6話 冒険者侵入と、魔王軍の対応 その3
あれから、各部門はアックマの指示により、魔王軍は対冒険者用の新たな複合トラップの構築準備を急ピッチで進めていた。しかし、彼らが持ち場に戻ってわずか数時間後、ダンジョン監視室の大型モニターに映し出された新たな光景が、再び彼らを監視室に呼び戻した。ダンジョンの第二階層に到達した冒険者は、前回を上回る無慈悲な破壊行為で、魔王軍の誇るダンジョンを蹂躙しつつあった。
モニターには、第二階層で冒険者が、次々と魔王軍のモンスターを圧倒し、通路を破壊しながら突き進んでいる様子が映し出されていた。その光景は、あたかも巨大な岩石が、脆いガラス細工の都市を突き破っていくかのようだった。誰もがその無慈悲なまでの破壊力に言葉を失い、喉の奥がカラカラと乾いていくのを感じた。
静寂を切り裂くように、アックマがデータ端末を操作しながら淡々と報告する。モニターの青白い光が彼の無表情な顔を照らし、その声だけが室内に響き渡った。
「データによれば、冒険者は危険な罠を予期していました。しかし、彼の……」
アックマは一瞬言葉を切り、画面に表示された新たな分析結果に目を細める。
「……周囲の存在を無視して、ただ破壊にのみ集中するという行動により、かつてない事態に直面しています」
デーモンが、苦虫を噛み潰したような表情で、モニターの冒険者を睨みつける。彼の指が、ゆっくりと机の縁をなぞり、その重々しい言葉が部屋の空気を一層重くした。
「……最も効率的で、最も予測不能な戦術だ。……無意識の破壊は、意図的な破壊よりも厄介だ。我々の軍事力は……」
彼は深く息を吐き、自らの無力さを認めるかのように目を伏せた。
「……この種の絶望的な状況には対応できない……」
その瞬間、モニターの冒険者の動きが止まる。彼は懐から財布を取り出すと、中身が空であることを確認し、その場に膝から崩れ落ちた。まるで魂を抜かれたかのように、その表情は深い絶望に染まっていた。そして、いきなり立ち上がったかと思えば、自分で破壊した通路の瓦礫をかき集め、悲しそうに合成内職を始めた。
モニターを睨みつけ、オークは不満そうに歯ぎしりをする。彼は、拳で語り合う正々堂々とした戦いを求めていたのだ。
「なんだアイツは! 冒険者じゃねえのか!?」
彼は我慢ならんとばかりに立ち上がり、椅子が床を擦る甲高い音を立てた。
「なんでダンジョンで合成内職を始めてやがるんだ! 拳でぶつかる勇気もねえのかよ! そんな腑抜けた奴、俺が魔王軍にいる限り、絶対に認めねぇ!」
モグゾーは、悔しそうに拳を震わせ、今にもモニターに飛びつきそうな勢いで叫んだ。その泥だらけの顔には、憤りと悲しみが入り混じっていた。
「殴り合うだと? そんなことより、俺の資材を勝手に使うな!」
彼の目には、職人としてのプライドを踏みにじられた涙が滲む。
「ダンジョンの土はな、俺にとってのプライドなんだよ! その合成内職、強度計算してんのか! 俺の計算式を無視した建築なんざ、砂上の楼閣と一緒なんだぞ!」
リッチたんが、優雅に扇子を広げて口元を隠し、嘲笑を浮かべる。彼女の視線は、冒険者ではなく、目の前の同僚たちに向けられていた。
「フン、物理的な力など、この絶望の前には無力。オークの言う通りにしたら……」
彼女は扇子を閉じ、その先端でオークを軽く指し示す。
「……この美しき知性的な絶望が台無しだ。冒険者は今、自身の『貧困』という愚かさと向き合っているのだ。それは力では決して解決できない、まさに芸術的な矛盾だ」
ゴブ吉が、空気を読まずに目を輝かせた。
「リッチたん先輩、芸術っすか! 僕がこの前、焦がしちゃった、まっくろなパンも芸術なんすか!? 実は、あれ、僕の傑作なんすけど!」
オークが、間髪入れずに鋭いツッコミを入れる。彼の拳は、ゴブ吉の頭上でピタリと止められていた。
「バカヤロウ! 焦げパンが芸術なわけあるか! あれはただの失敗作だ!」
彼は怒りで震える拳を下ろし、吐き捨てるように言った。
「芸術は血と汗と、そして拳で創るもんだ! お前の焦げパンは、ただの炭だ!」
そこに、ドラゴマックスが遠い昔の栄光を語り始めた。彼の瞳は、薄い霧をまとったかのように、モニターの向こうにある過去を映している。
「……昔はよかった。蛮行など、拳一つでどうにでもなったものだ。……ただ、落ちてくる岩を砕き、罠を蹴り飛ばし、冒険者と真正面から向き合ったものだ……。今時の人間は、ただの合成内職に満足しているのか……。冒険者という肩書きが泣くわい……」
ヌメヌメが、床に溶け込むように座り込み、哲学的なことをつぶやく。その声は、床に広がる水たまりから響いているかのようだった。
「破壊も創造も、結局は同じっす〜。ぬるぬるすりゃ、どちらにもなれるっすよぉ〜。すべては、滑りやすい世界の一部っす〜。滑れば……」
