1-4:勇者の心
【1-4:勇者の心】
相変わらず一人部屋に二人で泊まるクレスたちへ、宿の主人はあまり良い顔をしなかった。しかしそこはラルスが上手いこと取りなしたようで、文句は言われなかった。ちなみにどうやって解決しているのか、クレスは聞いていない。
朝になって討伐依頼の看板がある広場で、二人はドロテアと合流した。挨拶もそこそこに、ラルスは看板横に立つ兵士へと突撃している。それを黙って見送ったクレスにドロテアが視線を向けていたが、クレスにはまだ彼女の言わんとすることを察するのは無理がある。
「本当にお前たちが魔物討伐を?」
「そーだよ、文句あんのか?」
「……戦士と魔術師は分かる。お前は何だ」
「一応武器持ってるんだから偵察係だと思えばいいだろ! おかしいのは自覚してんだからパーティ構成にケチつけんじゃねぇ!」
ラルスはずっと兵士と依頼内容を詰めている。さすがにアルクほどの大きな街だと一般的なパーティ構成というものへの知識もあるらしく、兵士は最小限の編成で更に戦力にならなさそうな子供連れというクレスたちをしきりに訝しんでいた。事実戦力はクレスとドロテアの二人だけだが、そこで断られては本末転倒なので、ラルスはあの手この手で説得している。
「まあいい、討伐に名乗り出たことは記録しておこう」
「あと討伐の証に何を持ち帰るのか聞いておきたいんだけど。これじゃないとか言われても困るからな」
あくまでこの魔物討伐は資金稼ぎが主目的だ。もちろんクレスは昨日の時点で街を救うことが中心になっていたが、人助けだけでは飢えてしまうというラルスの言い分には納得して、時間を掛けてでも必ず依頼という形で受けるように、昨晩の内に話し合ってある。
ラルスの姿を数歩離れて見守りながら、ドロテアはクレスの様子を窺っていた。
「昨日も思っていたけど、ラルスは歳の割にしっかりしてるわね」
「そうだな。私も助かっている」
「どこで覚えたのかしら?」
「知らないな。聞いておいた方が良いのだろうか」
クレスの真面目に聞こえない真剣な返答に、ドロテアはやっぱりと額を押さえる。昨日今日知り合ったばかりの彼女も、さすがに彼らの関係の異常性には気づいてしまった。そもそも大人のクレスが前に出ず、ラルスが表立って交渉をしている時点で、疑問に思わない者などそう居ないのだが。
「……あなたたち、いつ知り合ったの?」
「だいたい三週間前だ。だから彼についてはまだ知らないことが多い」
ドロテアの呆気に取られた表情に、クレスは首を傾げている。彼女の中では出会って三週間の子供に主導権を握られているのかとか、そんな短期間しか行動を共にしていないのに討伐に乗り出したのかとか、言いたいことが間欠泉のように湧き出していた。
「終わったぜー。何話してんだ?」
「まさかこの討伐って、あなたたちの初仕事なんじゃないかっていう話」
「あ、確かにそうだな。まあ連携に関しては不安がらないでくれよ。クレスは本当に強いから、戦闘は基本的に任せることにしてんだ」
「前衛のことは任せてくれて良い。君の魔法に頼りきりにはならない」
戻って来たラルスにすらあっけらかんと言われ、ドロテアも苦言を呈さずにはいられない。
「私は死ぬかもしれないって言ったはずだけど。よくそんな行き当たりばったりで挑もうと思ったわね」
あの話を聞いてなお魔物に挑もうと言うのだから、よほど互いを信頼し合った二人組なのだろうと思うのは当然だろう。先行きが不安だと正直に彼女が告げれば、クレスは何のことは無いと宣言した。
「ならば、道中の魔物との戦闘でまた見極めてもらえば良い。私も無謀な挑戦をするつもりは無い。実際に魔物と戦ったのは君だけだ。無理だと判断したら言ってくれ」
クレスはどんな魔物だろうと微塵も負ける気はしていない。だが万が一ということはあると、油断するつもりも無かった。真剣な眼差しに、ドロテアも折れる。
「ハァ……。分かったわ。ならとにかく行きましょう。魔物のことは道中で話すわ」
ため息を伴っているが、もう二人を止めようとはしなかった。ラルスも薄々感じていることだが、クレスの目には何か力があるようだ。普通の人間が言えば無謀な挑戦も、彼なら大丈夫だと思うような説得力を持っている。これも勇者としての能力なのか、彼の人柄に依るものなのかは、本人にも分からないだろう。
