3話 ダンジョン完成記念式典
魔王軍が総力を結集して建設を進めていた巨大ダンジョンが、ついに完成を迎えた。本日は、この偉業を祝う記念式典が盛大に執り行われる。魔王の「迷宮は、我らが知恵の証」というお言葉のもと、各部門が最後の仕上げに奔走していた。
地下部門代表のオークは、その鋼のような拳で通路の最終点検と称して岩盤を叩きまくっていた。彼の拳が岩肌にめり込むたび、ダンジョンの奥底から地鳴りが響き、通路を歩く者たちの足元を軽く揺らす。
「俺の拳で掘った道だ! 迷うはずがねえ!」
その隣では、地下技術部門のモグゾーが土とボンドで固められた手で、絶叫していた。長時間の作業でボロボロになったその手は、まるで岩の塊のようだ。
「だから強度計算ってやつが重要なんだよ! こんな破壊行為、耐えられるわけねーだろ!」
モグゾーは悲鳴を上げながら、ひび割れた壁に必死にボンドを塗りつけている。
一方、記念式典のステージでは、美術戦術顧問のジュエルが高らかに叫んでいた。
「ラメの輝きが、まだ足りないわ! この美は、勇者の視覚を奪う究極の罠よ! 愚かな勇者は、この輝きに魅了され、足を踏み外すことになるわ!」
彼女が指先をひらひらと動かすたびに、宝石がちりばめられたステージは三つの月の光をも霞ませるほどに輝きを放つ。その光は、遠く離れた魔王城からも、まるで星が降り注いだかのように見えた。
そんな騒がしい会場で、補給部門代表のゴブ吉が
「記念品は、ダンジョン型のパンにしないっすか? 美味しいっすよ!」
と提案している。そのすぐ後ろから、湿度管理部門のヌメヌメが追いかけてくる。
「パンぬるぬるにするっす〜、美味しくなるっす〜」
熱気と混沌に包まれた会場は、まさに魔界全体が一つの生き物のように脈動しているかのようだった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
完成したばかりのダンジョンの前庭で、記念式典が執り行われていた。空に浮かぶ三つの月が、ダンジョンの頂に設置された巨大な魔石を照らし、幻想的な光景を作り出している。その光は、ダンジョンの壁面を複雑な文様で彩り、見る者を圧倒した。各部門の代表たちは、それぞれのプライドを胸に、壇上に上がる。
壇上に立ったスラポンは、いつも通りぬるっとした姿勢で、しかし確固とした声で式典の開始を告げた。
「本日は、魔王軍ダンジョンの完成を祝う。これは、力、知恵、そして美の、すべての魔族の総力の結晶だ! これまでの苦労が実を結び、この偉大な建造物がここに誕生したことを、我々は誇りに思うべきだ」
スラポンの言葉が終わると同時に、オークは前に進み出た。彼の足音は大地を揺らし、その全身から漲る闘気は、周囲の空気を震わせた。興奮を抑えきれない様子で、彼は壇上の床を強く踏みつける。その度に、石畳にうっすらとひびが走った。
「このダンジョンは、俺の拳と根性で創り上げたものだ!」
オークは自らの拳を見つめ、力を込める。
「入った勇者は二度と出られねえ! この穴こそ、俺たちの誇りの証だ! 俺が道を切り開き、俺が岩を砕いたんだ! これ以上に誇らしいことが、他にあるもんか!」
オークの発言に、モグゾーは深い憤りを覚えた。彼は被っていたヘルメットを脱ぎ、額の汗を手の甲で拭った。その手は、長時間の作業でボンドと土にまみれている。
「いや、俺が何回も強度計算して、壁を補強したから崩れなかったんだよ!」
モグゾーはオークを睨みつけ、声を震わせた。
「現場の苦労も知らねーで、ただ穴掘っただけみたいに言うな! あんたが壁叩くたびに、俺の心臓が痛いんだよ! ……というか、どの計算だよ! あんたが昨日ぶっ壊した俺の魔導計算機、もう直ったと思ってんのか!? 現場はな、あんたの破壊工作の後始末で、徹夜してんだぞ!」
