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第9話 【最終章・前編】道端で拾った「生意気な御曹司(5歳)」を家に連れ帰ったら、庶民の生活(インフラ)にカルチャーショックを受けていた件

三崎の港町に、似つかわしくない高級車と、一人の少年が現れた。 仕立ての良いスーツ、磨かれた革靴、そして見下すような視線。 彼は言った。「ここは日本で一番、不潔な場所だ」と。 最終章・前編。家出してきた生意気な御曹司に、三崎流の「おもてなし」が炸裂する。

1.異世界からの来訪者


 金曜の午後。

 俺は三崎港の岸壁に腰掛け、愛機『メカ・ダイナソー』の水筒から麦茶を摂取していた。

 潮風が心地よい。カモメが鳴いている。平和だ。だが、その牧歌的な風景を切り裂くような異物が、俺の視界に入ってきた。

 黒塗りの高級セダン。車種は不明だが、その艶やかな塗装は、この潮風吹き荒れる港町には明らかにオーバースペックだ。

 車は岸壁に停まると、後部座席から一人の少年が転がり出るように降り立った。少年は車に向かって何かを叫び、そのまま路地裏へと駆け込んでいった。車は慌ててUターンしようとするが、狭い港町の道に阻まれて立ち往生している。


「……何事だ?」


 俺が様子を見に行くと、路地裏の木陰で、その少年が息を切らして座り込んでいた。  年齢は俺と同じくらいか。

 だが、その装備は異常だった。体にフィットしたオーダーメイドのスーツ、蝶ネクタイ、そしてピカピカの革靴。髪はポマードで撫で付けられ、隙がない。まるで社交界から抜け出してきたような出で立ちだ。


「……ハァ、ハァ……撒いてやったぞ……ザマァ見ろ……」


 少年は荒い息を吐きながら、ハンカチで額の汗を拭った。そして、周囲を見回し、顔をしかめた。


「……ケッ。なんだよ、この臭い場所は」


 彼はハンカチで鼻を押さえた。


「おい、そこの平民」


 少年が俺の方を見て、指を差した。

 だが、俺はそのまま優雅に麦茶を啜り続けた。

平民。

 それは俺の辞書にはない単語だ。

 俺は孤高のダンディズムを追求する男であり、強いて階級をつけるなら「高貴なる魂を持つ自由人」だ。ゆえに、その呼びかけは俺に対するものではない。論理的な帰結だ。


「おい! 無視するな!」


 少年が苛立った様子でツカツカと歩み寄り、俺の目の前に立ちはだかった。


「……ん? 貴殿、俺に用か?」


「お前しかいないだろうが! さっきから呼んでるのに、耳が遠いのか?」


「否定する。俺の聴覚は正常だ。ただ、『平民』などというモブキャラへの呼びかけに対し、主役級の俺が反応する義理はないと判断したまでだ」


「なっ……! なまいきな……!」


 少年の顔が真っ赤になる。  俺はため息をつき、諭すように言葉を続けた。


「いいか。他人を見下す言葉を投げれば、それは無視や反発となって自分に返ってくる。貴殿が今、不快な思いをしているのは、俺のせいではない。貴殿自身の言葉選びが招いた結果だ」


