第四戦
相手の体内に、自らの血を送り込み、その魔力でもって相手の魔力をねじ伏せる。
ここからは、瑠羽の治療のためにやったあれと同じ事だ。
しかも、ここまでの戦いですでに相手は相当に消耗している。そしてこちらには――
「よし、いいぞ、そのまま押せ!」
竜から元の精霊姿に戻った潮が、その手を朔海の手に重ねた。そうして触れたところから、彼の力が流れ込んでくる。
「グッ、ウゥゥゥゥ」
往生際悪く、尚も足掻いてみせるが、その抵抗も、時を追うごとに確実に弱っていく。
――そして。
ついに、彼の四肢から力が失せ、がくりと気を失った。
「……第三戦、紅狼殿が戦闘不能となったため、挑戦者の勝ち!」
そのアナウンスに、会場はシンと静まり返った。
「……まさか。まだ若いマーズ公や紅鬼殿はともかく、あの紅狼殿まで負けるとは」
「じゃあ、やっぱりあれは本物なのか?」
「でもだったら何でこれまで『無能』だなんて言われてたんだ?」
「いやだから、何の称号も持たねえ王族なんざ普通はいねぇだろ? 実際、弟君の“暁”殿はまだお若い分、四大公様方には及ばないものの、既に侯爵位に値する称号をいくつもお持ちだしな」
「なら何でだ? あれだけお強いのに今だ無冠とは……」
「何でも争いがお嫌いで、魔界を出奔していらしたらしい」
「それなら何故、今度はいきなり戻ってきて、突然『竜王位』なんだ……?」
「こないだ、城で何かあったらしい、って噂があったよな。箝口令が相当厳しいらしくて、詳しい話は何一つ俺たちのところまでは降りてこなかったけど」
「何か関係があるのか……?」
「だとしたら、まさかこの仕合……本当に……」
「それでは次! 第四戦、ウラヌス公、前へ!」
気を失った紅狼が、式典庁の職員に抱えられて場外へ連れ出されていくのを眺めながら、ふわりと重力を感じさせない着地をしてみせた彼は、へにょりと笑った。
これまで、好戦的が顔にまで現れたような者たちばかりだった分、その顔立ちはある意味異様にも思える。
つい、気を抜いてしまいそうな、そんなほんわかした笑み。
膝裏まで伸びる長い銀髪を結いもせず毛先を遊ばせ、鎧の上に纏うライムグリーン色の戦袍のデザインは、殆ど室内で纏う長袍と変わらない。
頭に冠でも載せれば、ほぼ中華風の文官姿そのものと言っても良いだろうという装いだ。
「……ここは、初めまして、と申し上げるべき場面でしょうかね、王子殿下?」
ほけほけと、日向で本でも読みながらお茶を楽しんでいるような、そんな口調で彼は尋ねた。
「一応、私も四大公の位を預かる者として、殿下のお噂はそれなりに聞きかじっていたつもりでしたのに、どうやら私はガセネタを掴まされていたようだ。しかし――」
そう、にこにこと顔だけは穏やかに微笑みながら、彼はカリッと自らの牙で己の手首を咬み切った。
「もしも、ここで私が『竜王の血』の使い手を倒せば、私の名は今以上に注目を浴びるはず。油断しきっていた前のお三方の様には行きません。私も、本気でいかせていただきます」
傷口から吹き出した血が、むくむくと一つの形を成していく。
鋭い爪を備えた、太く丈夫な四肢。鋭い眼差しと、口元からこぼれる牙。白い毛並みの美しい毛皮に、黒の縞模様は映える――
「白虎……」
彼は、自らの血で創り出したそれの背に乗り、横座りしたかと思えば、背に負っていたあるものを手にした。
「あれ……楽器か?」
それは、膝に乗せて抱え込まなければならないサイズの竪琴――。
約束通り、大人しく石の中へと戻った潮が、怪訝そうな顔をする。
「おいおい、あいつはここで演奏会でも開くつもりなのか?」
「……いいや。あれが、彼のお得意の武器なんだよ」