モグゾーの悲痛な叫びを、ジュエルは優雅に鼻で笑い飛ばした。彼女は手のひらをひらひらと揺らし、宝石の輝きをさらに強く放つ。その動作一つで、彼女の周りにはすでにラメが舞い、月の光を反射している。
「あら、物理的な強さだけが重要じゃないわ。この迷宮は、ラメの輝きと宝石の配置で、勇者の心を惑わす芸術品よ!」
ジュエルはオークに背を向け、美しいポーズをとった。
「美の概念を理解できないなんて、哀れだわ。美は、戦術よ! 勇者は、この輝きに目を奪われ、その心は永遠に迷宮の奥底をさまようことになるでしょう?」
オークは、ジュエルの優雅な仕草に苛立ちを募らせた。彼は自らの拳こそが最高の芸術だとばかりに、モグゾーが丹精込めて作った石の模型を乱暴に掴むと、勢いよく壇上の端に投げ捨てた。だが、投げた瞬間に後悔したオークは、慌てて模型を追いかけ、拾い上げた。模型の角は少し欠けていたが、彼はそれをそっと服で拭い、元の場所に戻した。
「芸術だと!?」
オークは激昂し、ジュエルを指差して叫ぶ。
「戦場でそんなもんが役に立つか! まず、その宝石を砕いて、勇者の頭に叩きつけてみろ! それが一番の芸術だ! キラキラした石ころなんかより、拳と力こそが真の強さだ!」
オークの荒々しい言葉に、デーモンは重々しく口を開いた。彼の目は、その内なる怒りを反映するように赤く光り、静かに威圧感を放つ。
「……罠の配置には、戦術的思考が不可欠だ……」
彼はゆっくりと腕を組み、静かに議論の行方を見守る。
「単純な殺傷力ではなく、敵の心理を読み、追い詰める構造にすべきではないか? ……勇者を……精神的に追い詰めるのだ。物理的な罠は所詮、一時的なもの。だが、精神的な恐怖は、永遠に勇者の心を蝕む……」
デーモンの言葉に、ドラゴマックスは遠い目をし、その大きな鼻からは古い煙の匂いが漂う。彼は古き良き時代を思い出し、深く、寂しげなため息をついた。
「昔はよかった……。ダンジョンは、隠密に、静かに造るものじゃった……。噂など立てずとも、入れば二度と戻れぬ。それが誇りだった。こんなに騒いで、勇者に全部バレとるぞ。ワシの時代は、ダンジョンに侵入した勇者を、静かに、そして確実に絶望へと導くものじゃった。今の派手さは、戦術の幼稚さの裏返しじゃ……。これでは、まるで祭りじゃな……。」
その時、ゴブ吉が壇上をちょこちょこと歩き回った。緊張した空気を読んだのか、彼はそわそわと落ち着かない。
「ところで、お昼ごはんどうするっすか?」
ゴブ吉は、ダンジョン型のパンを掲げて問いかける。
「記念式典だし、盛大にやりたいっす! ダンジョン型パンは、僕が心を込めて焼いたんすよ! みんなで食べましょ!」
ゴブ吉の発言に、リッチたんは冷ややかに、しかし明確な軽蔑の表情で応えた。彼女の視線はゴブ吉のパンから、まるで汚いものを見るようにそらされた。
「くだらんな。食欲など、知性のない者たちの原始的な欲求。この神聖な場で話題にするべきではない。我々が語るべきは、迷宮の構造、魔法陣の理論、そして勇者の思考回路……。愚かな欲求に囚われて、本質を見失ってはならない。」
リッチたんの言葉に、オークは激昂した。彼はその巨大な拳を、硬い石のテーブルに叩きつける。その衝撃で、壇上がグラグラと揺れた。
「何を言ってんだ、この骨野郎!」
オークは怒りに顔を真っ赤にして叫んだ。
「腹が減っては戦はできねえ! うまいメシがなきゃ、魔王軍の誇りもへったくれもねえんだよ! 脳みそが空っぽだから、腹も減らないんだろ!」
ヴァパイアは、この騒動をまるで芝居でも見るかのように、優雅に扇子を広げた。その扇子からは、甘く危険な香りが漂う。
「品位を損なうわ。ダンジョンの美しさとは、何も物理的な堅牢さや、粗野な暴力だけではない。勇者が恐怖に打ち震え、自ら進んで絶望へと向かう様を、高貴な美として鑑賞する。それが、我ら貴族の流儀というものよ。暴力だけでは、勇者の心は動かせない。美の鎖こそが、勇者の魂を縛るのよ」
