(番外編)シリウスとバレンシア 後編
突然やってきたダブリンは、エリスが居ないことがわかるとすごすごと退散していった。もしかすると、殺気立ったシリウスの視線に恐れをなしたのかもしれないが。
ダブリンが立ち去ると、魔法屋〈アンティーク〉に再び静寂が訪れた。
だが、一度気勢を削がれてしまったシリウスは、完全に意気消沈してしまっていた。
そんな彼の内心を知ってか知らずか、バレンシアの号令で、午前中にやりかけになっていた店内の片づけを二人で再開することになった。
「あ、それ上の棚にしまっといて」
「わかった」
「じゃあこれは……そこに並べようか」
「はいはい」
バレンシアの指示に従い、商品を陳列するシリウス。
そして、ふと気づいてしまった。このシチュエーションは、まるでお店を経営している夫婦のようではないかと。
設定は……そう、駆け出しの魔法屋を経営する若夫婦だ。しっかりものの妻の尻に敷かれる若旦那といった感じだろうか。
そう考えると、いまやっていることが楽しくて仕方なくなる。
「ちょっとシリウス、なにひとりでニヤニヤしてるの? 気持ち悪いんだけど」
「……はっ! あ、ごめん。なんでもない」
妄想の世界に飛びかけていたシリウスは、その一言で一気に現実に引き戻された。
いかんいかん。こんなことで満足するために、魔法屋に来たわけじゃないぞ!しっかりしろ、自分。シリウスは改めて自分に気合を入れ直した。
「ちょっとシリウス、この荷物取るの手伝ってくれない?」
今度はつま先立ちのバレンシアが、高いところにある荷物を取ろうとして苦戦していた。返事を返しながら彼女の後ろにやってきたところ、棚の上の荷物がガラッと音を立てて崩壊しそうになる。
「あぶない!!」
とっさに右手で棚の上の荷物を支えるシリウス。幸いなことに荷物はギリギリのところで棚の上にとどまった。
「ふぅー、あぶなかった……」
シリウスが安堵の吐息を漏らしたその時、彼は気付いてしまった。荷物を支えていないほうの左腕で、無意識のうちにバレンシアのことを後ろから抱きしめていたことに。
荷物から彼女を守るためにとっさの行動とはいえ、自分の大胆な行動にドギマギしてしまう。
驚いたのはバレンシアも同様のようだ。目を大きく見開いて、シリウスのことを見つめている。
「あっ……」
とっさに言葉が出てこない。なにを言っていいのかわからない。しかし、自分の左腕の中にあるぬくもりは確かだった。このぬくもりを手放したくないと、シリウスは思った。
自然と彼女と目が合う。少し分厚くて魅惑的な、つややかで弾力性豊かそうなバレンシアの口唇から目が離せなくなっていた。
奪え! 奪ってしまえ! そんなティーナの声が聞こえたような気がした。まるで吸い寄せられるように、バレンシアの顔に自分の顔を近づいてゆく。
だめだ、自分で自分を抑えられない。シリウスがまさに行動を起こそうとした、そのとき。
からんからーん。
魔法屋の扉が開く音。
「こんにちわ! こちら魔法屋アンティークで間違いないですか? ……って、シリウスさんじゃないですか! どうしてこんなところに?」
間抜けな声が、魔法屋の店内に響き渡った。
間の悪い来客その二の正体は、この街の衛兵を務める男、ケインズ=ヨークモックだった。
◇◇◇
ケインズとシリウスは旧知の仲だった。模擬戦などで何度か顔を合わせたことがあったのだ。
そのケインズ曰く、たまたまこの近くに来た時に、最近衛兵たちの間で噂になっている「美人姉妹が経営する魔法屋」のことを思い出したので、つい顔を出してみたとのこと。
「いやー、まさかここがシリウスさんの愛しい人のお店だとは思いませんでしたよ」
「ち、ちがうっ!ここの店主とは知り合いで、たまたま二人で留守を預かってて……」
「あぁ、噂の美人姉妹はどちらもシリウスさんの『お手付き』でしたか。すいません、もう手出ししないように仲間内には言っときますんで!」
などと盛大な勘違いをしたまま、シリウスに訂正するスキもヒマを与えず、ケインズはへこへこと頭を下げながらそそくさと立ち去ってしまった。
