第2章:旧神の印
朝の光は、やけに冷たかった。
斎 真は、いつものように目を覚ました……はずだった。
ベッドの上、額に汗が滲んでいる。喉はひどく乾いていた。
昨夜見た夢のことは、まだ頭に色濃く残っている。白い巫女服の少女、崩れる世界、空に浮かぶ“目”。
そして——胸に刻まれた、奇妙な印。
真はゆっくりとシャツをまくり、確認する。
そこには、まるで眼球を模したような模様が、皮膚の下に浮かび上がっていた。痣でも傷でもない。まるで、“そこにあるのが当然”かのような自然さ。
「……タトゥーでも入れた覚えはないんだけどな」
冗談めかして呟いたが、笑えなかった。
その印を見た瞬間、胸の奥にざわつく何かが目を覚ますような感覚があったのだ。
——おまえは、選ばれた。
言葉にならない囁きが、意識の底で微かに響いている。
思考を振り払うように、真はスマホを手に取った。画面には、前夜に見た兄の最後の映像が表示されていた。
再生ボタンを押すと、ノイズ交じりの映像が流れる。
『……聞こえるか? 真。もしこれを見てるなら、たぶん俺は、もう——』
そして、途切れる。
やはり途中で記録が切れている。
だが、その時、ふとあることに気づいた。映像の端、兄の背後。
屋上の柵の奥に、何かが立っていた。
……白い着物姿の、少女のような影。
「夢宮……蒼子……?」
昨日、夢の中で会ったはずの少女の名を、自然に呟いていた。
現実にそんな人物がいるわけがない。けれど、この不可解な現象を前にしては、もう「ありえない」と切り捨てる方が無理がある。
夢と現実が、少しずつ重なってきている——そんな予感があった。
部屋の時計が、朝の九時を指していた。大学は午後からだ。
だが、真はそのまま着替え、ある場所へ向かう準備を始めた。
向かう先は、都内某所にある**「神話災害記録館」**。
一般には公開されていないが、民俗学ゼミの教授の紹介で、一度だけ足を運んだことがある。
あそこなら、何かがわかるかもしれない。
自分に刻まれたこの“印”と、夢で出会った“彼女”の正体。
そして、兄が見た“神”の謎——。
部屋を出ようとした瞬間、スマホが震えた。
画面に、知らない番号からの着信。
だが、着信名の表示にはこう記されていた。
【ヨミ】
一度も登録した覚えのないその名を見た瞬間、真の手は勝手に応答ボタンを押していた。
「……斎 真、君だね?」
低く、囁くような女の声。
「“目”が、君に宿った。——ようこそ、“黄昏の門”へ」
通話はそれだけで、ぷつりと途切れた。
スマホの画面には、何も残っていなかった。
まるで最初から、そんな着信などなかったかのように。