因縁の戦い
「へへっ、天唾、って言葉を知らねぇのか、ってやつだよな」
潮は、嬉々として、その頑丈な骨格と竜鱗の鎧を纏う強靭な翼を、大きく羽ばたかせる。
わっしわっしと空気をかき回す翼から、凄まじい風圧が放たれ、凄まじい突風となって紅狼へと吹き付けた。
それは、紅狼が放った氷雪をも巻き込み、まさに天に吐いた唾が己の身に降りかかるように、彼の身を襲った。
暴風にさらされた紅狼の身体が、じりっと風に押され、地面に爪の跡を残してじりじり後退させられる。
「ぐぅ、おのれ……!」
しかし、この程度で戦意を失うような紅狼ではない。
四肢を踏ん張り、地面に爪を突き立てて風に抵抗しつつ、全身から強烈なオーラを放つ。
もやもやと毛皮から放たれたそれが空気にさらされた途端、それは真っ黒い霧へと変わり、吹き付ける風に乗って一気に広がっていく。
まるで黒煙のようなそれが次から次へと後ろへ吹き流され、闘技場の風下の一角にそれが濃密に渦を巻き始める。
そのタイミングを見計らい、紅狼はあえて一度四肢から力を抜き、吹き付ける風に煽られるまま、その霧の中へと姿を隠した。
「あっ、しまった!」
楕円の形をした舞台の、風下側の約3分の1が、紅狼の黒い霧に覆われ、その中のどこに紅狼がいるのか、目で確認することはできない。
ざわざわとざわめく観衆が取り巻くここでは、足音を潜めているだろう紅狼の位置を聴覚で探る事もまた難しい。
潮は警戒を強めて高度を上げ、距離を取った。
「……どうする? 火炎放射で一掃するか、それとも――……って、何だありゃ!?」
もくもくと、渦を巻きつつも基本的には漠然と漂うだけだったそれが、突然意志を持ったように急激にその動きを早め、とぐろを巻き始める。
「あれは……、あれが彼の十八番。あの霧は、彼の血の魔力そのもの。その強大な魔力を放出して圧縮し、それをああして操る。魔力で自らの身を護る盾を創り出し、それでもって相手を攻撃する武器にも使う」
黒い霧の渦がむくりと立ち上がり、黒い竜巻が一筋、天まで伸びていく。
「吸血鬼の魔力は毒そのもの――。成る程、攻防一体の技、ってワケだ」
あの壁を突き破らなければ、紅狼にダメージを与えることはできない。
しかし、強力な毒を含むそれに触れれば、こちらも少なくないダメージを負うことになる。
しかも、あの渦を巻くスピードを考えれば、大抵の者は紅狼の居る渦の中心へ辿り着く頃にはズタボロにされ、最早紅狼と戦う力は殆ど残らないだろう。
そうなれば、紅狼は悠々とその愚か者へ止めをさせる。
――喉笛を裂いて命を奪うにしろ、心の臓に牙を立てて血を啜り、その力を奪うにしろ、邪魔者を気にせず好きにできる。
「つまり、やっぱり奴の狙いはお前の血、お前の力って事か」
「まあ、そのくらいは想定の範囲内だったけどね。何しろ、因縁の相手だ。元々、彼とは一戦交える手はずだったんだから、当然彼の十八番への対処も考えてある」
「ふうん、んで、どうするつもりなんだ?」
「――目には目を、毒には毒を。……基本のセオリー通りにいくさ」
ガリっと、牙で己の手首を咬み、そして腕を前へ突き出す。
ぶわっと、赤い霧が立ち上り、竜姿の潮ごと朔海を取り巻き、渦をなす。
「お前、これ……! お前も、あいつと同じことができたのか?」
「僕は、竜の力を手に入れるために、葉月の血を吸った。――葉月は半吸血鬼とはいえ、アルフ族の血を引く吸血鬼だ」
一日どころではなく、長は確実に彼の方にあるだろうが、こちらにも彼にはない武器がある。
「潮、あの霧の壁は僕が相殺する。――突っ込め!」
「――了解!」
赤と黒、二つの竜巻が、激しくぶつかり合う。
ぶつかり合った風と風が激しく唸りを上げ、パチパチとスパークが飛ぶ。
「うぉら、もうひと押し!」
ごうっと火炎を吐いて、潮が更なる援護を加える。
弾けるスパークが火炎にぶつかり、爆発を起こす。
その爆風に煽られ、風の壁と壁の間に隙が出来る。
「よしっ、今だ、行けっ!」
朔海は潮の背を蹴り、飛び降りる。
手にした槍斧を力いっぱい突き出し――
「――やあぁぁぁ!」
掛け声とともに武器を振り下ろした。
ザクッと、肉を切る手応えが、柄を通して伝わる。
その瞬間、周囲を取り巻いていた霧が爆散した。
強風に、髪がめちゃめちゃに煽られ、乱れる一方で、一気に視界が開ける。
槍斧の穂先が、狼の胴に深々と突き刺さっていた。
朔海は、力いっぱい柄を握り、得物を引き抜き、再度それを振り下ろす。
槍斧の斧部分の刃で、さくりと、狼の真っ赤な毛皮を切り裂き、血の赤へと染め変えていく。
勿論、紅狼も黙ってやられてはいない。
しかし、隙を突いて朔海に食いつこうとするも、全て槍斧の柄で牽制されてしまう。
「……馬鹿なッ、無能なお前が、なぜ我の攻撃を見切れる!?」
「確かに、実戦経験では貴殿には遠く及ばないでしょう。でも、僕は僕で、貴方とは違う価値観の中で生き、磨いてきた力がある、それだけの事です」
朔海は、狼の鼻面を力いっぱい蹴り飛ばし、舞台の端まで追い詰める。
「――チェックメイト、です」
壁に背中を強く打ち付けた紅狼に冷たく告げて、朔海は槍斧で彼の腹を貫き、壁に縫いとめた。
「ぐ、ぐぬぬぬぬぬぅ……」
「さて、先日の書面の件、飲んでいただけますか?」
ぐるぐると、血泡を吹きながら、紅狼は尚もぎらぎらと朔海を睨みつけ、唸る。
「……ふざけるな、誰がお前になど頭を下げるか!」
「――まぁ、そうでしょうね。貴方がそう簡単に落ちるとは思えません。……なので僕も、あなたに対してだけは更なる実力行使に出る事にします」
朔海は、握り締めた槍斧に、『魔力』を流す。
元々、己の『魔力』で創り出した武器だ。そしてそれが、紅狼の身体を貫いている。
「――アルフ族首長、“紅狼”。竜王の血を引く、王に連なる我が血の前に跪け」