あとには、鬼のような形相のシリウスと、半笑いを浮かべるバレンシアだけが残された。
あぁ、俺はこういう星の下に生まれてきたんだな。立て続けに好機を逃し続けたシリウスは、めっきり落ち込んでいた。
そんなシリウスの内心を知ってか知らずか、バレンシアが励ますように声をかけてきた。
「ねぇシリウス。あんた剣の腕をまたあげたんでしょ?」
「ん、剣術のこと?そうだね、そうなのかな……」
「じゃあさ、昔みたいにちょっと手合せしてみようか?」
「えっ?」
思い立つが早いか、バレンシアはカウンターの横に置いてあった錆びかけた剣を手に取ると、動揺しているシリウスの手を引いて店の外に連れ出していった。
魔法屋〈アンティーク〉のすぐ近くに、ちょっと開けた広場のような場所があった。普段は小さな子供たちで溢れる広場であったが、昼時のせいかほとんど人影は見受けられない。
シリウスとバレンシアの二人は、その広場で互いに剣を手に持ったまま向き合っていた。
「あんたと手合せするのも久しぶりだね」
「……うん、そうだね」
ソードダンスで使い慣れた剣を軽く振り回すと、バレンシアはぴしっとした姿勢で剣を構えた。
まるで獲物に襲いかかる女豹のようなその構えは、彼女独自の魅力がにじみ出ているようで、美しくさえ見えた。シリウスがよく知る、バレンシア独自の「型」だ。
学校で教わってきた騎士の剣術とは異なり、強い独自色を持つ構えだったけれども、彼は他のどんな構えよりも好きだった。
「手加減したら許さないよ?」
「わかってるよ。バレ姉は昔からそうだったもんな」
彼の返事を待って、バレンシアが電光石火の勢いで一気に襲いかかってきた。
低くした体勢からバネのように飛び出し、繰り出される雷光のような突き。並の人間では反応することすら難しいその剣技を、シリウスは万感の思いで見極めていた。
騎士学校に居る並の人間よりも鋭い一撃だな。シリウスが持つ剣術の才が、バレンシアの突きを冷静に評価する。
シリウスはそのあふれんばかりの剣才を以って、彼女の突きを最小限の動きで逸らすと、返す刀でバレンシアの首筋に剣を突き付けた。
勝負は、一瞬でついた。
「ぷはーっ、やっぱあんた強いね。もう歯が立たないや」
降参とばかりにバレンシアが剣を地に落とし、両手を上げた。その様子にシリウスは、ハッと我に返って慌てて剣を引く。
自分はなにをやっているんだ。いくら模擬戦とはいえ、誰よりも大切に思っている相手に対して剣を突き付けるとは。
「そ、そんなことないよ。バレ姉のこの剣の鋭さは、並の剣士じゃかわせない」
「なにそれ、おせじ?それともイヤミ?」
「あっ、いやごめん。そんなつもりじゃ……」
剣のこととなると手も抜けず、つい正直になってしまう。そんな自分の言動をシリウスは悔いた。
そもそも今日は彼女と手合わせするために来たのではない。それなのに、自分は好きな人をこてんぱんにするだけでは飽き足らず、なにをえらそうに講釈まで垂れているのか。
「あーあ。こんなんじゃ冒険者になるのはきついかねぇ」
「……バレ姉、まだ冒険者になる夢をあきらめてなかったの?」
「まぁねぇ。そりゃあ夢だからね」
シリウスは、バレンシアがずーっと前から冒険者になりたがっていることを知っていた。彼女が話す夢の冒険譚は、まだ見ぬ未知の世界へ旅立つことへのあこがれに満ちていた。
だが最近、彼女がそんな話をあまりしなくなったことも知っていた。シリウスはそれを、もう冒険者になる夢をあきらめたからだと思っていた。
だが真実は、ただ単に口にしていなかっただけのようである。
「あたしはずっと冒険者になりたいって思ってたんだけど、最近は無理かなぁって思い始めたんだ。なんとなく自分の限界を思い知った気がしてね」
少し寂しげな表情を浮かべるバレンシア。そんな彼女に対してなにか言葉をかけようとするも、なんの言葉も浮かんでこない。
自分は大切な相手を励ますこともできないのか。無力さを嚙み締めるシリウスに対して、バレンシアが真剣な眼差しで語りかけてきた。
「シリウス、あんたには才能がある。それを大事にしなよ」