――――――――――
広場を出ようという時、ドロテアはさも当然というように手にしていた箒を宙に浮かせ、椅子のように腰かけた。横座りの彼女を乗せた箒は少しだけ上昇し、爪先が地面に着かない程度の高度を維持し始めた。
「あら、箒に乗る魔女を見るのは初めて? 普通に歩くより速くて便利なのよ、これ」
しげしげと眺めている二人に、ドロテアは珍しくないと言う。しかし「箒に乗る魔女」は典型的な女性魔術師のイメージとして広まってはいるが、実際にはあまり居ないというものだ。
(飛翔魔法。安定して制御するには相当の実力がなければいけないはずだ)
それもそのはずで、飛翔魔法は魔術に分類される魔法の中では、一、二を争う難易度とされるものだ。召喚魔法や治癒魔法とは別の意味で素質が必要なのか、基本はほんの少しの浮遊さえ膨大な魔力が消費され、人間程度の魔力量では維持が不可能となる。
「すっげー……お姉さんかなりの実力者だろ? アルクはデカい街だけど、まさかそんな凄い魔術師がいると思わなかった」
「飛翔魔法が使えるからって、強いとは限らないわよ坊や。私は興味のある魔法以外全然ダメ。逆に転移魔法なんて全く使えないもの」
ドロテアは興味のある魔法のみを鍛え続けた、魔術師としては特異な経歴の持ち主だ。飛翔魔法に関して言えば、どうしても空を飛んでみたかったから練習したのであり、それが彼女が魔術師になった理由である。それ以外のものはほとんど、片手間にやってみただけだった。
「一応防御魔法を使うけど、あまりあてにはしないで。さっきも言った通り、私は興味のない魔法はあまり使ってこなかったから得意ではないの。攻撃魔法と付与魔法の方ならマシだけど、私の魔法は自分の身を守れる程度だと思って」
これはただの謙遜だけではない。事実、戦闘時における魔術師の役割をこなすには、ドロテアの技量は少々心許ないのだ。ただ飛翔魔法を使いこなすだけあって魔力量は高いため、少し強引に威力などの底上げを行っている部分がある。それで帳尻を合わせているのだと、ドロテアは二人に説明した。
「しかし名のある魔術師なのだろう?」
クレスのもっともな疑問に、ドロテアの表情が曇る。
「……凄かったのは私じゃなくて、一緒に戦っていた彼の方。傭兵だった彼を手助けするために着いて行っていただけで、私の名声は彼の恩恵ってこと」
そう語る彼女の様子だけで、ラルスは察していた。察すると同時に動いていた口を止めきれず、言葉を少し詰まらせながら問う。
「その彼は、今は」
「この山の魔物に殺されたわ」
返事は淡々としていた。ただ、努めて感情を乗せないようにしているのは明らかだった。
「前に出て戦ってくれる人が居なくなったから、私は復讐も出来ずに酒場に籠っていたというわけ」
「……その人、恋人だったのか?」
「……正義感の強い人だった。だから危ないことを止めない限り、結婚はしないって言いつけてたんだけどね」
しょうがない人、と、今は居ない人へのささやかな文句を言う。ラルスが罪悪感に駆られているのを見て、苦笑しながら続けた。
「話し過ぎたわ。ごめんなさいね、知り合ったばかりの人にこんな話」
「なぜ謝る? 君は聞かれたことに答えただけだろう」
「そういうことじゃねぇんだよ。俺の方こそ立ち入ったこと聞いちゃって、ごめん」
クレスにはまだこういった心情は難しいようだ。ラルスが謝っているのを見て、深く尋ねるべきではないとは理解した。そうした二人の反応の差を、ドロテアは目を細めて見つめている。
そろそろ、ドロテアもクレスの感性についてある確信を持っていた。
「なら、お詫びついでに私の疑問に答えてほしいわね。どうして全く関係ない人を助けようなんて思うの? 単純な正義感ではないでしょう?」
人々を救うという言葉に対する説得力はある。だがクレスの場合は、ドロテアの知る正義感の強い人間にあるような「熱意」のようなものは、今のところ感じられなかった。だからこそ、不信まではいかない疑念を、彼女は持っている。
「私は――」
(勇者って言うなよ頼むから!)
