はじまりの昼-1
☆
うつくしいせかいはぼくらのために
うつくしいせかいはみんなのために
ほんのすこしむこうをみわたせば
たくさんのせかいと
そこにいきるたくさんのひとびとが
ぼくらをまっている
さあいこう ぼくらといっしょに
とびらはすでにひらかれているのだから
☆
いつの間にか眠りにおちていたわたしは、目を覚ました時に周りに誰の姿もなくて少しだけ怖くなった。
独りというのはどうも慣れない。だからといって大勢の中にいるのも好きじゃないけどね。
『孤独』というものはわたしにとって、過去の思い出を呼び起こさせる因子になる。それはどちらかといえば辛い思い出で、だからわたしは孤独であることが怖く感じてしまうのだろう。
今、わたしは孤独の中にいる。
ひとりきりの空間。
わたし以外誰も存在していない。
そこはやはり見慣れない、誰のものかもわからない部屋。
でも、妙に違和感のない懐かしさを感じる。居心地はそれほど悪くない。そのことに気づくと最初に感じた恐怖感もいくらか和らぐ。
頭痛はだいぶ治まっていた。痛みが引いてくると今度は妙にすっきりして、なんだか身体がいつも以上に調子よく感じた。
わたしは相変わらずベッドの上にいて、身体には布団が掛けられている。服は着ていない。そもそもわたしの服が見当たらない。周りを見回してみても、床にも窓際のハンガーにも掛けられていない。
隅っこのクローゼットにでも閉まってくれているのだろうか?なんにせよ、さすがに服がないのは困る。でも考えてみたら、自分がどんな服を着ていたかさえ思い出せない。
や、やばいなぁ…。本気で昨日のこと忘れちゃってるよ…。
そういえば…うさ子さん、だよね?彼女はどこかに行ってしまったのだろうか?
あの人のこともイマイチ、というか全然わからない。
……時間ウサギってなんだ?そもそも、わたしってばどうしてこんなどこかもわからん場所にいて、全裸でうさ子さんと寝てたりして(これについては悪い気はしませんが)、一体わたしに何が起こっているというのだろう。
まるで不思議の国にでも迷い込んでしまったみたい。
……不思議の国?そういえばそんな昔話があったっけ。
ある少女がおじいちゃんの土地の裏山を散歩していて、そこで偶然見つけた河童を追いかけて行ったら滝つぼに落っこちちゃって、で、気付いたら川原で倒れていたんだけど、実は彼女は滝つぼに落ちたことで違う世界に迷い込んじゃっていて、で、しかもそのすぐ側を流れていた川が三途の川で、だけどそのことに気付かない少女は向こう岸でお母さんのおなかの中を出てから離れ離れになってしまっていたへその緒が手を振っているのを見つけて、三途の川を渡ろうとするの。
感動の再会。だけどそこに数多の魑魅魍魎がやってきて、少女が川を渡ろうとするのをとめようとするの。
川を渡るとそこはもう死者の世界。彼らは少女を死者の世界に入らせまいとするのだけれど、魑魅魍魎のこの世のものとも思えぬ形相に驚いた少女は、彼らから逃れようと急いで川の水を切るように全力で走り、そしてとうとう、少女は向こう岸へ渡りきってしまったの…。
……で、どうなったんだっけ?あれ、忘れちゃった…。そこまでは割りとしっかり覚えているんだけど……。
まあいいか。とにかくそんな不思議の国のお話が世界中に沢山ある。
そしてそのストーリーに出てくる主人公は必ず女の子で、名前は……アリス。
アリスという名前を持つ少女たちは必ず、不思議の国に引きずり込まれてしまう。
そんな言い伝えがある。まあ迷信だけどね。わたしはそんなわけのわからん世界に行ったことないし。
そもそも不思議の国なんてあるわけがないのだ。
…あったらいいななんて、ちょっと考えたりしたことも、そりゃあ少しはありましたけども…。
コンコン
「ん…?」
不意に響く、ドアを叩く音。誰だろう?うさ子さんだろうか?でも仮にこの部屋がうさ子さんの部屋だとしたら、ノックなんかしないで普通に入ってくるよね。少なくとも、あの…ドウドとか言ったっけ?あいつじゃないな。あいつなら絶対ノックしないで入ってくる。男なんてそんなものだ。性懲りもなく、同じ過ちを繰り返す。
…まあ、女も同じか。
コンコン。
再びドアを叩く音が響き、わたしに催促をする。
「はいは~い」
わたしはなんの気なしに返事をして、ベッドから体を起き上がらせた。
少し頭がふらつく。でもそれは最初だけで、すぐに感覚が保たれる。
扉を開けに行こうとベッドから足を着く。そこで自分が全裸であることを思い出し静止する。
…ど、どうしよう?先ほども確認したけれど、この部屋服らしきものは一切ない。
クローゼットはどうだろう?立ち上がり、クローゼットの前へと移動する。
高さ2メートルちょっとくらいの、木製のクローゼット。これが倒れてきたら、わたしはきっと下敷きになってぺしゃんこだろう。
扉は観音開きの部分と、下側に引き出しが二段。
見るからに年代モノな感じ。でも傷とか変色は殆どない。
わたしは取っ手部分に手を掛けて、それをゆっくりと引いてみた。でも観音開きのクローゼットの扉は、まるで初めから開くことなどありはしないと言わんばかりにびくともしない。
「なんで?」
今度は力を入れて、思いっきり引っ張ってみる。
「ふぅぬっっ…っ…だああぁ!開かない!何で!?」
鍵でもかかっているのだろうか?試しに下の引き出し部分も開けようと試みたが、やはりこちらも全く動かない。
コンコン。
三度目。居留守使おうかな…どうせわたしの部屋じゃないんだし…てか、勝手に出たらダメじゃね?
……寝よ。うさ子さんが戻るまで待ってよう。それがいいよね。うん、それがいいよ、きっと。
わたしはベッドに戻って再び布団を被って横になった。
「おかしいな、確かにアリスの声がしたんだが…」
げっ……。
さっき返事したんだっけね…しなきゃ良かったなんて後悔しても遅いか…。
ドンドン!
「アリス、どうかしたのかね?いるんだろう?」
あ、なんかすごい心配されてる。こ、これはこのままじゃまずいかな…。
「今ドアをぶち破るからな!!待ってなさい!!!」
はいぃっ!?
「ちょ、ちょっと待って!い、今開ける…」
べちゃっ
………
……
…
し~~ん。
「え…?」
何ともないみたいだけど…今何かべちゃっとか音がしたよね…?
再びベッドから起き上がり、わたしはもう一度周りを見回した。
服はないけど、いいか。
わたしは掛けていた布団をそのまま身体に巻いて立ち上がり、玄関へと向かう。
怪しいぞ。絶対この格好は怪しい。おかしい。でもいいや、いいよね。
今の音が何なのか、誰なのか、ちゃんと確かめてみたほうがいいよね…。
玄関のノブに手を掛けゆっくりと回す。
すこしの不安と好奇心。この先にいるのが一体どんな人なのか?この先に広がる世界が一体どんなところなのか?気が付けばわたしは、まるで自分が不思議の世界にでも迷い込んだかのよな感覚になっていた。
ま、実際それに近いものがありましたけども。
がちゃっ。
開けたそこは通路だった。
左右に伸びる廊下。
そして、床には白くて丸い物体が少し割れて透明な液体を流していた。