彼はうっとりと目を細める。
「……新しい道が見えるっす〜」
オークが、ヌメヌメを指さし、苛立ちをあらわにする。彼の顔は、怒りを通り越して呆れの色が濃かった。
「何を言ってやがる! 意味が分からねえぞ! お前はただ滑って転んでるだけじゃねーか! 新しい道が見えるなら、とっくに誰かが発見してるわ!」
フェリーナが、心配そうにモニターに映る冒険者に語りかける。彼女の優しい声が、この殺伐とした会議室に一筋の光を差し込んだ。
「冒険者さん、きっと絶望に苦しんでいるのでしょうね。心に空いた穴を、何かで埋めようとしているのかもしれません。もしよければ、私がお茶でも淹れて差し上げましょうか。そして、そのまま……」
彼女は慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「……魔王軍の『財政援助部門』にご招待を……。きっと、心の平穏を取り戻せるはずです」
オークは、フェリーナの現実離れした提案に、思わず口を開けてあんぐりとしていた。
「財政援助部門!? 話がもう色々とおかしいじゃねえか! どこに向かってんだよ! あいつは敵なんだぞ! 俺たちのダンジョンを壊しやがったんだ!」
議論が紛糾し始めたその時、アックマの事務的な声が響いた。その瞬間、室内に満ちていた熱気が急速に冷却され、まるで真空の空間に放り出されたかのように、すべての音が意味を失った。
「皆、静粛に。無駄な感情論は排除します。次の手を分析する時間です。冒険者は破壊衝動に順応しようとしています。これは新たな『行動パターン』として記録すべき事態です。結論を導き出します」
アックマは淡々と、しかし揺るぎない口調で続けた。
「冒険者のあの力をなんやかんやで分からない様にして、我々が利用する事が最善策です。ゴブ吉代表には、冒険者にお金を渡し、最も重い在庫を運ぶよう指示を。その在庫は、彼が破壊した通路の資材費を償却するための、最低限の運搬ノルマです。オーク代表には、その在庫が落ちても壊れないように、そばで待機を。モグゾー代表には、その在庫が通路のどこを通っても大丈夫なように、床の強度を。フェリーナ代表には、お茶を淹れる係を。リッチたん代表には、破壊衝動を増幅させる魔法を。デーモン代表には……」
オークは不服そうに腕を組み、壁にもたれかかった。彼の額には、不満がシワになって刻まれていた。
「なんだよ、俺の拳が資材の番人かよ! つまんねえ! こんなの、つまんねえ!」
ゴブ吉は元気よく返事をした。彼の顔は、まるで遠足に行く子供のように満面の笑みだった。
「在庫運び! 任せてくださいっす! 僕の得意分野っす! こんなに重いもの、運んだことないっすけど、冒険者さんと一緒に運ぶなら、なんだか冒険みたいっすね!」
オークが、ゴブ吉の頭に乾いた音を立ててツッコミを入れた。
「うるせえ! 得意分野じゃねえだろ! お前はただ一番重い在庫を誰かに持たせたいだけだろ! 冒険なんかじゃねえ、ただの重労働だ!」
アックマは、そんな彼らを冷静に見つめながら、端末を閉じた。そして、冷ややかに言い放つ。
「作戦は既に成功している。彼はもう冒険者ではありません。ただの魔王軍の『資材運び人』です。そして、その資材運びの能力は、今後我々の管理下で、最大の効率で運用されることになります」
オークとゴブ吉の小競り合いが続く中、アックマの冷たい言葉だけが、監視室の隅々にまで染み渡っていくのだった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
こうして、魔王軍は冒険者に対し、まさかの「重い在庫運び」という奇策に打って出た。第二階層に足止めを食らっていた冒険者は、ゴブ吉から差し出された金貨と、山のような在庫を前に、ただただ困惑していた。その顔には、絶望と疲労、そして微かな諦めの感情が浮かんでいる。
少し離れた場所で、オークは「俺の拳で殴り合って、本当の強さを教えてやるのが筋だろ!」と叫びながらも、在庫が落ちないかハラハラした様子で見守っていた。一方、ゴブ吉は「僕の在庫、運んでもらえて嬉しいっす!」と、冒険者に満面の笑みで巨大な在庫を差し出し、その背中を力強く叩いて励ましていた。
この一連の出来事は、力の破壊を、別の種類の「力」、すなわち「労働」へと転換させるという、全く新しい戦術の幕開けであった。冒険者が、ただの労働者となるその姿は、魔界の歴史に新たな、そして少し奇妙な一ページを刻むことになるだろう。
この騒動は、やがて魔王軍の日常となり、ダンジョンには、モンスターの咆哮に代わり、資材を運ぶ冒険者の疲労した足音と、ゴブ吉の楽しげな歌声が響き渡るようになるのかもしれない。