議論の熱気が最高潮に達し、前庭はそれぞれの主張で満ち溢れていた。そんな中、ヌメヌメが壇上の端で、ぼんやりと空を見上げながら呟いた。
「ぬるぬる〜。みんな、ダンジョン楽しそうっす〜。湿度が完璧っす〜。これで勇者も快適っす〜。快適すぎて、みんなで住めるっす〜」
その瞬間、前庭の熱気が、一瞬にして凍り付いた。激しい議論の嵐が、まるで嘘のように収束し、場に静寂が訪れる。ヌメヌメの言葉が、すべての魔族の思考を停止させたのだ。ゴブ吉が、凍りついた空気の中で、恐る恐る口を開いた。
「え、えっと、勇者さんも快適ってことは……僕でもクリアできるってことっすか!? そうなったら、僕、英雄になっちゃうっすかね!?」
オークは、頭を抱えた。その表情は、怒りよりも深い絶望に満ちている。
「勇者が快適!?」
オークは天を仰いだ。
「誰のためのダンジョンだと思ってんだ、このナメクジ野郎! 魔王軍の誇りはどこに行ったんだ! 勇者を絶望させるために作ったんじゃねえのか!」
議論が紛糾し、会場が騒然とする。スラポンは、この危機的な状況を収めようと、必死に声を張り上げた。
「静粛に! 諸君、いったん冷静になるぽん! このダンジョンの理念について、改めて……」
その時だった。前庭の中心に、漆黒の靄がゆっくりと渦巻き始めた。それはまるで、深淵そのものがこの場に現れたかのようだった。その靄の中から、静かに、しかし抗いようのない威圧感を放ちながら、魔王が姿を現す。彼の存在は、音もなく、光すら飲み込む。
「――静まれ」
その声は、重く、深く、すべての音を消し去る。前庭のすべての魔族が、その場に縫い付けられたかのように動きを止めた。
「ダンジョンは、魔族の総力を結集した傑作だ。それは、勇者の快適を願う心も、拳を誇る者も、知恵を尊ぶ者も、すべてを飲み込む、我らが広大な迷宮。互いを讃えよ。他者の功を、認めよ。この迷宮の完成は、特定の誰かの功績ではない。魔界に生きるすべての者が、互いの存在を認め、力を合わせることで成し遂げられたのだ」
魔王の言葉に、一同は心からの敬意を込めて深く頭を垂れた。スラポンは、その言葉を胸に刻み込むように、静かに頷く。
「承知いたしました。このダンジョンを、魔族の総意の象徴として、未来永劫、守り抜きます」
ジュエルは小声でつぶやいた。その表情は、悔しさよりも、新たな美の発見に喜びを感じているようだった。
「……快適……か。なら、ラメは勇者様への、ささやかなおもてなしというわけね。美しいおもてなしは、最高の戦術よ」
オークは、深いため息をつき、その拳を力なく下ろした。怒りの炎は消え、そこに残ったのは、複雑な、しかし納得したような表情だった。
「おもてなし……。お前はまず、勇者をぶっ飛ばせ。だが、まあ、いいか……。勇者を快適にさせて、油断させてからぶっ飛ばすのも悪くねえ……」
魔族たちは、それぞれの思いを胸に、誇らしげに完成した迷宮を見上げた。それは、ただの要塞ではなく、多様な魔族の力が一つになった、生きている証だった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
議論が収束した後のダンジョンの前庭は、熱気が冷め、静寂に包まれていた。各々がバラバラになり、次の行動に移る。オークは、新しくなった机の前に座り、黙々とその拳を磨いていた。
そこへ、ジュエルが優雅な足取りで近づいてくる。
「ねえ、オーク。この机にも、ラメをちりばめてみない? 新たな芸術作品の構想を練っているのよ」
ジュエルの提案に、オークは顔を上げ、彼女をじっと見つめる。彼は何も言わなかったが、その表情は、互いの価値観を認め合ったような、どこか清々しいものだった。彼らの間にあった価値観の衝突は、団結という大いなる力の前には些細な問題だった。この日、魔王軍はただの軍隊ではなく、多様な存在が互いを認め合う、一つの大きな家族となったのだ。




