予期せぬ恋文
工事が終わるまで、書庫に篭るつもりでいた。……しかし、残念ながらそれが出来たのは、最初の一日だけだった。
「――お早う御座います」
魔界へ戻ってから、朔海はこれまで人間界での暮らしに合わせて朝起きて夜寝る生活を逆転させ、夜起きて朝寝る、魔界の標準時刻に合わせた生活を送るようになった。
……とは言え、もう100年単位で続けた生活習慣が、一日二日で新たなそれに適応しきれるわけもない。
本来寝起きは悪くないのだが、この生活を初めてから、涼牙に起こされる日が珍しくない。
今日も、時計を見れば夜の10時。……やはり少し寝過ごしたようだ。
涼牙の背後から、わらわらと侍従がわき、ベッドの上で起き上がった朔海からあっという間に寝間着を剥ぎ取り、てきぱきと着せ替えさせていく。
「……さすが、涼牙だな。侍従部掌握の仕事は順調らしいな」
昨日までは居なかった彼らに、久しぶりのそれに戸惑いそうになるのを堪え、為されるがままにされながら、それを後ろで眺めるだけの涼牙を見れば、彼は片手に盆を持っている。
「……それは?」
その上にあるのは、茶器や食器ではなく、封書――それもこんもり山積みになっている。
「まずはこちら、咲月様よりのお手紙が届いております」
おそらく、ファティマーから購入したのだろう、シンプルながら洒落た便箋に、たどたどしい魔界語で、彼女に贈った菓子のお礼と、朔海を心配している旨が書かれていた。
そう長い文章ではない。むしろ簡潔すぎるくらいの文章だが、それがむしろ微笑ましい。
しかし、ゆっくりそれを眺める猶予を、涼牙は与えてくれなかった。
「そしてこちらは全て、朔海様への恋文にございます。どれも、四大家には及ばぬものの、名だたる名家のお嬢様方、そして彼女たちのご尊父様方からの」
なにせ、久々に現れた竜王位を持つ者。
力が全てのここで、強い力を持つ者は、良くも悪くも注目を集める。
力のないものは、この魔界では単なる食料。……しかし、強い力を持つものは、その力に惹かれたものたちが多く集まる。
まだ、咲月の存在を公開していない今、こうなる事を予測していなかったのは……
「後で、断りの書状を出す。宛名をリストにして控えて、それは処分しておいてくれ」
彼女いない歴もモテない歴も年齢とイコールだった朔海にとってそれは、まるで他人事でしかなかったからだ。
だが、その手紙の山に、ようやく朔海の頭に一つ、恐ろしい未来予想図が閃いた。
――王位を継ぐ準備が整い、戴冠の儀を終え、咲月を正妃として迎えたとしても。
この手のものが途絶えることはおそらく無いだろう。
吸血鬼は、その力量次第で何人でも伴侶を持てる種族だ。
実際、父王は朔海の実母である王妃の他にも、後宮に何人もの妾を囲っている。
朔海には到底理解できないし、咲月以外に妃を迎える気などさらさらない。
例えそう公言したとて、それをどれだけの者がそれを真に受けるだろう?
「涼牙。この先、この手のものは可能な限り受け取るな。どうしても受け取らざるを得なかった場合は、今回同様宛名だけ控えて、処分しろ。――いいな」
一夫一婦制が当たり前、という価値観の中で育った彼女が、そんな状況を面白く思えるはずもない。彼女のことだ、頭では理解し、気にしないと言ってくれるだろう。
けれど、無意識にも澱は溜まっていく。ただでさえ懸念材料ばかりの中、こんなつまらない事で彼女を煩わせたくない。
「――ただし、リストアップした控えは捨てるな。……いや、逐一纏めておけ」
いつの時代、どこの国でも王侯貴族や良家同士、政略結婚というのは存在し、義務とすらされる場合も少なくない。
「確かにそれが、一つの有効手段であることまでは否定しない。だが、最後の最後、本当にそれ以外もうどうしようもないという状況に追い込まれるまでは、極力それに頼りたくはない。そのためにも、それ以外の手段でこっちから積極的に攻めようと思う」
侍従たちによって身支度を整えられた朔海は、立ち上がり、涼牙が持つ盆の上に視線を落とした。
「涼牙、適当な名目で夜会を開くとして、それが可能になるまで、あと何日必要だ?」
「4日、……いえ――招待状の支度などの前準備の時間も含めれば、5日後には」
「では、5日後、僕の名前で夜会を開く。招待客は――リストに名前の上がった者全て。陛下に、会場の使用許可申請を出しておけ」
「5日後、か。竜王位を正式に認める書状と印章の受け取りが3日後だったな。ちょうどいい、その祝いとでも称して夜会を催す。4日後には皆を集めるつもりだったからな、彼らにも顔見せ程度に出席してもらおう」
「――では。それにふさわしい衣装が必要になりますな。早速針子を呼びますゆえ、しばしお待ちを。この際、ついでに各種礼服諸々誂えてしまいましょう」
涼牙の目が、キラリと光る。
――それだけで、彼の気合の入りようが見え、朔海は早々に書庫へ行くという予定を諦めた。




