アリス探偵事務所へようこそ-2
「ごちそうさまでした」
「おそまつさま」
食器を片付け、うさ子さんは新たにカップをわたしの前に置いた。薄い茶色の液体の入っていた。
差し出されたそれを口に運ぶ。ミルクのまろやかな舌触りと、ほのかな甘さ。カフェオレ?カフェラテ?その違いを知らないわたしにはこの目の前の飲み物がどちらなのかはわからないけれど、どちらにせよ美味しい飲み物だ。温まる。癒される。
うさ子さんはわたしの様子を何も言わずにただ見つめていた。優しい目だった。
食事も終わり、美味しい飲み物を飲みながら、このままうさ子さんと優雅な朝のひと時を愉しむのも悪くない。むしろそうしたい。のだけど、当初の目的を忘れてはいけない。
わたしは意を決して口を開いた。
「うさ子さん、え……」
「アリスは、あ……」
二人の声が重なる。わたし達はそのまま黙ってしまい、お互いの顔を見合った。
「……ぷっ、ふふふ」
「あはは……」
先に吹き出したのはうさ子さんだった。つられてわたしも笑ってしまった。よくある話だけど、なんとなく笑ってしまった。
「お先にどうぞ」
「いえいえ、うさ子さんからどうぞ」
「そうかね?じゃあワシからいかせてもらおうかな」
なんか卵がいつの間にかわたしの隣の席ににいた。
そしてカウンターによじ登って偉そうに踏ん反り返っている。
わたしは突然の事に驚いて卵を殴った。
「あべし!」
少しヒビが入った。
「あら店長。おはようございます」
「おはよう、うさ子くん。アリスもおはよう」
「卵が喋った」
「それはそうだよ。ワシは特別だからね。いやぁ、二人は仲が良いなぁ。実に良い。良い事だよ。ハッハッハッ!」
「キモい」
「それにしても朝早いなぁ。いやぁ偉い。二人とも、偉いねぇ」
「キモい」
「早起きは三文の徳と言うからね。早起きは良いぞ。うむ。ハッハッハッ!」
「キモい」
「時にアリス。さっきのは少し痛かったぞ。良くないなぁ若い女の子があんなすぐに手を上げてしまうなんて、ハッハッハッ!」
「きーもーいー」
「仮にも君は隣の事務所のオーナーになるのであるからして、ねえ。淑女たらんことを心掛けて欲しいものだよ全く。ハッハッハッ!」
「うぜぇ。こいつマジうぜぇ。キモい」
今何かとても大事な事をこの卵は喋っていた気がしたのだが、それよりもわたしはこの卵が気持ち悪くて悪すぎて、持ち上げて構えた。
「ちょっ!?おいアリス!何をするのかね!淑女たらん事を!アリスううううぅぅぅぅぅ!!!」
持ったままなのもキモかったので、話が終わらないうちに振りかぶって思い切り投げた。そのまま勢い良く壁にぶち当たって卵は砕けた。白身と黄身がでろんと流れ出した。
「あらあら大変ねぇ」
うさ子さんは特に気にする様子もなくテーブルを布巾で拭いたり洗った食器を拭いて棚に戻したりしていた。
あの卵、店長とか言われていたけど、例え何であろうとわたしには受け入れがたい存在である事は確かだ。そもそも卵ってなんだ?あんなの化け物じゃないか。無理無理、生理的に無理。卵料理は好きだけど。
「あれはなんなんですか?」
「うちの店長よ。ハンプティーダンプティー」
「ハンプティー?あの不思議の国のアリスの……?」
「…やっぱり忘れちゃってるわね」
うさ子さんは溜息つき、少し困った顔を見せたが、優しく微笑んでわたしに向き直った。
そして続ける。
「アリス、お話があります。大事なお話です」
「は、はい」
「2回目なのよね」
うさ子さんがいたずらっぽく言った。
「す、すんません」
言葉もないですはい。
「あなたに探偵事務所を任せたいの」
「……はい?」
それはわたしには本当に予期していなかった、突拍子もないお願いだった。
「たん…てい……?」
なんで?わたしが?たんてい?
「昔、アリス探偵局っていうアニメがあったんだけどね」
「あ、知ってます。凡才テレビくんでやってたやつですよね」
「そう、それよ」
「小さい頃に観た記憶あります。小さかったんであんまり覚えてないんですけど」
「私もあれ大好きだったの。アリスが可愛くて可愛くて……」
「は、はぁ……」
「つまりね、そういうことなの」
「……」
いやもうほんと、意味が分からないです、はい。
「アリスという女の子達はね、皆探偵になるべくして生まれてきたと言っても過言ではないと私は思うの」
「いや、それはどうかと思いますけど……」
なんだろう。うさ子さんの何かスイッチが入ってしまったのだろうか。