1-3:魔女ドロテア
【1-3:魔女ドロテア】
翌朝、二人は真夜中の訪問者のことには全く触れないまま、宿を出て街の広場へ向かった。宿の主人によれば、手っ取り早く稼ぎたいならちょうど良い「仕事」が、宿から一番近い広場で待っているらしい。
「しっかしイマドキ領主が立札で魔物退治なんて依頼するかぁ? 古臭いぜ」
そこには急ごしらえにしか見えない木の看板と、その横で番をしている兵士がいた。物珍しさに立ち止まった人々は、みな張り出された紙を見て呆れたように首を振って去っていく。書かれた内容は、こうだ。
『西の山に現れた女の魔物を討伐した者に、報酬として10万Gを与える。ただし討伐の証となるものを持ち帰ること』
たったのこれだけ。魔物の特徴や山のどこにいるのかなど詳細な情報も無く、右下に領主印らしきものが申し訳程度に添えられていた。
「西の山……メネもそこへ向かうようにと言っていた。何か関係があるだろう。ラルス、この賞金額は妥当か?」
「うーん、滅茶苦茶強いってんなら分かるけど、脅威だって言うにはテキトーすぎる。本当に払ってくれるか怪しいもんだぜ。だからみんな冗談だと思って素通りしてんじゃねぇの――ってことはあのオヤジ、テキトー抜かしやがったな! 確実に金になる仕事を紹介しろよ!」
クレスにはこのようなものの基準が分からない。一応物の相場に関しては二人旅を始めてすぐにラルスから叩き込まれたのだが、まだ自分で判断するには覚束ない。ここは素直にラルスの意見を聞いてみようと思ったのだが、やはり彼は気づかなかった部分まで読み取ったようだ。この報奨金が確実に出るのであれば、向こう三ヶ月は何もしなくとも余裕でラルスの言う文明的な生活が出来る。それだけの額を提示しているからこそ、この手抜きの手配書は怪しすぎた。
ラルスが宿の主人へ文句を言いに行き、クレスは後に続きながらこの後のことを考える。女神の助言に従うならば、西の山へ行きネーソスの邪気とやらを探るべきだ。それに魔物も人々に害を為しえるのだから放置するつもりは無い。だが引っ掛かるのは、討伐依頼が出るような魔物が近くに居るにも関わらず、街に全く緊張が見られないことだ。
「だからさー、あれ本当に信用できんの? あれで領主の依頼とか胡散臭すぎるし、踏み倒される気しかしないぞ」
「いや魔物が出るのは本当だって。現に討伐に行った奴は誰一人として戻ってこなかった……いや、一人帰って来たな」
宿の主人はラルスの追及に面倒そうに答えた。そのような危険なものを紹介しておいての薄情さにラルスが喚く。
「一人だけかよ! そんな危険な場所行って1Gにもならないとかだったら、俺絶対行かな――」
「ご主人、その一人はどのような人物だろうか。会って話を聞きたい」
「あん? ドロテア・オズマっていう若い姉ちゃんだよ。ここいらじゃ美人だし強いしで有名な魔術師さ」
「――オッサン! そのお姉さんどこにいるか知ってるか!? キレイなお姉さんとなら喜んで魔物退治でも何でもするぜ!」
不満の声を遮ったクレスの質問への答えに、ラルスは驚くべき変わり身の早さで勢い込む。クレスにとっては人物が特定できれば外見の評判などよかったのだが、ラルスには効果てきめんだったらしい。宿の主人は呆れた顔でちらりと見た後、やはりやる気の無さそうに答えた。
「大通りにある〈魔女の箒星亭〉っていう、箒と星の絵の看板が目印の酒場じゃないかな。最近昼間はずっとそこに居るんだ」
教えられた酒場は小さくも活気があり、ある一角を除いては犇めく酔客で賑わっていた。クレスたちは人々の間を縫って、喧騒の中から切り取られたように一人座る女の下へ進む。女は近づいて来た彼らに気づくと、屋内にも関わらず被ったままの黒い鍔広の円錐帽を傾け、ゆっくりと上半身を捻り向かい合った。
「あら。良く見ればイイ男に可愛い子だこと。こんばんは、私に何か用かしら?」
紅を差した唇を笑みの形に歪め、女は少し掠れた声で気だるげに話し掛ける。一目見れば忘れられないだろう、鮮烈な印象を持つ人物だ。垂れ目がちな紫水晶の目に右の泣き黒子が、むせ返るほどの色気を醸し出している。流れる紫紺の髪をかきあげる仕草さえ妖艶だ。ラルスは目に入ってしまった、大胆に開いた黒いドレスの胸元や際どいスリットから覗く白い足に、思わず紅潮した顔を逸らした。一方でクレスは全く動じずに、常と変わらぬ調子で問いかける。
「貴方がドロテア・オズマで合っているだろうか。宿の主人からの紹介で来た、クレス・アルケイデスという者だ」
「ええ、私がドロテアよ。……紹介ってことは、魔術師をお求めかしら? それとも、私と飲んでくれるのかしら」
「前者だ。生憎と飲酒できるほどの持ち合わせは無いし、そもそも飲むつもりも無い」
