その日を迎えるために
約、半月。……これほど過酷な半月は、三百年以上歳を重ねてきた朔海もこれまで体験したことが無かった、と、そう思えるほど多忙を極めた。
特に魔界を出てからというもの、あの屋敷で基本、穏やかに平和に暮らしてきて、そんな毎日に浸りきり、慣れきっていた身には余計に堪えた。
「……しかし、まさかこの私を自ら再び己の侍従に指名されるとは。流石の私も驚きましたよ、朔海様」
――これが、あの日朔海を迎えに来た涼牙が城へ入った朔海の後ろに付き従いながらまず最初に口にしたセリフである。
「これまでに揃えた僕の側近は、全員が外の者だ。――どころか、吸血鬼でない者も多い。だけど、ここは吸血鬼の国。――今のままで納得する者はまず居ないだろう」
だからこれから、朔海からすれば不本意であるとすら言える、そんな者でも頭数として取り入れる必要がある。
今、この時に咲月を同行しなかったのには、こういう理由もあったからだ。
「お前は、母が僕を懐妊した時点では、王と、その王妃である母についた侍従長らに次いで優秀とされていた。――だからこそ、正妃の第一王子たる僕の教育係兼侍従長に選抜された」
実力主義が当たり前の魔界でも、実力がある程度示せる歳に達するまではやはりその生まれが重視される。
「……結果的に、僕なんかの侍従になってしまったせいでその評判は地に落ちた。……でも、王の侍従長に次ぐとされたその腕まで落ちたわけじゃないのは、先日の一件で十分理解したからな」
彼を振り返ることなく、朔海は颯爽と城の廊下を突き進みながら答えた。
「そういう訳だから。――涼牙、このリストに記した者に宛てて使いを出せ。それと、戦装束を用意しろ。……なるべく使わないにこしたことは無いんだかな。まあ、ほぼ確実に必要になるだろう」
「……戦いになる、って事か?」
ふわりと、ブレスレットの石から潮が顔を出す。
「まあ、ね。これまで無能で通ってきた第一王子に仕えろ、なんて命令して素直に頷く奴なんか居るわけがない。……まっとうな方法で頼んでダメなら――」
「殴って首に縄つけて引っ張ってくるしかない、ってか?」
「結局、何を得るにしても、今の魔界では力を示すしか無いから。まぁ、今回は伴侶探しじゃなく、側近探しだからね。……まぁ、こういうのは大体、自分と同じ考えしかしない奴ばかり囲ってると失敗する、ってのが通例だ。気は進まないけど、何人かはどうしたって、荒っぽいやり方で集める必要がある」
「だから、姫様を置いてきたのか?」
「……できれば、君も彼女と一緒にあちらに置いてきたかったんだけど」
朔海は少し困ったように、彼の銀の瞳を見下ろした。
「コラ、そりゃどういう意味だ、お前!」
だが、潮はそのセリフにぷんすか怒って抗議の声を上げた。
「言っただろう、オレ様は姫様と、お前の守護精霊なんだぞ? それも、本来魔物との戦いを生業とする一族の守護精霊なんだ。戦いに行くってんなら、それこそオレ様の本領発揮の場だ! なのに俺を置いていくだと? どういう了見だ!!」
「……だって」
キャンキャンと吠える彼の頭をよしよしと撫でて宥めながら、朔海は静かに答えた。
「君の力は、本来咲月のものだ。……無力な人間を、魔物から守るための力。それを、こんなつまらない事には使えないよ」
まだ幼い彼に言って聞かせるように、彼の目をまっすぐ見据える。
「君の力は、“守る”為の力だ。“奪う”力じゃない。……今回の事は、彼らの意思に反してでも僕の前に膝をつかせる、その為だけの戦いだ。そんな戦いに、君の力を使う気は無いよ」
それでも、朔海が彼の本体であるムーンストーンのブレスレットを外さず今も身につけているのは、これが咲月から贈られた大事な物だから。
「何より、今君は、僕の力を受けて成長しているんだろう?」
まだまだ成長期真っ只中の彼を、不用意に主から引き離すという行為は躊躇われたからだ。
「……分かったよ。仕方ないから、今回は黙って見ててやる。けど、ヘマはするなよ? ドジ踏んで、もし危なくなったら、オレ様は問答無用で敵を踏み潰すからな!?」
ほんの少しふくれっ面をしつつ、潮はしゅるしゅるとムーンストーンへと戻っていく。
「――了解。時間も無い事だしね。早々に片付けたいな」
「カヴァルステラ、フエル、フェンリクス……。名だたる名家のご縁者様ですね」
「葉月を、側近に指名したんだ。彼は、仮にもアルフ族に属する者だ。当然、彼だけを重用すれば他家と要らぬ諍いが起こるだろう?」
「残りの二名に関しても、私め、名前に覚えがあるように思えるのですが?」
「それは、そうだろうな。父上の側近を務めているんだから、当然涼牙も顔を合わせた事くらいはあるはずだからな」
「長らく城を空けておられた割には、手際が良くていらっしゃる」
「……僕は、王になるつもりはなかった。王位争いに加わるつもりもなかった。そんな僕にとってここは、居心地のいい場所じゃなかった。だから、城を出た。僕が城を出たのは、争いごとや暴力ざたが嫌だったからで、城を出た後も、学ぶ事までやめたわけじゃない。王になるための勉学ではないけれど、色々な分野を手広く学ぶ機会があってね」
例えば、人間の世界の、様々な時代、様々な地域で興り、また滅びていった数多くの国々の歴史や文化、宗教、政治、思想。
例えば民俗学や経済学。他にも科学や化学等も、魔術に応用出来ないかと研究したことがあった。
「最低限の帝王学は、城を出る前にお前にみっちり仕込まれたしな」
だがそれは、実のない知識だけのもの。
実際に政治を動かすとなれば、実務経験も無しに上手くいくはずがない。
ある程度政治に慣れた側近は絶対に欠かせない。
朔海はそれを、父王に仕える側近を引き抜く事で補おうとしている。
――当然、父王の側近は、父王の考えに沿った政治をしようとするだろう。
そしてそれはつまり、朔海の考えとは逆の、まさに魔界ならではの考えだ。
残念ながら今、その両方を兼ね備えた人材が圧倒的に不足している。
それこそが、今一番の悩みであり、それをどこまで朔海がカバーしきれるかが最大の焦点となっている。
「要は、なるべく早くそういう人材を育成しないといけない、って事だよな」
そのための候補要員の確保や、その指導者の方も見繕わなければならない。
彼女を、安心して城に迎えられるように。やらなければならない事は山ほど積み上がっていた。