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第二話 忘れられない日

 小さな町の外れにある一軒家。

 家族全員が寝静まったころ。

 この一家のひとり娘である少女がふと目を覚ます。

「うーん……水……」

 少女は眠そうな声で呟いた。ひどく喉が渇いているようだ。

 井戸水を飲むため、フラフラと外へ足を動かす。

 だが、少女が裏口の戸に手をかけたとき、バタンと倒れ、意識を失ってしまう。


 少女が意識を取り戻したとき、脳はまだ覚醒しておらず、ぼやけた視界だけが与えられた情報だった。

 やや鮮明になった視界から推測すると、そこは両親の部屋だった。

 そして、脳が完全に覚醒すると、視界も嗅覚も手足の感覚も鮮明になった。

 その視界には。


 鮮血と両親だったものが部屋にまき散らされていた。


「え……?」

 脳は覚醒したが、状況はつかめない。

「おえっ…」

 口内からは錆びた鉄の匂いがして、吐きそうになる。

 ………………これは悪い夢。そうでなければ説明がつかない。

 少女は助けを求めるようにその場から逃げ出していった。


 エリスティア・ストヴェスト 8歳。

 まだ世を知らない幼い娘は―――

 吸血鬼となってしまったのであった。


 *** ***


「よかったら、食べてね」

 ずっとうつむいていたわたしの前に野菜の料理が置かれる。

 この銀髪の少女、ソフィアは先程からやけに張り切って世話を焼こうとしてくる。

 どういう意図があるかは不明だが、わたしは吸血鬼だ。目の前で食事をとってしまえば、人間のものとはかけ離れた二本の牙が晒されることになる。

 こんな自分に優しくしてくれるのに、無視することしかできない。申し訳なさで潰されそうになる。

 が、ソフィアは隣に座り、笑顔を絶やす気はなさそうだった。

「――――――」

 それからしばらく、ソフィアはわたしに他愛ない小話を延々とし続けて、わたしの申し訳なさをどんどん膨張させていくのであった…。


「ふぅ…」

 申し訳なさ爆弾が爆発寸前まで膨張したわたしは、「身体綺麗にしたいよね?」というソフィアの言葉に頷いて、脱出と爆弾の解体に成功した。「身体洗ってあげるね!」という言葉には首を大きく振った。

 浴槽には雪解け水がたまっており、人間が入るのは厳しいかもしれないが、わたしは吸血鬼だ。久しぶりの全身浴で肩をおろしていた。

 思えば、全身浴をする機会はほとんどない。

 川や池でしていたら誰かに見られるかもしれないし、かといって大浴場に行けば大勢の人間がいて落ち着けない。

 そう、吸血鬼は常に警戒して生きていかなくてはならない。

 修道士に見破られたら殺そうとしてくるし、気を抜いて牙を晒せば殺そうとしてくる。

 だが、それよりも日光が厄介だ。

 ほんの少しでも日光に焼かれれば、銀で貫かれるよりも痛い。

 少しでも隙間のある小屋に潜伏する場合は、日光を避けつつ就寝しなくてはならない。寝返りに失敗すれば死、だ。

 でも、今の自分は落ち着いている。わたしはお風呂好きなのかな。

 と、感傷に浸っていると、「着替え置いとくね」という声がした。

 そろそろ出ようかな。

 久しぶりの全身浴でリラックスしたわたしは、うっすい布で身体を拭き、着替えに袖を通そうとした―――


「あはははは!かわいいね~」

 銀髪さんがわたしのことを笑っている。

 それは私が存在が醜いから、ではなく、ソフィアの着替えを着用したわたしが面白おかしいから笑っているのだろう。

 身長が160cmくらいあるソフィアに対し、8歳の時から成長しないわたしの身体では、当然サイズが合わない。

 ……シャツの裾は膝くらいまで届いており、左肩は完全に露出。右手は袖口まで全く届いていない。そして、スカートは引きずってしまうので履いていない。

「ごめんね、それしかなくて……」

 目の前で口を開くことはできないので、首を振る。

 どうせソフィアが寝たらここを発つつもりだ。それまで服はなんでもいい。

 わたしは不満そうな顔をしながら暖炉前に座り、髪を乾かす。

「じゃあ私も洗ってくるから」

 今度は首を縦に振る。

 ソフィアが浴場に行ったところで、わたしは今後について少し考える。

 当然、行く当てはない。日の当たらないところで、誰もいないところで、縮こまっていることしかできない。

 正直、死んでしまった方が楽だとは思っている。死ぬ方法も分かっている。

 だが、吸血鬼となっても死への恐怖は全く変わらない。それどころか、より生に執着しているような気もしている。

 わたしが生き続けること、それは、誰かを殺し続けるということだ。

 喉の渇きで意識が途切れ、意識を取り戻したら鮮血と死の地獄絵図。

 不味くて何度も吐き出した血の味。

 記憶から離れない悲鳴の音。

 ……

 わたしに死ぬ勇気があれば助かった命はいくつあるのか。

 誰か、醜いわたしを。勇気のないわたしを。生き続けることが罪であるわたしを。

 殺して……。


 ややリラックスしたせいで情緒不安定になっているのか、わたしの視界は涙で滲んでいた。

「どうしたの?」

 浴場から戻ってきたソフィアに泣いているところを見られ、わたしは抱きしめられていた。

「大丈夫、今日は私が一緒だから。」

 ソフィアに頭を撫でられる。

「私にわがまま言ってもいいんだよ?」

 胸に顔を寄せられる。

 ついに、わたしの目から涙が零れる。

「よしよし」

 わたしの涙袋は決壊し、みっともない泣き顔を晒してしまう。

「わたし…どうしたらいいのかわかんない」

 感情が抑えきれず、言葉をぶつけてしまう。

 ソフィアからの返答はなく、わたしは頭を撫でられ続ける。


 このときは分からなかったが、わたしが欲しかったのは、100点の返答でも、適当な相槌でもなく。

 人の温もりだったのかもしれない。


 *** ***


 散々泣いた後、落ち着いたわたしはソフィアに抱きかかえられて、ベッドに入れられた。

 ベッドに入った後も、ソフィアはずっとニコニコしたままわたしの頭を撫でてくれた。

 こんなに優しくしてくれて本当に申し訳ないのだが、わたしは吸血鬼、一緒にはいられない。

「また、自分が嫌いになっちゃうなぁ…」

 でも、なんだか気分は悪くなかった、かもね。


 夜も更け、背後のソフィアは寝息を立てていた。

 わたしは「本当にごめんなさい」と心の中で謝罪すると、起こさないように慎重に抜け出そうとした。

「あれ…?」

 わたしはソフィアに力強く抱きしめられていた。

「うそでしょ……」

 無理やり抜け出せば起こしてしまうかもしれないし、そっと抜け出そうすることもできない。

 とりあえずソフィアの体勢を確認するために振り返る。

 そこには、今日二回目の天使の寝顔が、至近距離で映し出されていた。


 頭の片隅で、運命の相手がいるとしたら、それはきっとソフィアのことなんだろうなって思ってしまった。

 それは大正解だったようだが、それを知るのは全てが終わった後だった。

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