「それは残念ねぇ。あなたとお近づきになれたら、もっと美味しいお酒が飲めそうだったのに。良い装備をしているし、どこかの貴族家お抱えの騎士さんかと思っていたわ」
淡々と返すクレスに気を悪くした素振りも無く、ドロテアは会話を続ける。その身形で遊べる稼ぎも無いのかと訝しむ彼女は、言葉ほど彼の容姿に興味を持っているようには見えない。魔術師としての腕を見込んで来たと言う彼の出方を見ようとしているようだ。
「私は勇――」
「ちょっと訳有りで金欠なだけだよ! あ、俺はラルスね。それよりお姉さん、俺たちとパーティ組んでみない?」
また初対面の相手に勇者だと宣言しようとしたクレスを押しやり、ラルスは身を乗り出した。黙っていろ、という意味でさりげなく横腹に拳を入れるのも忘れない。警戒されるどころか話すら聞いてもらえなくなりそうだ。対するラルスもまるでナンパのような口上だが、年齢のおかげもあってまだ怪しくないと彼は自負している。
「俺たち、西の山で魔物退治をしようと思ってるんだけど、魔法面がちょっと不安でさ。この人は見ての通り凄腕の騎士なんだけど、さすがに一人で全部を賄うのは厳しいじゃん? それで魔術師を誘おうってことになったんだ」
ラルスの言葉に嘘は無い。しかし本当は今回だけではなく、しばらく旅に同行してほしいのが本音だ。ただ最初からそう言うと断られる可能性が高いので、相性などを確認するためにもまず短期間で提示した。
「もちろんタダとは言わない。今は本当に金が無いんだけど、騒動を解決した暁には報奨金がたっぷり出る。それを山分けしよう。後払いじゃ信用ならないって言うなら、そうだな、担保を渡すよ」
どう、とドロテアを見る。あの報酬が本当に出てくれるのかは微妙なところだが、そこはもう信じたい。
「悪いけど、西の山には行きたくないの。他を当たってくれるかしら」
ドロテアの返事はつれない。クレスとラルスは互いに顔を見合わせた。諦めるか、説得するか。彼女でなくとも良いと言ってしまえばそれまでなのだが、地元民ではない二人には別の者の心当たりも無い。
「そこを何とか出来ない? 聞いた話だと、お姉さんこの辺りじゃ一番の魔術師らしいじゃん。あんな報奨金のついた魔物なんて相当厄介に決まってるのに、そこらのぺーぺーを連れて行くのは不安すぎる」
「あの掲示を見たのなら、変だと思ったでしょう? あれは形だけでも魔物への対策をしているように見せてるだけなのよ。だから支払いには期待しないことね」
「形だけ? やっぱり貴族にはロクなやつがいねーな。この辺りの領主はそんなに面倒くさがりなのかよ」
「さあ。どこかの女にうつつを抜かして、街のことが疎かになっているんじゃないの」
彼女の声には諦めの念が篭っている。立札の件に関して妙に精通していそうな雰囲気だが、どう聞き出したものかとラルスは考えあぐねた。あまり執拗に尋ねても答えてくれないかもしれない。
ラルスが詰まった代わりに、次はクレスが口を開いた。
「貴方は西の山へ一度魔物討伐に向かったと聞いた。倒すことが目的だったのなら、なぜ再戦を拒む?」
彼の目には、何も気づかず呑気に暮らしている街の人間たちと、何かを知っていて悲観している彼女の構図が奇妙に見えてならなかった。原因はおそらく魔物なのだろう。しかし今の状況を良しとしないのなら、彼らに協力してくれても良さそうなものだ。ハァと溜息を吐いた彼女は、やはり行きたくないという思いを前面に出して答える。
「見ての通り私は魔術師。前で護ってくれる人が居ないと不安なの。でも男は連れて行けないわ」
「看板には女の魔物と書いてあった。それと関係があるのか?」
「まあそうね。あなたたちもお金が欲しいだけなら止めておきなさい。領主みたいになるわよ」
その一言で、二人は何が何でも彼女から話を聞かなければならなくなった。
「魔物が人々に害を為している。それだけで私の戦う理由としては充分だ」
正確には、クレスにとって魔物退治をする確固とした理由ができた。
「それほど嫌がるのであれば無理に連れて行きはしない。だが相手はどのような魔物で、領主に何をしたか、街に何が起こっているのか、知る限りのことを聞かせてほしい」
「……聞いてどうするつもり?」
「決まっている」
なぜなら彼は「勇者」なのだから。
「魔物を倒し、人々を救う。それが私の使命だ」
――――――――――
西の山の魔物は、男を惑わす妖艶な女悪魔。魅了した相手を意のままに操り、利用価値が無くなればその生気を喰らって糧とする。女に対しては非常に攻撃的で、攻撃魔法で容赦無く屠るか、操った男どもに戦わせる。更にこの魔物は人間が討伐に来るのを阻止するため、最初に領主を籠絡して情報の伝搬を遅らせたのだ。そして今もゆっくりと、街の者たちを操る魔法を広げている。
