(番外編)星空の下の約束
私は荒い息を吐き出すと、ゆっくりと夜空を眺めた。
ここ『妖魔の森』は、街から少し離れているので街灯りがほとんど届かない。だから空を見上げると星がよく見えた。
私はここから見える星空が大好きだった。満面の星空を前にすると特訓の疲れも一気に吹き飛ぶ。
私の横では、ティーナがぼーっとした表情で同じように星空を眺めていた。
さっきまで私と一緒に魔力全力解放をやったとは思えないほど涼しげな顔だ。私のほうはへとへとでぐったりだというのに。
私たちはいま妖魔の森にいた。場所は、デイズおばあさんの薬草小屋。
薬草小屋は、妖魔の森における私たちの秘密の魔法の特訓場所のひとつとなっていた。
そしてティーナの厳しい特訓のあとには、小屋の屋根の上に寝転がって星空を眺めることが定番となっていた。
私たちの特訓は、主に夜に行われた。なぜならば、私たちの『特訓』は人目を避ける必要があったからだ。もっともティーナが夏の暑い日中に外出するのを心底嫌がったのが最大の理由かもしれなかったが。
私たちは、「本気」の魔力を世間には秘密にしていた。
私たちの力はあまりにも大きすぎて、いろいろな意味で一般の人たちには刺激が強すぎたからだ。
「エリス、はいよ」
「ありがとう」
私の荒い息が収まってきたタイミングを見計らって、ティーナが水筒を渡してくれた。中にはティーナお手製の「清涼水」の魔法薬が入っていた。
のどがカラカラに乾いていたので、私は一気に中身を飲み干した。のどの渇きが潤されるとともに、さわやかな爽快感が私の全身を突き抜けて行く。
ようやく人心地ついた私はまた星空を眺めた。とても穏やかな時間が流れていく。
「……エリス、キミはなかなか呑み込みが早いね」
不意に、師匠が私のことを褒めてくれた。
突然のことだったので、私は驚いて目を見開いてまじまじと見つめてしまう。
魔法のトレーニングでは散々厳しい指導を受けていたので、その言葉がにわかには信じられなかった。
「……急にどうしたの?なにか悪いものでも飲んだ?」
私は含み笑いを漏らしながら、ティーナの似合わない発言を冗談でごまかした。本当はすごくうれしかった。でも照れくさくて素直になれなかったんだ。
そんな私の冗談を軽く受け流すと、ティーナは真顔になって私に問いかけてきた。
「ねぇエリス、キミは……後悔していないかい?」
「えっ?」
「キミは、今の生き方を後悔していないのかい?」
「……してないよ」
私は寸分の迷いもなくそう答えた。
事実、後悔は何一つなかった。足りない言葉を補足するために話を続ける。
「私は……自分が歩む道を自分の意志で決めた。だから後悔は何もないよ。ティーナは私のことを心配してくれているの?」
探るようにティーナの目を見る。ティーナは視線を逸らすことなく受け止めて頷いた。
「あぁ、心配している。君の人生についてボクにも責任の一端があると思っているからね」
「まだそんなこと思ってるの? 私は大丈夫だって。バレンシアの前でそんなこと言ったら怒られるよ?」
「そっか、そうだよなぁ……」
私の返事に満足したのか、ティーナは長い黄金色の髪をかき上げながらそう答えた。
「ねぇティーナ」
「……ん?」
「心配してくれてありがとう」
「……別に」
ティーナは気まずそうに視線を逸らす。でもすぐに気を取り直したのか、再び私に顔を向けたときにはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。
「ふふふ。そう、ボクはキミのことが心配だよ。キミは猪突猛進でいつも周りのことは顧みらず突っ走る。そのわりには肝心な部分への注意が欠けているから心配で目が離せない。なによりキミは典型的な箱入りのお嬢様タイプだ。世間知らずだし放っておくとどこかにふらっと行ってしまいそうで油断できない。どうだい? その通りだろう?」
鋭く私の本質を突いたティーナの分析は、しかし私の心を打ち砕くことはなかった。彼女に言われたことは私自身重々承知していたし、なにより反省していたからだ。
面と向かってこう言われると少し恥ずかしいというか、情けないものはある。でも私は、ティーナがあえて今ニヤニヤしながらこんなことを言ってきたのか見透かしていた。
ティーナは、お礼を言われて恥ずかしかったのだ。照れ隠しにこんなことを突然言い出したのだ。
わかってしまえばティーナの発言などたいしたことない。むしろかわいいくらいだ。
ふいに私の心にむくむくといたずら心が湧いてきた。これ幸いとばかりに、日頃できない反撃を試みることにする。
「そうだよ。私はティーナが言うとおりの人間だよ。だけど……ティーナだって私と変わらない」
「うん?」
「だってティーナは朝が弱くていっつも寝ぼけてるし、半分寝たまま朝ごはん食べてて行儀が悪い。お酒が好きなくせに弱くてすぐ絡んでくるし、掃除や片付けが苦手で一度出したものは片付けないくせに『散らかってるように見えるけどボクはどこになにが置いてあるかわかってるんだ』とか言って誤魔化すし」
