『恋愛陰謀論 ─君を落とすアルゴリズム─』
「八城くんって、恋とかしなさそう」
神代ひよりはそう言って、カフェの紙ストローをくるくる回す。
横にいた八城駿は、相変わらずの無表情で答えた。
「非効率ですからね。感情と行動のコストが釣り合わない」
「へえ。じゃあ、仮に誰かが君を落とそうとしてきても?」
「即ブロックです。攻略されるの、あんまり好きじゃないんで」
「じゃあ……そのファイアウォール、私が破ったら?」
「は?」
「ううん、独り言」
そう言って、ひよりはにっこり笑った。
その裏で、スマホの画面にはこう記されていた。
【ターゲットNo.42:八城駿】
【難攻度:S/無感情系】
【恋愛ハック開始】
翌日から、自然すぎる接触が始まった。
朝、同じ電車の同じ車両に偶然乗り合わせ
昼、講義後に廊下でノートを「たまたま」落とす
休憩中、興味ありげに「最近どんな映画観た?」と話題誘導
一見なんでもない。でも、全て“仕込み”だった。
だが、三日目の夕方。
「……神代さん。俺に何かしてます?」
「……え?」
「今日で5回目ですよね。“たまたま落とす”ノート。1日に2回は流石に多い」
「え!?そんな統計とってんの!?」
「してない。人の落とし方、検索しました。で、似た行動がヒットしました」
「私の仕掛け、ネットに載ってるの!?!?」
「載せました」
「お前か!!」
ひよりは頭を抱えた。完全に、思考を逆読みされている。
だが、ここで負けるわけにはいかない。
なぜなら昨日、電話越しに悠真からこう言われたばかりだ。
《で?また誰かハックしてんの?》
《うん、今いい感じのターゲットいてさ〜》
《……恋愛なんて、全部操作されてるもんだろ》
《は?》
《俺は“恋愛陰謀論”を信じてるから》
(あの従兄弟、こじらせすぎ……)
「神代さん?」
「あ、ごめんごめん。思考のフォルダ整理してた」
「じゃあ今日は俺が仕掛ける番です」
「え、今なんて?」
「逆ハック開始、ってことです」
──その日から、主導権は完全に逆転した。
ひよりの好きなドリンクを自販機で先に買ってくる
座席取りで「さりげなく隣」どころか「当然のように隣」へ
さりげないスキンシップ、笑いのツボ、全て的確に刺してくる
「おいおい八城、やるじゃん。私が手間かけたこと全部吸収してんじゃん……」
「恋愛における情報戦、意外と興味深いんで」
「いや、落とし合いに“興味深い”って表現するのこわ」
そんなやり取りのまま、数日が過ぎたある日。
ふたりは大学近くのカフェで落ち合っていた。
「勝負、つけようか」
ひよりがそう言って、ストローを指で挟む。
八城は一拍置いてから言った。
「じゃあ、俺から言います。“好き”です」
「──は?」
「攻略失敗しました。気づいたら、こっちが落ちてました」
「え、それ……私の“好き”待ちだったんじゃないの!?」
「はい。でも、待てませんでした」
「ずるっ!落とされる前に先に“好き”って言うの、ルール違反!!」
「……勝ち負けで恋してないんで」
「うぐっ……!そう言われたらもう勝てないじゃんか……!!」
ひよりは、くるりとカップを回した。
「……んじゃ、承認。付き合う、という処理でいいよ」
「同期、完了ですね」
ふたりが静かに笑ったその瞬間、カウンターから声が飛ぶ。
「カフェラテと、抹茶ラテでお待ちのお客様〜」
店員が持ってきたトレイの上には、丁寧に書かれたカップの文字。
「こはる」と名札に書かれた店員が、にっこり微笑んだ。
「いつもありがとうございます〜。あたし、こういうの好きなんですよ、観察とか」
「……こはるちゃん、ね。覚えておこ」
ひよりは呟くと、アイス抹茶ラテを受け取った。
勝負はついた。でも、戦いは終わったわけじゃない。
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おしまい
(操作される恋も、たまには悪くない)