甘さもまた力になる
放たれた矢が、文字通りに空気を切り裂いて飛んでくる。
それは、たった1本の矢。この程度ならよほど鈍いものでなければ普通にかわせるはずだ。
だのに、避けたつもりが、避けきれない。――それが、カヴァルステラの弓術の恐ろしい所。
何の用意も無いところでカヴァルステラ一族で構成された弓隊に出くわしたら最後、穴だらけにされるのは避けられないというのは、魔界では既に常識となっている。
避けられない以上は、打ち落とすしかなく、その術がなければ、彼らに近づくことすらかなわない。
飛んでくる矢に、朔海は手を伸ばし――その手のひらを、ストン、と矢尻が貫いた。
瞬間、そうして穿たれた傷の痛みとは別物の、痺れるような刺激のある激痛が痛覚神経を焼いた。
鋼や鉛とは違う輝きを見せる矢尻。
「――やっぱり銀、か」
こめかみに汗を滲ませながら呟く朔海に、朱馬は呆れた顔を向ける。
「予想をしていながら、しかもその体で――まさか、わざとお受けになられたのか?」
「……うん? そりゃぁね。多少の想定外はあったけどさ、だからって何の用意もなくあなた方に対するのがどれほど愚かで無謀なことかくらいは承知してますから」
痛みと、毒による消耗に散らかりそうになる意識をかき集め、必死に集中を高め――念じる。
「さて、それとこれとにどういう関係があるのか、この私の頭脳をもってしても全く理解が及ばないのですがね」
しかし、集中したままの朔海は、彼のおしゃべりに答えない。
「なんとも、無防備な……。稽古でもなく、戦場にて動かぬ的を射抜くなど、我らカヴァルステラでなくとも、その辺の雑兵にも容易いでしょうに」
イライラと、新たな矢を番えながら、彼は朔海を睨みつけた。
「銀で心臓を貫かれれば、いかに龍王の血を継ぐ王族のあなたといえどもその身は灰に還るでしょう。……終わりです」
微動だにしない朔海向け、再び矢を解き放つ。
それは、彼が口にした通り、よほど弓の腕がお粗末な者でなければ外しようのないもので。
しかし、それが朔海に致命傷を与える直前、不意に立ち上った旋風に遮られ、軌道を逸らされた。
心臓を貫くはずだった矢尻は、彼の二の腕を僅かに裂いただけで、はるか後方の地面に突き立った。
朔海を中心に渦巻いたつむじは、次の瞬間爆発的にその渦を広げ、フィールドいっぱいにとぐろを巻いて暴風を荒れ狂わせる。
その風圧は凄まじく、朱馬を乗せた馬の蹄が、ジリジリとフィールドにその跡を残しながら後退を余儀なくされるほど。
いかな弓術の名手と言えど、弓矢という武器の特性上、この強風の中まともに矢を飛ばすのは困難を極める。
「……まさか」
吹き荒れる風の中、朱馬は、弓を置いて手綱を握り、馬を操りながら、信じられない様子でそれを眺めた。
「確かに、ウラヌスとの戦いで風を操る奴にも勝る支配力をお見せになられた。しかし、もうあの時のように命じるだけの力は残っていなかったはず……!」
「――確かに、命じるには相応の力と代償が必要になる。……だが、“お願い”を聞いてもらうだけなら、そんな物は必要ないんだよ。その代わり、彼らに気に入られなきゃいけないし、誠心誠意真心込めて祈らないといけないから、成功率は100%じゃない。……戦闘時には不向きなやり方だから、さっきは命じたけれど」
それは、咲月から得た力と知識なしには成し得なかった事。
「……不確かな術だから、一度目の矢は避けられなかった。そうでなければ、二撃目までの間が稼ぎきれなかったから」
だから、少しでもダメージが最小限で済むよう、自らの手のひらに矢を受けた。
「確かに、この風では三撃目以降はこの私の腕をもってしても当てるのは難しい。――場合によっては自らの刃に傷つくような恥ずべき結果がもたらされるやもしれぬとあれば……、私に勝ち目はありませんか。元々気も乗りませんでしたしね」
朱馬は、冷めた表情を崩さないまま、静かに『試合放棄』を告げた。