彼女が浮かべる、これまで見たことも無いような表情。まるでたった一人で森の奥に置いてけぼりを食った少女のような様子のバレンシアに、シリウスはいたたまれない気分になった。
気が付くと、言葉が自然と口からあふれ出していた。
「……なぁバレ姉。もしバレ姉が冒険者になるんだったら」
「ん?」
「もし冒険者になるんだったら、俺とパーティを組もうよ」
「えっ?」
「そしたら俺が、バレ姉を守れる。きっと守ってみせる」
シリウスは、剣を自らの胸に掲げた。
それは、彼なりの誓いだった。一生をかけても彼女を守る。そう心に決めた瞬間だった。
「ちょっとシリウス? あんた何言ってんの? そもそもあんたは騎士になるんでしょう?」
「騎士でも、知見を広げるために冒険者になるものもいるよ。それに俺は、自分が居ないところでバレ姉が傷つくところなんて、もう見たくないんだ」
さぁぁぁっと、二人の間を春風が通り抜けた。バレンシアの赤い髪が風に踊る。
シリウスの言葉に、ウソ偽りはなかった。大切な人を守りたいという気持ちだけがあった。
シリウスの真剣な眼差しに耐えきれなくなって、バレンシアがさっと目をそらした。頬がかすかに赤く染まっているように見える。
バレンシアの照れる様子に、シリウスの本能がなにかを察知した。
もしかしてこれは、絶好の機会なんじゃないのか?
そう確信したシリウスは、手にしていた剣を収めると一気にバレンシアに近寄った。続けて彼女の両手をあっという間に握りしめる。
「えっ? シリウス?」
「バレ姉。いや、バレンシア」
「……えっ? えっ??」
動揺を隠しきれないバレンシア。だがもう、ここでシリウスが留まることは無い。
「俺は、俺は……」
シリウスは、覚悟を決めた。
震える身体に活を入れて、勇気を絞り出そうとした、そのとき!!
がらがらーーん。
裏路地を曲がった路の向こうのほうで、何かが転がる音が響いた。
一瞬、互いの顔を見つめあう二人。だがバレンシアはすぐにハッとした表情を浮かべると、シリウスを押しのけて音がした方へと駆け出していった。
「……ちょっとあんたたち、そんなところで何をしているの?」
バレンシアの冷めた声に押し出されるようにして路地裏から現れたのは、薬草狩りに行っていたはずのティーナとエリスだった。
二人は、いたずらがばれた子供のようにばつの悪い表情を浮かべていた。
◇◇◇
「なぁバレンシア、まだ怒ってるのかい? たまたま近くを通りかかっただけだって何回も言ってるじゃないか」
必死に言い訳をするティーナの言葉を「ふんっ!」の一言で黙らせ、バレンシアはガンッと大きな音を立てて料理の乗った皿を乱暴にテーブルの上に置いた。思わず首をすくめてしまうエリスを横目に、バレンシアはそのまま立ち去って行く。
同日の夜。場所は<愚者の夢>亭。
この日もティーナとエリスは、いつものテーブルで遅い夕食を取っていた。
ただ、今日は二人だけではない。座席の奥にはガックリとうなだれるシリウスの姿があった。
エリスは燃え尽きて灰のようになったシリウスを、申し訳ない気持ちで眺めていた。
実は今回の一連の流れは、すべてティーナの小細工だった。
まずは適当な理由をつけて、ティーナとエリスが店からいなくなる。ついでにティーナが事前にシリウスをめいっぱい焚き付けておく。
あとは野となれ山となれ、というとんでもない作戦だった。
エリスたちは二人を放置してしばらく外出したあと、ひっそりと魔法屋に戻ってみる。すると、なぜか二人は裏路地で剣を取り合っていた。
遠巻きに観察していると、なにやら二人の雰囲気が徐々に妖しくなっていく。
これはもしや、本当に良い感じになってしまうのか? 思わず興奮してティーナの服の裾をつかむエリスを窘めながらも、ティーナ自身も目を爛々とさせている。
「くくく、なかなか面白い展開じゃないか」
「ちょっとティーナ、なんだか面白がってる?」
「そう言うエリスだって口元がニヤニヤしてるよ?」
「あっ、シリウスさんが手を握りしめた!」
「そこだ! いけっ! 抱きつけっ! 押し倒せっ!」
