第6章:影法師と巫女
革靴の足音は、ひとつずつ階段を降りてくる。
そのリズムは、静かなはずの地下空間に不自然なほど響いていた。
真は振り返る。
そこにいたのは、スーツを着た女だった。
黒のジャケット。整った顔立ち。眼差しは冷たいのに、どこか品のある微笑みを浮かべている。
その姿は、どこかで見た記憶がある。だが、思い出せない。
「こんにちは、斎 真くん。ようやく会えたわね」
「……誰だ?」
女はゆっくりと歩きながら、答える。
「私は鴉羽 柚月。
弁護士ということになってるけれど、本当の仕事は——神様の代理人」
意味がわからない。けれど、その言葉に背筋が凍った。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だったはずだが?」
「そうね。私も関係者。あなたも関係者。
だってここは、選ばれた者しか来られない“封印区域”なんだから」
女の周囲の空気が変わる。
まるで、見えない何かを引き連れているようだった。
目を凝らせば、その背後に“影”が揺れていた。
人型。だが、人ではない。
「……お前、何者だ」
「私は、“神に魅入られた者”。
でも安心して。あなたを殺しに来たわけじゃない。
ただ——観察しに来ただけよ。
“あなたが、どこまで狂わずにいられるか”をね」
その瞬間、影が蠢いた。
影が、彼女の背後から剥がれた。
まるで液体のように、地面を這い、こちらへとじわじわ近づいてくる。
真は一歩後ずさる。
「やめろ……それは、なんなんだ」
「“私の影”よ。でも、これはもう私じゃない。
真影録を読んだあとから、ずっと、私の中にいるの」
女はそう言って、少しだけ肩をすくめた。
「あなたの中の“目”と同じ。
あなたも、もう手遅れかもしれないわね」
真の胸が、熱を帯びる。
――目が開こうとしている。
再び、意識が夢の底に沈みかけたそのとき——
「……っ!」
白い光が、影を断ち切った。
空気が弾けるような衝撃とともに、蒼子が現れた。
夢と現実の狭間に現れる、白い巫女。
彼女の掌から放たれた符が、影の進行を止めていた。
「ここは、まだ渡さないよ」
鴉羽 柚月は、少しだけ唇を吊り上げて笑った。
「ふふ、夢宮の巫女。
なるほど、封印の鍵は思ったより根深いようね」
「あなたの“影”は、神じゃない。
けれど、ここは神域。――穢すなら、私が祓う」
巫女と影法師。
静寂の中、拮抗する気配だけがぶつかっていた。
やがて、柚月はくるりと背を向けた。
「今日はこのくらいにしておくわ。
私たちは、まだ戦う段階じゃないもの」
そう言って、階段の闇へと姿を消していった。
影もまた、彼女の足元へと吸い込まれるように消えていく。
重く沈んだ空気が、ようやく緩んだ。
蒼子は、無言で真の前に立った。
「……無事だった?」
「たぶん、な」
「よかった。
でも、もう時間がない。封印が、崩れてきてる」
その目に、微かな悲しみが宿っていた。
そして、真の中の“目”が、再び疼き始めた。
ご覧いただきありがとうございました。
第6章では、いよいよ第2の勢力「鴉羽 柚月」が登場しました。
彼女の持つ“影”、そして彼女自身の中に潜む異物。
それらが意味するものは、今後の物語の大きな鍵となります。
蒼子と柚月、それぞれの“巫女”と“信徒”の対立。
封印の緩みが加速し、真の選択の余地は刻一刻と狭まっていきます。
次回は、少し世界観を整理するための設定資料回を予定しています。
これまでの情報を読みやすくまとめ、伏線の理解が深まる構成にしていく予定です。
引き続き、午前2時(丑三つ時)投稿で更新してまいります。