答えようとするクレスは、横から訴えかける視線の意味をしっかり読み取った。確実に察しが良くなってはいるが、まだ油断はならない。
「――……私には、使命がある。人々を救うことはその一環だ」
「使命、ね。貴方が危ない人じゃないことを祈るわ」
(ああ……もう旅の道連れは絶望的だな……)
ラルスもいきなり彼女が一緒に来てくれるとは思っていなかった。しかし一応、もしかしたら、今回の討伐依頼をこなす間にある程度信頼関係を築けるのではと、少なからず期待していたのだ。だがそれも、彼女がクレスの雰囲気になんとなく絆される人間ではなかったため、望みは薄そうだ。
(ああぁこれもう俺しかこいつに着いて行けないような気がして来た……。まだ一人しか挑戦してないのに……)
ドロテアの過去にうっかり踏み入ってしまったり、クレスの言動に神経を擦り減らしたり、まだ山に到着してもいないのに、ラルスは疲れを感じていた。
そこからしばらくは、近辺に生息する魔物の情報や当たり障りの無い内容の話を続け、街の外に出る門まで到着した。
例の山には街から一本の道が通っている。今でこそ商業が盛んなアルクの街も、昔は山での狩猟や採集が中心の長閑な田舎町だったので、昔ながらの山道が今も残っている形だ。生活に必要な道は舗装され、山と町とを繋ぎ、多くの人々に利用され、街へと発展するまでを支えた。現在は管理もあまりされていないのか、敷石の隙間から生える雑草で道が埋もれている部分もある。
それだけならまだ普通だった。クレスたちは門をくぐってすぐ、まず目を疑う光景を見た。もっとも、不穏なことは一切ないのだが。
道端で、品の良い老婦人が揺り椅子に座っていた。これが家の暖炉の側というなら特に何でもなかったのだが、ここは街道くずれの山道で、外だ。場違いな老婦人は何でも無いように目を閉じて椅子を揺らしている。そして近づいて来た足音に気づいたのか、顔を上げるとドロテアに向かって問いかけた。返事をするドロテアも慣れた様子だ。
「あなたのお名前は?」
「ドロテアよ。お婆さん」
「いい名前ねぇ」
そう言って老婦人は微笑んでいる。ドロテアもそれに何も言わず、振り返って小声で二人に話した。
「(このお婆さん、いつもここに居て通りかかる人に名前を聞いてるのよ。答えてもどうせいつも同じ反応だけど、悪い人でもないから。答えなくてもニコニコ笑ってるだけだから別に相手にしなくてもいいわよ)」
老婦人は耳が遠いのか、ドロテアの話は聞こえていないようだ。三人で話している間も、揺り椅子をゆっくり揺らしている。ラルスがまじまじと見つめ直すと、それに気づいたようで、今度はラルスに同じ言葉で問いかけた。
「あなたのお名前は?」
「えっと、ラルス」
「いい名前ねぇ」
反応まで全く同じだ。それでラルスは納得して、先へ行こうと二人を促した。ラルスとドロテアが歩き始めると、老婦人は最後までじっと見つめていたクレスに同じく話しかけた。
「あなたのお名前は?」
「クレスだ。クレス・アルケイデス」
クレスは律儀に答える。この後に続く言葉が同じだとしても、答えることに何の疑問も持っていなかった。
「クレス……?」
ところが、老婦人はここで初めて異なる言葉を返した。パッと目を輝かせ、殊更嬉しそうに続ける。
「いい名前よねぇ。ねぇ、いい名前でしょう?」
「そうなのか」
「ええ、ええ」
良い名前と言われても、クレスには何とも言い難い。彼の使命には関係の無いことだ。そして老婦人は彼らが来る前と同じように目を閉じて、静かに椅子を揺らし始めた。
それを見届けて、クレスは二人の後を追おうと老婦人に背を向けた。
「そう、あの人はもう居ないのねぇ。来ないのねぇ」
「……?」
その声はクレスに掛けたようで、独り言のようでもあった。クレスは足を止め少し様子を窺っていたが、老婦人がそれ以降口を開くことは無かった。揺り椅子のキィキィという音だけが鳴っている。
寂しそうな響きに引っかかりは覚えたものの、追求しようとはしない。そのまま歩き出し、山へ向かった。そこで聞き返せない彼にはまだ、その言葉の意味を理解することはできない。
【Die fantastische Geschichte 1-4 Ende】