「うっ、ぐっ」
私の有無を言わさぬ反撃に身もだえするティーナ。だけどこれだけでは許さない。ここぞとばかりに一気にたたみかけた。
「それに……ティーナは自分自身のことを大切にしなさすぎだよ」
「えっ!?」
急に話の方向が変わったので、ティーナは一瞬驚いた表情を浮かべた。一方私はこれを機に、これまでずっと考えていたことを思い切って口にすることにした。
「ティーナはすごく賢くて頭の回転も速い。いつも物事を先読みして最善の方法を探っている。それはそれですごいことなんだけど……。でもね、私はそんなティーナのことが心配なんだ」
「……エリス?」
「この前の悪魔との戦いのときに感じたんだけど、あのときティーナはバレンシアを助けるために『悪魔』の言いなりになってたよね? それがバレンシアを安全に助けるための最善の策だと考えたんだよね?」
「……あぁ、そうだよ」
「でもさ、そのときティーナは自分自身のことをどう考えてたの?」
私の問いかけに、ティーナは完全に黙り込んでしまった。
「私にはね、あのときのティーナが『自分自身のことはどうなっても良い』って考えて手を打っていたように感じたの」
「……そうか、そう感じたのか」
さっと突風が吹いてティーナの髪が風に舞った。
舞う髪のせいで彼女の表情が見えない。
「すごいねエリスは、そんなことまで気づくんだ。そうだね……。おおむねキミの言うとおりだよ」
そう言うティーナの顔には、胸が締め付けられるような笑顔が浮かんでいた。
「あのときボクは、ボク自身をうまく使えばきっとバレンシアを無事に解放できると考えてた。なにせあいつはボクに異常なまでの執着を見せていたからね。ボクにとってはバレンシアを無傷で解放することこそが最大の目的であり、そのためならボク自身はどうなっても良いと思っていた。ボクは自分自身を一番使いやすくて食いつきが良い『おとり』だと考えていたんだよ」
「やっぱり……。だからバレンシアに殴られたんだよ」
私はため息とともに口にした言葉に、ティーナははっとしたような表情を浮かべた。
「……そうか、それでバレンシアは怒ってたのか」
「……ねぇティーナ。もしかしていま殴られた理由に気づいたの?」
「う、うーん……」
「呆れた! ティーナは自覚がなさすぎだよ!」
私はぐいっと身を乗り出すと、思わずティーナの手をつかんだ。そうしないとティーナが遠くに行ってしまいそうに感じたから。
「ちょ、ちょっとエリス?」
「ねぇティーナ。あなたにお願いがある」
私のいつになく真剣な表情に、ティーナの表情が引き締まる。
「……ん、なんだい?」
「もう二度と、自分自身を『おとり』にするようなことはしないで」
「……」
「今後はもっと自分自身のことを大切にして。あなたがバレンシアや私のことを大切に思うのと同じように、私たちもあなたのことを大切に思ってるから。そんな人が身近にいることを決して忘れないで」
私はティーナの手をぎゅっと強く握りしめると、ありったけの思いを込めてそう伝えた。ずっとティーナに伝えたいと思っていた言葉だった。
「お願いティーナ。約束して」
しばらく顔を伏せていたティーナは、私の態度に何を言っても無駄と諦めたのか……ついに覚悟を決めたかのように顔を上げた。
「……わかったよ、エリス。今後は善処する」
「ティーナ!」
あいかわらずの発言に私は一瞬大きな声を出してしまったものの、ティーナの表情を見てすぐに冷静さを取り戻した。
なぜならティーナは、ものすごく落ち着いた表情を浮かべていたからだ。それは、今まで見たこともないくらいおだやかでやさしい表情だった。
「ボクはこれまで、自分がいくら傷つこうが汚れようがどうでも良いと思っていた。だけど……その考え方については今後改めるようにする。約束するよ」
「……そっか」
ティーナは私たちに対して決してウソをつかない。だからこれは彼女なりの精一杯の表現なのだ。そのことが理解できたから、私はいまの答えで納得することにした。
「……わかった。今日のところはそれで勘弁してあげる」
「だけど、もしキミたちが危険な目に合うことがあったら、そのときはどんなことからも優先してキミたちを守るからね」
「それは私たちも同じだよ! もしティーナが危険な目にあったら、ぜったいに私たちがあなたを守る。そのための力を……私も手に入れたと思ってるからね?」
私は首から下げた『ラピュラスの魔鍵』をティーナに向かって突き出した。加えてガッツポーズをしてみせる。
まだまだ体は細いけど、以前に比べてずいぶん体力もついてきたのだ。魔法だってこれからもっともっと使えるようになる。
私だっていつまでも守られるだけでは無いのだ。
「あ、そうだティーナ。もうひとつお願いがあるんだ」
「ん? まだあるのかい? ……まぁこうなったら毒食らわば皿までだ。言ってみなよ」
ティーナの返事に、私はごくりとつばを飲み込んだ。
