第三戦
――まさか。
誰もが、そう思った。
だが、ただ一人、この展開にほっと胸を撫で下ろした者が居た。
「そ、それでは次の仕合、第三戦! アルフ族首長、紅狼殿、前へ!」
大丈夫だと、そう思いながらも、“もしも”が起きてしまったら――。
その懸念を完全に払拭出来ないまま、これまでの二戦を傍観しているしかなかった紅狼は、小躍りしたい様な気分のまま、闘技場の舞台へと降り立った。
「……まさか、このような場で貴方様とお会いする事が出来るとは。全くもって、思いもよりませんでしたよ」
「ああ、そうだな。葉月のためにも、出来る事ならもう、貴殿の顔など二度と見たくはないのだが仕方がない。……貴殿の場合、聞いても無駄だとは思うが、先日の書状の件、飲むつもりはあるか?」
「いいえ、殿下。今ここで飲み下すべきはそんな物ではなく、貴方の血。我が不肖の息子の力に加え、極上の力を持つ、それのみ」
紅狼は、名の通り大きな赤毛の狼へと変身を遂げながら、その鋭い牙の並んだ口を開き、凄んでみせる。
「貴方の喉笛を食いちぎり、その内腑に牙を立て、その甘露を飲み干すためだけに、我は今日、わざわざここまで来たのです」
「――そうか。……今日の対戦相手、他の7人については特に思うところはない。彼らが僕を見下す、その態度はある意味真っ当なものであるし、彼らの考えは今この魔界では当然のもの。けれど今回は必要があるから、こういう場を設けている、それだけだ。……でも」
小刀で掌の皮膚を裂き、滲んだ血を握り締める格好でするりと宙に手を滑らせる。
「貴方だけは、違う。貴方は僕の大事な人達に手を出し、傷つけた。一度、警告をしたにも関わらずやってきて、葉月と咲月を傷つけた。そして先日の『王族認証の儀』でも、試練と称して咲月を害そうとした。……流石の僕も、これだけされたら私怨を殺すことは出来ない」
何もなかった空間に、朔海の手が長い柄のついた武器を創り出す。
槍斧――ハルバードだ。
「……殺しは、しない。貴方は四大家の均衡を保たせる駒として失うわけにいかない存在だ。だが、あの時の僕の憤りを、その身でしかと味わっていただく」
自らの血で拵えた武器を構え、朔海は紅狼を睨み据える。
「――おい」
と、潮が興奮を抑えた声で朔海に呼びかけた。
「この戦い、俺も噛ませろ」
「……駄目だ。言っただろう、君の力は――」
「ああ、聞いたぜ。その件に関しちゃオレ様も理解してるし納得もしてる。だから、ここまでの二戦、口は出しても手は出さなかった。この後の仕合にも手を出すつもりはない。……けど、コイツだけは――」
グルグルと、喉の奥に唸りを押し込め、潮がその高い声を限界まで低めた。
「あの時、オレ様も姫様の傍には居られなかった。ファティマー師匠の水晶玉越しに見た、姫様の顔……。あんな顔をさせた奴を相手に黙って見てるなんて我慢できるか!」
ふわりと、堪えきれずに潮がしゅるりとムーンストーンから出て、紅狼を睨みつけた。
「それに、この間だって。……姫様も覚悟なされていたとは言え、卑怯な手ばっかり使いやがって。あいつにムカついてるのがお前だけだと思うなよ!」
カッと目を灼くような光を放ち、彼の姿が光に溶け、その輪郭を大きく変化させる。――朔海を乗せて軽々飛べる大きさの、銀の竜へと。
「ホラ、グズグズしてないで乗れ。そこでうだうだしてる様なら、オレ様一人で突っ込むぞ」
「……分かった。本当に、この一戦だけだからな」
朔海は、ため息をつきつつ苦笑しながら彼の背に跨った。
「それじゃあ、頼むよ。――潮、まずは軽く小手調べからだ」
「――おう!」
潮は背の翼を広げ、その図体の大きさを感じさせない身軽さでふわりと浮き上がった。
「おい、あれ……」
「ああ、ありゃぁ竜、だよな……?」
「まさか……、聞いた事があったか、現王の第一王子が竜王の血の使い手だなんて?」
「あるわけねぇだろ。王の直系血族でさえ数代に一人、出るかでないかっつぅレアな能力だぜ? ンなモン持ってるなら無位無冠なんてありえねぇだろ?」
「けど、それならあれは……」
「もしもあれが『本物』だとしたら……?」
観客たちは揃って、先ほどとはまるで質の違う、興奮と緊張に満ち満ちた息を飲み込んだ。
竜に跨り、槍斧を構えた彼を見上げ、狼姿の紅狼が牙を剥いた。
竜と比べると小柄に見えてしまいがちだが、狼としてはあまりに破格な大きさを誇る巨躯を、強靭な腿の筋肉をバネにして、宙に浮く竜を地面へ引き摺り下ろさんと飛びかかっていく。
勿論、潮も黙ってやられるはずがない。
宙を自在に翔ける翼を操り、そのジャンプの軌道から逃れると同時に、その軌道上へ口から火炎を吐いた。
炎の礫がいくつも、紅狼目掛けて降り注ぐ。
宙へ跳んだ紅狼は、それから逃れる術はない。しかし、迫り来る炎を睨みつけ、吠えた。
「この程度の炎など!」
大きく息を吸い、そして吐き出す。
その吐息は氷雪を伴い、吹雪となって火炎とぶつかり合った。
灼熱に氷雪は溶かされ、水となる。しかしその水が、炎の勢いを削ぎ、双方がぶつかり合ったその場所に、大量の霧を爆発的に発生させながら、攻撃が相殺される。
その隙に紅狼は地に足をつけてこちらへ向き直り、再度、先程よりもさらに威力を増した氷雪を叩きつけてくる。
吸血鬼の基本的な肉体構造は、人間のそれを模しているため、一応恒温動物であるが、それでも極度の低温に長らく晒されれば当然、血の巡りが悪くなる。
吸血鬼の力の源である血の巡りが滞れば、当然その分力も落ちる。
炎ほど直接的ではないが、それがかなり効果的な攻撃であることは確かだ。
「――けど、届かなければ意味はないよね、潮?」