「私は最初、山に行った夫が帰って来ないというご婦人の依頼で討伐に行ったの。そして失敗した。戻った後、領主に討伐隊の結成を要請しに行って、その成果があの掲示。……笑っちゃうわ。危機感がまるで無いのは、あの魔物の魅了が街全体に及んでいるせい。倒しに行く気が無いどころか、そのうちみんな喜んで命を捧げに行くようになるでしょうね」
悲しげに笑うドロテアはどうしようもないと肩を竦めて見せた。魔物の魅了は彼女にも解けなかったため、現状手の打ちようが無かった。だからじわじわと魔物の支配下に置かれていく街を、ただ黙って見守っていた。
「私の魔法では魔物の魅了を軽減させるだけで精一杯だった。かと言って一人で立ち向かえる相手でもないわ。それでもあなたたち、行くの?」
死にに行くのか、と訴える眼差しからクレスは全く目を逸らさない。ラルスは少し不安げな様子だったが、それでも一度クレスを見上げれば、気を奮い立たせるのは簡単だった。
「たとえどんな敵が相手だろうと一歩も退くつもりは無い。私はそのために生まれてきたのだから」
強い意志の光を宿す青に、魔物への恐れなど一切無い。淡々と事実を述べる彼が全く表情を変えないのも、今は頼もしいという印象が勝る。それは彼の正体を知らないドロテアも同じだった。
クレスの言葉を吟味するようにしばらく目を閉じていた彼女は、やがて意を決したようにラルスへ目を向けた。
「……担保とやらを見せてちょうだい」
担保と聞いて話を振られたラルスは表情を歪める。だがそれは一瞬で、首元から服の下に隠れていた細い銀の鎖を取り出すと、ペンダントのように下げられた指輪を外した。大きさからして大人の男物だ。幅の広めな銀の輪と紅い石のどちらにも、細かな紋様が彫り込まれている。ラルスはドロテアを窺うようにそれを渡すと、落ち着かなげに鎖の方を指で弄んだ。ドロテアはというと指輪の隅々まで眺めたかと思えば、台座の紅玉を穴が開くほどに真剣に鑑定していた。
「なかなか良い品じゃない。これを売れば金欠は解決出来たでしょうに」
「それだけは売れねぇんだ。今回だって、絶対に返してもらうのが前提だからな」
「よほど大事な物のようね。……魔晶石は品質からしてドラゴニア産の最高級品、魔法塗装と細工もおそらく名のある職人の仕事。担保としては充分でしょう、着いて行ってあげるわ」
預けた指輪はどうやらお眼鏡に適ったらしい。不承不承といった様子のラルスだが、ドロテアの気を変えさせられたこと自体には安堵していた。そしてやはりと言うべきか、担保の出所を真っ先に気にしたのはクレスだ。
「ラルス、いつの間にあのような物を手に入れた?」
「あれは貰い物だよ。……盗んだ物じゃねぇから安心してくれよ」
クレスの不穏な声に、答えるラルスは小声で付け足す。ドロテアはラルスが義賊として盗みを働いていたことを知らないのだ。盗品ではないかとクレスが目を光らせるのは分からないでもないが、ここに来て信用を落としかねない事情を知らせたくない。
盗んだ物ではないと聞いて、一応クレスはこの場で追及するのは控えた。しかしラルスへの疑問が残ったのは事実。
(ドロテアの判断が正しいのであれば、あの指輪は相当高価なはず。……義賊になった経緯といい、ある程度剣の鍛錬を積んだ形跡があることといい、ラルスもただの孤児ではなさそうだ)
全てを知っていようがいまいが、彼の使命には関係無いことだ。だが少しばかり引っ掛かるのは、なぜなのか。
「――ってことで決まりだな。俺たちの宿はここだから。本当に金が無いからできれば短期決戦でいきたいんだけど……」
「……何をしたらそんなにお金に困る事態になるの? まあいいわ。私は明日からでも大丈夫よ」
「助かった! じゃあ明日はあの看板が立ってる広場に――」
二人はクレスの思案を余所に話を進めている。どうやら明日は忙しい一日になりそうだ。
これがクレスにとっては初めての人助けとなるのかもしれない。創られてからラルスに出会うまではまともに人間と会話を交わせなかったし、それからはひたすらよくいる魔物を遭遇しては倒していただけだった。人々を救うことが使命と言いながら、何もしなかったというのは矛盾している。
(……やはり先日のラルスの助言は正しかったか。私の使命と寄り道をすること、両立しないことはない)
先を急ぐことも、人々と関わり生きることも、どちらもクレスの使命とは切り離せないようだ。そして女神の言っていた、クレスが人間である意味と人間と違うものを知るには、まず他者を知らなくてはならない。
翌日、勇者たちはアルクの西にある山へと向かう。山に潜む邪悪を払うため、女神の街アルクを取り戻すため。勇者に「アルクの守護者」の名を与えた女神は、ただその道行を慈愛を込めて見守っていた。
【Die fantastische Geschichte 1-3 Ende】