■第2話 近所の商店街がどう見てもラストダンジョンだったが、母上が顔パスで無双していく件
今回のクエストは、日曜朝の商店街攻略! ターゲットは「伝説の本マグロ」。 しかし、最強の母が使うスキルは「値切り」などという生易しいものではなく……? 三崎の下町人情が炸裂する、ダンジョン攻略回です。
1.日曜朝のクエスト発生
午前8時。
日曜日の三崎下町商店街は、カオスに包まれていた。
朝市へ向かう観光客の群れ、威勢の良い掛け声、そして路上に溢れかえる極彩色の商品たち。大人にとっては活気ある市場かもしれないが、身長105センチの俺の視点からすれば、そこは巨大な足の森であり、未知のモンスターが跋扈するラストダンジョンに他ならない。
「母上、撤退を具申する。この人口密度は、俺のパーソナルスペースを著しく侵害している」
俺は「溶接ゴリラ」こと父・晃の足にしがみつきながら警告した。だが、我が家のパーティリーダーである「親父の嫁」こと母・花代は、戦場を前にして不敵な笑みを浮かべていた。
「何言ってんの! 今日はマグロの特売日よ! レアアイテムゲットのチャンスなんだから!」
絶対権力者の目は、完全に狩人のそれだった。手には武器であるエコバッグが握られている。
どうやら今日のクエストは『伝説の本マグロの入手』らしい。難易度はSランク。この人混みの中、正気とは思えない。
「行くよ、晃くん! 私の背中を守って!」
「……ああ」
溶接ゴリラが短く応じ、俺をヒョイと抱き上げた。高い。視界が開ける。これがタンカー(盾役)による安全地帯の確保か。
俺たちは人混みをかき分け、商店街の最深部、鮮魚コーナーへと突入した。
2.鮮魚店のマスター?
「らっしゃい! らっしゃい! 今日のカマは脂乗ってるよー! 見てってよー!」
ダミ声が轟く。そこに立っていたのは、身長180センチ、体重100キロはあろうかという巨漢の魚屋店主だ。ねじり鉢巻にゴムエプロン。手には巨大な出刃包丁。どう見ても中ボスだ。
店先に並べられたマグロのサクは、ルビーのように輝いているが、その値札に書かれた数字は俺を戦慄させた。
『本マグロ中トロ 3000円』
高い。高すぎる。俺の全財産(お年玉貯金)を投入しても太刀打ちできない。だが、親父の嫁は一歩も退かずに前へ出ると、馴れ馴れしく声を上げた。
「よ! マスター! 今日のオススメは?」
マスター。
俺は心の中でツッコミを入れた。
なぜ魚屋をマスターと呼ぶ? ここはジャズが流れる喫茶店でもなければ、カクテルを出すバーでもない。生臭い魚屋だ。
「大将」と呼ぶのがセオリーだろう。この女の語彙力はどうなっているんだ。しかし、強面の店主は怒るどころか、破顔一笑した。
「おう、花ちゃん! 来てくれたか!」
知り合いか。しかも「花ちゃん」呼びとは、かなり深い関係があるようだ。
「こないだはありがとな。花ちゃんがカカアの愚痴聞いてくれたおかげでよ、家ん中が丸く収まったよ。あの後、仲直りできたわ」
「そりゃよかった! 奥さん、寂しがってただけだからさ。たまには優しくしてあげなよ?」
親父の嫁がニカっと笑う。そういえば先日、この絶対権力者は「地域のなんでも屋」の仕事として、夫婦喧嘩の仲裁に入っていた。まさか、その時の依頼主がこの中ボスだったとは。
店主は「へへっ」と照れくさそうに鼻をこすると、包丁をまな板に突き立てた。
「おうよ! その礼だ。この中トロ、半額……いや、持ってけ泥棒!」
勝負あり。
物理的な「値切り」ではない。過去のクエスト(夫婦喧嘩仲裁)の報酬として、レアアイテムが無償提供されたのだ。
