ、次期侍従部長殿」
王に仕える侍従長とは、つまりは全侍従職――女官・侍女・侍官・侍童をも束ねる存在。
要は、城の使用人の長でもあるのだ。
たった今朔海が命じた仕事を全て彼一人でこなすのは、彼がどんなに優秀でも不可能な事。
だから朔海は、彼に彼以下全ての使用人の管理を委ね、仕事の差配を任せると、そう命じているのである。
「――僕の戴冠式までに、侍従部を掌握しろ。……できるな?」
「貴方様が、私の眼鏡にかなう主であるならば」
「……さて。僕は一度城を出て、お前に失望されたはずだ。今の僕がお前の目にどう映っているのか、その仕事ぶりで判断するしかないか? それとも……。お前の望む主は、どんなだ?」
「その問いに、私が素直に答えると?」
「――いいや。こんなことを本気で尋ねた日には、完全にお前に見放されるだろうな。今のはまぁ、“お約束”ってやつさ」
朔海は肩を竦めてみせた。
「そうですか。……では、各種手配を行ってまいります。報告は随時、使い魔を飛ばします故、今は一度、御前を失礼させていただきます」
一度、サッと頭を下げて一礼し、涼牙は踵を返した。
朔海は、内宮から外宮へ続く回廊を進み、行政院儀典省を目指す。
政務に励む文官達、城の警備に励む近衛隊の衛兵職に就く武官達の訝しげな視線をいくつも浴びながら歩く。
――今後は、こういう状況が日常になっていくのだ。
この、今の瞬間、ここに朔海の味方は居ない。
行政院長官も、各省庁長官も、全て父王の側近で固められている。
ましてや、隙あらばいつでも下克上を成し遂げようと牙を研ぐ貴族院や元老院――。
せめて本議会で、彼らに遣り込められてしまわないだけの体制を整えなければならない。
「儀典省長官、“瀧守”殿にお取次ぎ願いたい。第一王子“綺羅星”が公開仕合の申し込みに参ったと伝えていただけるか」
行政院本館から儀典省館への連絡通路を護る衛兵のすぐ後ろにある受付に声をかける。
受付係を務める、神経質そうな細身の青年は、そのインテリ系の印象を更に強める眼鏡をしきりに気にしながら朔海を見上げた。
「……申し訳ございません、私まだ若いはずなのですが、どうにも耳の調子が良くないようで、何か聞き間違えてしまったようです。もう一度、ご要件を伺ってもよろしいですか?」
とびきり怪訝な顔で、彼は聞き返した。
「いや。貴殿の聞き間違いではない。僕は確かに、長官への取次を頼んだ。――公開仕合の申請を行うために」
彼の反応は、これまでの第一王子へのイメージを考えれば当然のものだろう。
だがこれからは、こういう反応に甘んじる訳にはいかない。
朔海は努めて毅然として彼に命じた。
「可及的速やかに、長官に伝えろ。僕が長官への面会を望んでいると」
「――は、」
第一王子と聞いて、小馬鹿にしたような態度をとっていた彼が、朔海が声に滲ませた殺気にぎくりと一瞬身体を強ばらせた。
「しょ、少々お待ちを」
慌てて簡易使い魔を飛ばす彼を眺めながら朔海は、苦い思いを飲み下す。
できる限り関わり合いたくない相手、というのは誰にでも居るだろう。
特に朔海の場合は、本来であればここ魔界はそういう相手だらけの場所だ。
しかし勿論、これからはそんな事を言っている場合ではない。――が、彼だけは別格だ。
儀典省長官“瀧守”は、紅龍王の先々代王の時代よりその地位に就く、長命の吸血鬼一族の中でも特に長老クラスの重鎮だ。
儀典省とはそもそも、吸血鬼の血とその力に関する規律やそれに纏わる儀式や式典を司る役目を負う。そう、『王族認証の儀』を取仕切るのもまた、儀典省に属する式典庁の役目である。
王族に真に相応しい者か否かを見極める儀式を司る――だけではない。
戴冠式さえも、式典庁が取り仕切る。
その為、他に国務省、外務省、国庫省、軍務省とある行政院の中で唯一、王から一歩引いた中立を保つ立ち位置に儀典省はある。
現王紅龍王も、その先代も、それぞれ先の四省までの長官は己の側近を立てたが、唯一儀典省長官の人事にだけは手をつけられていない。
――それ故の、“瀧守”の二つ名。『龍』となるに相応しいかどうかを見極める『滝』の守人。
そしてもちろん、あの時――幼い頃、朔海に対し行われたその儀式を執り行ったのも彼だ。
特に朔海の場合は仮にも正妃の第一王子という事で、彼自らが朔海に印を与える役目を負っていた――が、その結末がああいうものだったのだから、朔海の場合は特に折り合いの悪い相手と言えよう。
「お、お待たせいたしました。長官よりの返答で、まずは申請書類を提出した後に再度の申し出を、との事で……」
簡易使い魔が落とした紙切れに書かれたメモの内容を、彼は目を泳がせながら告げる。
まあ、予想の範囲内の返答に、朔海はもう一度、己の覚悟を確かめてから彼に告げた。
「そうか。なら、もう一度別件にて長官への面会を申し入れる。“綺羅星”の朔海が竜王位への挑戦を申し込むと、長官に伝えろ」