 俺はあくまで教育的見地から因果関係を説いただけだったが、どうやらその正論は、彼の肥大化したプライドを逆撫でする燃料にしかならなかったらしい。


「ここはどこだ? ……まさか、スラム街か?」


 スラム街。

 三崎に対する侮辱としては最大級の表現だ。普段なら抗議するところだが、俺は彼の挙動に違和感を覚えた。

 彼はしきりに周囲をキョロキョロと見回し、磨かれた革靴のつま先で、イライラと落ち着きなく地面をタップし続けている。

 その瞳に浮かぶ色は、傲慢さではない。強烈な孤独と不安だ。  逃げてきたはいいが、行く当てもなく、一人ぼっちになった震えを、精一杯の虚勢で隠しているのだ。


「ここは三崎だ。マグロと人情の街だ。……貴殿、名は?」


「……西園寺。西園寺さいおんじ かける


 名前までロイヤルだ。  どうやら彼は、都会の喧騒、そして親の過干渉か無関心か知らないが、とにかく窮屈な「檻」から脱走してきた「迷える子羊」らしい。


「西園寺氏か。行く当てがないなら、俺の拠点(家)へ来るか? 麦茶くらいなら出そう」


「はぁ? 僕がそんなボロ……庶民の家になんて……」


 彼は言いかけたが、グゥゥゥ~と腹の虫が鳴いた。  顔を真っ赤にする彼に、俺は無言で背中を向けた。


「……ついてこい。本日の夕飯は、ハンバーグの予定だ」


2.カルチャーショック


 俺が連れ帰った異邦人を見て、「親父の嫁」こと母・花代は目を丸くした。


「あら、リタくんのお友達? 随分と……パリッとした格好ねぇ」


「……失礼するよ」


 翔は蚊の鳴くような声で言った。

 玄関の狭さと、雑多な靴の山に圧倒されているようだ。

 リビングに通されると、彼はソファの端にちょこんと座り、出された麦茶を恐る恐る口にした。


「……なんだこれ。茶葉の味がしない」


「ミネラル麦茶だ。貴殿のいうところの、平民のガソリンだ」


 俺が解説すると、彼は信じられないものを見る目で俺を見た。

 そこへ、おやつのプリンを持った親父の嫁が現れた。


「はい、どうぞ。プッチンプリンよー」


「プッチン……?」


 翔は容器の底にある突起を不思議そうに見つめ、親父の嫁に促されるままにそれを折った。

 プルンッ!  皿の上に黄金色の物体が着地する。


「うわっ! こ、これは、一体!」


「感動したか? これが重力を利用した自動排出システムだ」


 彼はスプーンでそれを掬い、口に入れた瞬間、目を見開いた。


「……甘い。チープで暴力的な味だ。……しかし、なぜだろう。この下世話な甘さが、脳髄を直接揺さぶってくる……!」


 どうやら、高級パティスリーの味しか知らない彼の舌に、ケミカルでチープな甘さがクリティカルヒットしたらしい。


3.働かざる者


 夕方。

 「溶接ゴリラ」こと父・晃が帰宅した。

 作業着姿の巨漢を見て、翔は「ヒッ」と小さな悲鳴を上げた。

 無理もない。温室育ちの彼にとって、鉄と油の匂いを纏ったゴリラは、野生の猛獣に見えるだろう。


「……」溶接ゴリラは相変わらず一言も発さず、ただ、翔を見下ろしていた。


「リタくんのお友達のカケルくんだって。お家の人と連絡つくまで、預かることにしたわ」


 親父の嫁が説明すると、溶接ゴリラは「そうか」と一言だけ言い、風呂場へと消えた。  

 さて、夕飯の準備だ。親父の嫁はキッチンに立ち、俺に指令を飛ばした。


「リタくん、配膳お願い! カケルくんも手伝って!」


「は? 僕が? なぜ?」


 翔がキョトンとしている。


「お客様に労働を強いるとは……」


「うちは『働かざる者食うべからず』が家訓なの! ほら、箸並べて!」


 絶対権力者は翔の背中をパンと叩いた。

 翔はよろめきながらも、渋々と箸を並べ始めた。その手つきは危なっかしいが、文句を言いながらも動いている。

 配膳が終わり、食卓には巨大なハンバーグが並んだ。


「いただきます!」


 俺と親父の嫁が手を合わせる。溶接ゴリラも無言で手を合わせる。翔だけが、呆然と座っていた。


「……パパとママも、一緒に食べるの?」


 翔が不思議そうに聞いた。


「? 当たり前でしょ。家族なんだから」


 親父の嫁がキョトンとして答える。翔は目を見開いた。


「……違う。僕の家の食事は……いつも一人だ。パパもママもいない。家政婦さんが運んでくるのを、部屋で食べるだけだ」


 翔がポツリと言った。

 広いダイニングテーブル。豪華な食事を想像した。だが、そこには温もりがない。

 俺は察した。翔が「不潔だ」と悪態をついていたのは、整いすぎて冷え切った自分の世界とのギャップに戸惑っていただけなのだと。


「……食え。冷める」


 溶接ゴリラが、翔の皿にハンバーグをもう一つ、ドンと乗せた。無骨な優しさ。

 翔は驚いた顔で奴を見つめ、それからハンバーグを口に運んだ。


「……熱い」


 彼は涙目で呟いた。


「……うん。熱い」


 その夜。

 俺は翔に、とっておきの寝間着を提供した。予備である『メカ・ダイナソー』の総柄パジャマだ。ティラノサウルスが背中にロケットランチャーを背負っている、男のロマンが詰まった一品である。

 だが、翔はそれを広げて絶句した。


「……なんだこれは。恐竜が、機械と融合させられている……」


「最上級のパジャマで、最強の生物と最強の技術のハイブリッドだ」


「……怖いよ。これは生命への冒涜だ。庶民はこんなマッドサイエンスな服を着て寝るのか?」


 彼は青ざめた顔で、それでも渋々袖を通した。

 メカ・ダイナソーを知らない彼にとって、このデザインは単なる「サイボーグ化された哀れな恐竜」にしか見えなかったらしい。

 どうやら、温室育ちの彼には、このクールな世界観は刺激が強すぎたようだ。また一つ、埋めがたいカルチャーギャップが露呈した瞬間だった。

 俺と翔は、リビングに布団を敷いて並んで寝た。

 高級ベッドではない、せんべい布団だ。隣の部屋からは、溶接ゴリラのいびきが聞こえてくる。


「……ヒッ! な、なんだこの地鳴りは!?」


 翔が布団の中で震え上がった。

 無理もない。家ゴリラのいびきは、重機がアスファルトを粉砕する音に匹敵する。温室育ちの彼には、猛獣の咆哮にしか聞こえないだろう。


「気にするな。あれはこの家のホワイトノイズだ。俺などは、あれがないと熟睡できない体になってしまった」


「ホ、ホワイトノイズ……? これが……?」


 翔は信じられないものを見る目で天井を見上げた。そして、ふぅ、と深く息を吐き、諦めたように呟いた。


「……そうか。これが、平民の夜か。……過酷すぎる」


 彼は恐怖と呆れがない交ぜになった表情で、ギュッと目を閉じた。文句を言いながらも、その数分後には規則正しい寝息を立て始めていた。

 慣れない環境、初めての労働、そしてハンバーグ。生意気な御曹司も、電池が切れてしまえばただの子供なのだ。


最終話へ続く


(第9話 完)

【次回最終話予告】

一夜明け、我が家の前には黒塗りの車列が並んでいた。 翔を連れ戻しに来たSPたち。 「帰りたくない」と叫ぶ彼を守るため、最強家族が立ち上がる。 笑って泣ける三崎の日常、次回完結!


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