心残りの原因
深夜、丑三つ時。
街中の空き地に佇む十の影があった。
月明りの下、その輪郭は煙のように揺らぎ、時折、羽織袴の着物姿やちょんまげがぼんやりと浮かぶ。
『親父殿の……アレ』
『手前も……心残り……』
『蔵が……ない』
『……三百年……経ったはず』
『無くなった……』
『待たずに開けてしまえと……』
『……死守したぞ、ワシは』
『誰の手……届かぬ……隠し』
『成仏できぬ……アレのせい』
『……僕も、十一代目に遺言……』
「三百年経つまで開封不可」という定めは、あまりにも長すぎた。
方々に散っていた当主の霊たちが集合したのだが、肝心の酒蔵が無くなっていた。
半年前、N県にある江戸時代から続く老舗の金々酒造は廃業した。突風で建物が倒壊し、再建の目途が立たずに廃業したのだ。
「さて、これをどうするかな」
解体業者の杉本は大きな甕を、会社の倉庫に保管していた。所有者が放棄した物だ。
「大古酒じゃないッスか」
従業員の松原は、何年か前に或る酒蔵で仕込んでから三百年経った酒が発見され、開封されたという話をした。
「黒く変色していたみたいですが、普通に美味かったらしいッスよ」
目の前にあるのは高さ120cmほどの信楽焼の甕。木栓の上から漆をかけ、封印してある。
「酒蔵にあったのだから、酒なんだろうな」
解体時、酒蔵の一番奥の隅に、隠されるように置いてあり、蓋から甕の胴体にかけて、『三百年経つまで開封不可』と書いた和紙が張り付けられていた。黄ばんだ和紙は、書き直され幾重にも重なっていた。
酒蔵の十一代目当主に訊ねても「何だか分からないから、処分してくれ」と言われた。自治体にゴミ出しするより、解体一式で処分した方が楽と考えたようだ。
「享保十一年っていうと、1726年。今年でちょうど三百年か」
杉本は調べたスマホの画面と和紙の日付を見比べる。
「三百年経ったッスね」
松原は、社長の杉本が今日、甕を開けるというので、終業後に残っていた。
「じゃあ、開けるぞ」
杉本は大ぶりのカッターナイフで木栓と甕の口の境界にぐるりと切り込みを入れた。漆が切れ、木栓を抜ける状態になった。
「木栓の周りに、ドライバーを差し込んで、少しずつ持ち上げて行けば、抜けるんじゃないッスか?」
松原は、マイナスドライバーを差し込む。
もう少しで、木栓が抜けるという時、倉庫の照明が明滅した。
「何だ?」
杉本と松原は天井を仰ぐ。
まるで昔の蛍光灯のようだ。
「電圧が不安定なんスかね」
それより、と言って松原は周囲を見回す。
木造トタン葺きの安普請の倉庫。隙間風は入り放題とはいえ、七月にこの冷え込みは異常だった。
「倉庫にエアコン付いてないのに、何でこんなに冷えるんスか?」
木栓を開ける手を止め一緒に辺りを見回していた杉本は急に震え出した。
息が凍りつく中、倉庫の隅から白い霧のようなものがゆっくりと立ち上り、ぼんやりと人型を成していく。
ちょんまげの影、散切り頭の影。羽織袴のもの、洋服のもの。十の影が重なり合い、輪郭を揺らめかせながら二人を取り囲んだ。
不明瞭な足は地面に着いておらず、顔は暗く、目だけが弱く光っていた。
「どうしたんスか、社長」
「か……か……、囲まれている」
「囲まれている? 何に?」
「お、俺は、み、視えちゃう系なんだ」
「視えちゃうって」
松原の背筋に冷たいものが走った。
頭の中に直接誰かの声が聴こえる。
『こんな所に……』
『十一代目……蔵を潰しおって』
『……二代目いかが……なされ……か?』
『……仕込んだのは、ワシの親父……。「誰も作ったことのねぇ酒……」と……おったん……わ』
『それが……中身ってぇわけ……かい』
『ワシが……一人前になった頃、ふいっと、どこかへ……まって。番頭が……、「三百年開け……ならねぇって」親父が、言い残し……とよ』
『一代目……行方知れず……』
『誰も作ったことのない酒、って……』
そこで、酒蔵の過去の当主一同は、杉本と松原をじっと見た。
『済まない……、甕を開けちゃあ……れんか』
ちょんまげ姿の老人の声が頭に直接響く。
杉本はヒッと変な声が出た。
「で、では、あけ、開けさせて頂きます」
杉本と松原は生きた心地のしない中、震えながら、甕の木栓を抜いた。
ポンッ!
嗅いだことがないような香りが漂う。どちらかと言えば、芳しい香りだ。
期待に、杉本と松原、そして、歴代の当主の幽霊たちは一斉に甕を覗き込んだ。
ぎゃぁあああああああ!
鼓膜が破けるような悲鳴が倉庫に響き渡り、十体の幽霊たちは一瞬で霧散した。
後には腰を抜かして動けない杉本と松原だけが残された。二人は歯の根が合わなかった。
甕の中には、黒く変色した酒に漬かる骸骨が、足を曲げ鎮座している。
その手には、小さな木札が握られていた。
『初代金八』
了