「はぁ? 楽器が武器だって? ……まあ、あれでぶん殴られればそれなりに痛そうではあるけどな、大したダメージにゃならないだろう? しかもあんまり丈夫そうな作りでもないし、すぐ壊れちまうんじゃないのか?」
「そういう仕事は、あの白虎の役目だ。……彼は、“風のウラヌス”。あの竪琴は――」
ポロン、ポロン、と彼の指が弦を弾けば、美しい音色が闘技場を満たす。
と、同時にざわり、と闘技場の空気が動いて。
虎の獅子を、風が取り巻き、人一人軽く乗せられる巨躯をふわりと宙へと持ち上げた。
「彼が空気を支配し、風を操るための操縦機なんだ――よッ」
不意に放たれた風の刃を跳んで避けたところへ、今度は旋風が襲う。
朔海はそのまま翼を広げて躱す。
それは、ただ音を出しているだけではない。ちゃんと曲として成立した――しかもある程度耳の肥えた者でもそれなりに楽しめるレベルの演奏を、その男とは思えない細く美しい指で紡ぎ出していく。
しかし、その曲から生み出される風による攻撃は、酷く変則的なものだった。
「……噂には聞いていたけど。これ程までとはね。参ったな、攻撃パターンが全く読めない」
彼の戦闘スタイルは、風を使った遠距離タイプ。
それは、この国の大方が知る情報だ。そして、その武器を操るものが、かくも美しい音色を奏でる楽器であることもまた、割と知られた情報である。
だから、ある程度風に対する対抗策はそれなりに練ってきたつもりだった。
「けど、攻撃パターンの規則性が、全く分からない」
例えば、リズムなり、旋律なり、もしくはある音だったり。その組み合わせで彼は風をコントロールしているのだろうと、事前情報から察せられた。
だから、少し戦えば、ある程度のパターンは見切れる可能性があるかもしれない、等と考えていたのは、どうやらあまりに甘かったらしい。
やはり四大公を名乗るだけはある。
風の刃に竜巻、突風――だけではない。
どうやら彼は空気そのものを操れるらしい。
無色透明の、普段その存在を意識することのないそれが、突然質量を主張し、朔海の手足を絡め取ろうとする。その感触は、まるで水飴のような……。
速度こそ、風を操るようにはいかないらしく、一度は寸でで気づいて逃れることができたが。
「他で陽動をかけられた上で不意をつかれたら……終わりだな」
彼は、白虎の上に優雅に座ったまま、一歩たりとも動いていないというのに、朔海はといえば防戦一方である。
「……それにしても。何故お使いになられないのですか、あの力を」
その様を眺めながら、彼は心底不思議そうに尋ねた。
「そもそも、先の二戦。あの力を使えば尚楽に勝てたでしょうに、貴方はそれをお使いにならなかった。……それが、後の我らの油断を誘うための貴方の策だったのだとしても、だとしたら尚更不可解だ。何故、今その力を解放しないのか」
「何故、と問われれば、答えは一つきり。今、貴方と戦うのに、必要な力ではないからだ」
「――何とまぁ、その有様でのおっしゃり様。私が舐められているのか、それとも貴方が機を見る能力が無いのか……。どちらにしろ、愚かな事です」
「いいや、そのどちらでもないさ。これが、僕のスタイルだという、ただそれだけの意味しかないよ」
避けきれなかった風の刃に切り裂かれた肌から、血が滲み出す。
あらかたは即座に治癒していくが、何しろ刃の数は次第に数を増し、前の傷が治りきらないうちに新たな傷が出来る。
「僕はこの仕合であの力を使うつもりは無かった。……けれど、紅狼殿とは少々ならぬ因縁がありましてね。彼を得るには、ああするしか無かった。しかし、貴方を得るのに、あの力は必要ない。……と、いうより、僕が使いたくないんですよ」
そして、朔海はにこりと彼に微笑み返した。
「実際、今回はそれを使わずとも、勝てますから」
朔海は、切り傷だらけの手を、天へ向けて高く掲げた。
「――チェック・メイト、です」