そのとき、勢いよく振り回したティーナの手が、そばにあった鉄製のゴミ箱に当たってしまった。
がらがらーーん。響き渡る大きな金属音。動きを止めるシリウスとバレンシア。
ギョッとしたエリスたちは、すぐに逃げ出そうとしたものの……
「……ちょっとあんたたち、そんなところで何をしているの?」
冷たい怒りを内に秘めたバレンシアの声が、隠れていた路地の向こう側から聞こえてきた。
そのあとエリスたちに待っていたのは、バレンシアによる鬼のような説教だった。
曰く、あんたたちはいつから覗きが趣味になったの? エリスまで居るのに、なんでこんなことをしているの? と。
エリスは素直に怒られながらも、内心では「あともうちょっとだったのになぁ」と残念がっていた。なんのかんのと言いつつ、結局はエリスもティーナの同類なのであった。
一方でもう一人の当事者であるシリウスは、三度目のチャンスを逃してしまったことで、気力を使い果たして真っ白になっていた。
自分たちに原因の一端があることを自覚するエリスとティーナが、お詫びの意味も込めて無理やり<愚者の夢>亭に連れてきたものの、放心状態のシリウスはろくに食事も取ることもなく、無言でうつむいたままだった。
やがて幽鬼のようにふらりと立ち上がると、「じゃあ、明日には寮に戻るから……失礼するよ」と言い残し、そのまま家へと帰ってしまった。
きっと気力が尽きてしまったのだろう。シリウスには本当に悪いことをしたな。エリスはその点については素直に反省していた。
だが一方で、まったく反省していないやつもいた。ティーナである。
「でもさ、もう一押しだったと思わないかい?」
ビールを飲んで少し陽気になったティーナが、酒臭い息を吐きながらエリスに同意を求めてくる。
エリスはバレンシアのほうに視線を向けながら頷いた。
「私もそう思うよ。だって……今日のバレンシア、とってもウキウキしてるもん」
なにせ今日のバレンシアは、鼻歌を歌いスキップをしながらお店の給仕をしていたくらいである。遠目に見ても、浮かれているのは一目瞭然だった。
「まったく、親友が幸せになるお手伝いもをするのも楽じゃないね」
そう言ってゲラゲラ笑いながら残りのビールを一気飲みすると、バレンシアに向かって「バレンシア、おかわり!」と叫んで、またゲラゲラと笑った。
そんなティーナを見ながら、エリスはほっこりと笑ったのだった。
◇◇◇
「あいつ、調子に乗りやがって!」
ティーナに対してふつふつと心の奥底に湧いてくる怒りをどうにか自分の中に押しとどめながら、バレンシアは一人毒づいた。
ティーナの顔面にビールをぶちまけてやりたい欲求をなんとか抑え込むと、かわりにティーナの首筋にキンキンに冷えたビールのジョッキを押し付ける。
「うわぁっ!」
酔っ払いティーナの絶叫を無視して、エリスに対しては歯をむき出しにして噛み付くようなしぐさを返すと、バレンシアは鼻息荒く厨房へと戻っていった。
そして、ふいに今日のシリウスの様子を思い出す。
以前会った時よりさらに身長が伸びて、体つきも男らしくなっていた。剣術の腕も、もはや天と地ほど差をつけられていた。
そんなシリウスに対して、以前は対抗心のようなものもあった。だがいまの胸中にあるのは、これまでとはまったく異なる感情だった。
「……子供だと思ってたのに、あいつもいつのまにか大人になってたんだねぇ」
思い出されるのは、真剣なシリウスの瞳。大人っぽくなった彼の表情。
ずっと「弟」のような存在だと思っていた。しかしバレンシアは、シリウスに対して今日確かに「男」を感じていた。
「あいつと一緒に冒険者かぁ。それもありかもね」
バレンシアは一人そう呟くと、ふふっと笑った。これまで妄想が、少しだけ現実に近づいたような気がする。
食器を洗いながらも、無意識のうちに鼻歌を歌っていた。
「おーい、バレンシア。料理できたから運んでくれー」
「あ、はーい」
厨房の奥から父親であるスラーフの声が響き渡った。
バレンシアは元気よく返事をすると、やがて来るかもしれない未来への夢想を一時中断させて、鼻歌交じりに料理を受け取りに行ったのだった。