親父の嫁は「サンキュー、マスター!」とウインクし、マグロを受け取ると、それを溶接ゴリラへと手渡した。
「晃くん、お願いね!」
奴は無言でそれを受け止め、両手の袋に追加した。
3.三崎のコネクション
ふと見ると、溶接ゴリラの両手はすでに塞がっていた。
右手には巨大な三浦大根とキャベツ3玉、左手には泥付きのネギ。まるで農家の収穫祭だ。
「親父殿、その大量の野菜はどこで調達したのだ? 家計への圧迫が懸念されるが」
俺が尋ねると、奴はボソリと答えた。
「……大森のじいさんの、息子だ」
大森浩太。先日、親父の嫁が庭の手入れ(という名の密林伐採)を請け負った、あのおじいちゃんだ。
どうやら、その息子がこの商店街で八百屋を営んでおり、じいちゃんの庭を綺麗にしてくれたお礼にと、売り物の野菜を持てるだけ持たせてくれたらしい。ここでも「コネクション」か。
この狭い港町では、絶対権力者の「お節介」が、巡り巡って食料という形で還元されるシステムが構築されているようだ。
帰り道。俺たちの前に、最後のイベントが発生した。
「あら、花代ちゃんじゃないの! お買い物?」
練り物屋のおばちゃんだ。揚げたてのさつま揚げの香ばしい匂いが漂ってくる。親父の嫁を見るなり、おばちゃんは目を細め、なぜかハンカチで目頭を押さえた。
「いやぁねぇ、立派になって……。昔はあんなに荒れてたのに、こんなに更生してねぇ……」
「ちょ、おばちゃん! 子供の前で昔の話はナシだって!」
親父の嫁が珍しく慌てている。
どうやらこのおばちゃんは、彼女の「封印されし黒歴史(ヤンキー時代)」を知る生き証人のようだ。
おばちゃんは「偉い偉い」と頷きながら、揚げたてのさつま揚げを串に刺して差し出してきた。
「ほら、ボクも。ママみたいに元気に育つんだよ。……昔のママみたいにはならないでね」
「……あぐっ」
俺の口にさつま揚げがねじ込まれる。
美味い。だが、この味には「おばちゃんの安堵」と「母の更生への祝い」という、複雑なスパイスが効いている。
俺たちは、マグロと野菜と練り物を抱え、凱旋した。
財布の紐はほとんど緩んでいない。親父の嫁がこの街で積み重ねてきた「貸し」と「人情」が、最強の通貨として機能しているのだ。
俺は溶接ゴリラの頭をペチペチと叩いた。
「……三崎とは、特殊なダンジョンだな」
「……普通だ」
溶接ゴリラが短く呟く。その声には、迷いも気負いもない。
普通、か。
俺がテレビや本で学ぶ「世間の常識」において、対価なしに物品が譲渡されることは稀だ。等価交換こそが経済の原則であり、ドライな人間関係こそが都会的な生き方のはずだ。だが、この三崎という閉鎖商圏では、そのロジックは通用しないらしい。
過去の恩義が通貨となり、お節介が循環し、誰もが当たり前のように笑って支え合う。それは、都会の論理からすれば「異常」かもしれないが、ここではそれが「仕様」なのだ。
……まったく、厄介な街だ。こんな「温かすぎる普通」に慣れてしまっては、将来、俺が冷徹な孤高の男として都会にデビューした際、ホームシックで泣き出すリスクが跳ね上がるではないか。
最強の絶対権力者(コネクション持ち)と、最強の霊長類(荷物持ち)。このパーティに守られている限り、俺はこの心地よいぬるま湯から抜け出せそうにない。
俺は口元の油を拭いながら、肩車の上で小さくため息をついた。
まあいい。今日のところは、この非合理的な温もりに甘んじてやるとしよう。
(第2話 完)
【作者より】
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