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家族というもの

作者: 一威
掲載日:2026/06/23

※ このお話はフィクションです。



 


 

 元々、人目が異様に気になる性格だった。

 生まれつきか成長過程でそうなったのかは知らない。幼稚園児の頃には既にこうだった。

 喧嘩の絶えない両親や問題ばかり起こす兄。

 母の仕事が終わるまでと母方の祖母に毎日預けられた記憶がある。でも思えば私だけだった。兄はどうしていたのだろう。亡くなった祖母と折り合いが良いのは家族で私だけだったから、兄は一人で留守番していたのかもしれない。そもそも、幼稚園児だったのか、小学校に上がっていたのかも思い出せない。

 小学校四年の時に妹が生まれた。可愛かった。

 その少し前に父方の本家のじじいとばばあ(祖父の兄だ。なんというかは知らない)の家に入って、たったの二か月で出て来た。妊婦の母をこきつかうばばあ。兄にネチネチグチグチ言うじじい。そこでも折り合いをつけられたのは私だけで、じじいは私が具合が悪いとなれば学校まですっ飛んで来たし、ばばあは買い物に行く度にあれこれ買おうとし、お小遣いも私だけにくれた。私はこっそり兄と分けた。そんな暮らしをしていたら、私は夜中に徘徊しお漏らしをするようになった。汚い話だが、小便だけじゃない。大便を布団の上でした。小学校四年でだ。

 そんな日が続いて、両親は兄と私を連れて本家を出た。そして妹を産んだ。

 「おまえがウンコ漏らしたから引越して来たんだよ」

 母は冗談のつもりだったのかもしれないが、記憶のない私には衝撃だった。だって、お漏らしは悪い子だ。新しい生活、新しい学校だ。生まれたばかりの妹もいる。今度こそ上手くやらなきゃいけない。

 笑って、宿題をして、母の代わりに家事をして、妹のおしめを取り替えた。まだ紙おむつが高かった時代だ。家では布おむつで、私は洗濯板を使って風呂場で汚れたおむつを洗った。真冬なのに水だ。うちはけして豊かじゃなかったし、お湯を使うと金がかかることを知っていた。

 兄が学校でいじめられて、母が乗り込んでいった。私もいじめられていた。昨日まで仲良くしていた子が好きな男の子と仲が良かったからと、いじめられた。幸い他に仲良くしてくれるグループがいたから、私は笑った。担任の先生が、私の防災頭巾にベッタリとついた糊を見つけて「誰がやったんだ」と怒っても、二人きりで話を聞かれても、私は笑っていた。

 兄と妹のことで手一杯な両親には言えなかった。

 先生に言ったら両親に伝わるかもしれないと思った。先生はそれ以上聞かずに、ただ保健室登校を勧めてくれた。保健の先生も何も聞かなかったし、顔を出すと「また来たのー?」と笑って受け入れてくれた。正直、あの先生たちがいなかったらまた徘徊したりウンコ漏らしたりしていたんじゃないかと思う。

 両親が戸建てを買って、小学校最後の一か月は兄とバスで通った。

 その頃にはいじめは終わっていたし、卒業式後に、元親友から謝罪の手紙が郵便で届いた。返信用の切手も入っていたけど、捨てた。親に見つからないように破って捨てた。謝って許されてスッキリしたいだけの卑怯者だと思った。私は一生忘れない。

 中学校からまっすぐ帰ってすぐに保育園に妹を迎えに行って、帰ってきたら洗濯物をいれて、ごはんを炊いて、お風呂を洗う。合間にテレビを見る妹の姿を確認しながら、冷蔵庫を見て、一週間分の買い物で母が言っていた献立をさらい、下準備をする。宿題は家でやる時間がないから学校でやった。一度も忘れたことはない。帰り道、友達と少しだけ立ち止まって他愛ない話をするのが楽しかった。流行りのアニメやドラマはわからなかったけど、友達が貸してくれる小説の話は楽しかった。

 土日は妹の世話と家事に明け暮れ、たまに風呂に湯を落とすのを忘れてると父にキレられて、兄は遊び歩く自由人。

 バイト三昧の高校を卒業する頃には気がついたら味覚も何もなくて、ろくに食べずにバイトを四つ掛け持ちして働いた。パチンコをしては負けて勝手にカードを作り借金する父に、就職して出て行ったと思ったら自殺未遂やら何やら起こして帰って来た兄が作った借金。とにかく家には金がなかった。バイト四つはさすがに死ぬなと思って、風俗を選んだ。十八だった。抵抗はなかった。金が稼げるならなんでも良かった。

 不安定になっている兄と暮らす年頃の妹が心配で、母にだけ話したことがある。母はありえないと笑っただけだった。私はありえないことにされた。

 家に毎月十万くらいの金を入れて心配された時、とっさにスナックだと嘘をついた。「そんな汚い金は欲しくない、おまえは家族が負担なのか」母は泣いた。父は厳しい顔で説教してきた。身体を売ってるんだからもっと汚いよ。そう思ったら笑えた。そんな感じでずっと生きてきた。

 何をやっても両親に褒められたことはない。

 かけっこで一位を取っても、読書感想文で学校内で一人だけ賞をもらっても、通知表でオール5でも。

 私は「できる子」だから当たり前で、冬休みの書き初めで銀賞をもらった兄と妹の賞状は額縁に入れられて、今も飾ってある。私のはない。全部捨てた。いつの間にか見せることもしなくなっていた。


 母と折り合いが悪かった祖母が亡くなったと連絡を受けた時、スマホの向こうで泣く母に私が言ったのは「辛いね。我慢しなくていいからね」。

 男の子を期待されて生まれた母は、祖母に「おまえはいらなかった。産まなきゃ良かった」と言われて育った。だから色々と察するものはある。でもそれは、私が負わなきゃならなかったものだろうか。私には甘かった祖母の死に顔に、どうして上手く生きてくれなかったんだと思って、泣けた。ここでも私にだけ甘くて優しい母方の叔父と伯母は、私だけを気遣った。兄や妹を無視して、私だけだ。ようやく死にたくなった。


 今、私は結婚し、実家から遠く離れている。

 子どもはいない。

 血圧がかなり低いという体質がわかって通院中だ。色々な検査をしても異常はなく、たまに受けていた会社の健康診断なんかでも確かに上が90越えることはなかったなと言ったら、「元々なんだね。学校大変だったんじゃない?」と聞かれて、忘れたと笑うしかなかった。


 私より年上で結婚も何もする気がない男を選んだ妹とは色々あって縁が切れたが、両親や兄とはたまに連絡を取り、何年かに一度会っている。

 会うとなると一か月前から悪夢にうなされ、食欲が失せる。

 夫や夫の妹は無理しなくていいと言ってくれるが、私は両親や兄が嫌いなわけじゃない。幸せでいてくれとも思う。ただつらかった。

 こんな風に取り留めなくダラダラと話して泣く私に、二人はいいも悪いも言わずに聞いてそばにいてくれる。

 何年も一緒に暮らしているからケンカもするしムカつくこともあるが、私は二人とは話をしようと思う。大人になって家を出てようやく、私は自分の家族を見つけた。




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