正直これから話そうとしていることは、これまでずっと言うのをためらっていたことだ。だけど、もし言うのであれば今のこのタイミングを置いて他にはない。私は覚悟を決めて口を開いた。
「あのね……。ティーナはデイズおばあさんに十歳より前の記憶を封印されてて、十八歳になった時にその記憶の封印を解く予定なんだよね?」
「……あぁ、そうだよ」
「『記憶の封印』を解くときにはね。私とバレンシアをその場に一緒に居させてほしいの」
私のお願いを聞いたティーナの身体がぐらりと揺れた。どうやら私の言葉はティーナの心の何かを捉えたようだった。
「……だめ、かな?」
「……」
ティーナはすぐには返事を返さなかった。しばし流れる沈黙。
やがてティーナはフッと噴き出すと、続けて大声で笑い始めた。
「あはっ、あはははははは」
「テ、ティーナ?」
「いやー、まいったなぁ。そう来るか。完全に予想外だったよ」
「ちょっと! 私は真剣に言ってるんだからねっ!」
「分かってるよ。……ありがとう、エリス」
ティーナは軽く頭を振ると、晴れやかな笑みを浮かべて私を見つめてきた。出会ったときの冷たい視線とはまるで別人みたいな、温かみのある優しい視線で。
「約束する。ボクの記憶の封印を解くときには必ずキミたちに一緒に居てもらうようにするよ。それで良い?」
「うんっ!」
私は嬉しくなってティーナに抱きついてしまった。すごくいい匂いが鼻腔をくすぐる。
ティーナはこのか細い体にいったいどれだけの過去を秘めているのだろうか。
天使だったデイズが封印したほどの『記憶』。それを解放した時に、ティーナがまともな精神状態でいられるのか。
初めてこの話を聞いた時から、そのことがずっと心配だったのだ。
だけど今回、こうして約束をすることができた。
これで、ティーナにとって一番大事な時に傍に居ることができる。
そばにいさえすれば、どんなにつらい記憶だったとしても支えることができる。少なくとも自分が知らないところで彼女が傷つくような事態は避けることができる。そのことがなによりも嬉しかった。
「あーよかった。なんだか私、安心ちゃった……」
「ちょ……ちょっとエリス!」
ほっとしたら、すこし気が抜けてしまった。気が付くと、頬を涙が伝わっていた。
「……泣かないでくれよ」
「だって、ずっと心配してたんだから……」
その言葉を契機に、私の涙腺は一気に崩壊してしまった。それからしばらくわんわんとティーナの肩を借りて、私は泣き続けてしまった。
◇◇◇
「……ごめんね、なんか急に涙が止まらなくなっちゃって」
ようやく落ち着いた私は、ハンカチで鼻水を拭いてからティーナに謝った。ティーナは少し困ったような、照れているような表情を浮かべて頷いた。
「別に気にしないでいいよ。エリスが泣き虫なのは今に始まったことじゃないし」
「……ちょっと! 私がいつ泣き虫になったっていうの!?」
あまりの言い草に、つい恥ずかしくなって言い返してしまう。
言い返したあと私たちはお互いの顔を見合わせてぷっと吹き出した。そしてそのまま、大笑いしてしまった。
私たちの笑い声が、真っ暗な『妖魔の森』の中に響き渡った。それは、この場に似つかわしくない明るい笑い声だったと思う。
と、そのとき。
ずしーん、ずしーん。遠くのほうからなにか大きなものが歩いてくるような音が響いてきた。
「えっ、なにこれ?地響き?足音?」
私はあわてて周囲に耳を澄ます。
もしこれが魔獣だとしたら、すぐに逃げなければならない。
だけどティーナは私は違ってまったく慌てていなかった。
それよりも、何か……『しまった』というような表情を浮かべている。
その様子に怪訝な気配を感じた私は、彼女に問いかけてみた。
「……ティーナ?」
「エリス、ごめん。そういえばキミに言い忘れてたことがあるんだ」
「えっ?」
ティーナの言葉に、私はあわてる。
こんなときになにを言い出すのだろうか。
「実は最近、新しい友達ができたんだ」
「えっ?えっ?」
ずしーーん。
ずっしーーん。
そんな間にも、足音はどんどん大きくなってく。
「その友達とは、実は……」
ずしーーーん!
そして、私たちの目の前に姿を現したのは、例の草食竜だった!!
「こいつなんだ」
「…………はぁ!?」
『くえええぇぇぇええぇっ』
『草食竜』は、ティーナを見つけると、嬉しそうに?奇声を上げながら駆け寄ってきた。
ずしんずしんと、地響きを立てながら。
「いやー、なんか、この前の一件からボクに懐いちゃったみたいでさ。ときどきここで魔法の実験とかしてると、寄ってくるようになっちゃったんだよねぇ」
「えええええええええええええっ!?」
魔獣である『草食竜』を友達として紹介される。
そんなとんでもない事態が、この日を締めくくる最後で最大のイベントとなった。
だけど、私は忘れない。
この星空の下でティーナと交わした約束を。
この約束が果たされるかどうか、今はまだわからない。
私自身は、なにがあってもこの約束を守ろうと、心に固く誓ったのだった。