はじまりの昼-12
「あ、そうでしたっスそれじゃ早速アリスさんに色々説明するっスね」
「うん、ところでここってレストランなの?」
手伝うのはよいのだけど、そういえばわたしはここがなんなのか全く知らないんだよね。
「そうっス。だいにんぐかふぇあんどれすとらんあんどばーみたいなもんっス」
ながっ。色々混ざっているような気がするんだけど、ま、まあいいか。そういうものなんだろうということにしておく。
「わたしは何をすればいいのかな?」
「アリスさんには接客をお願いしたいっス。お客さんの注文を聞いたり料理を運んだり」
「ウェイトレスってわけね。オッケー。この前までそういうところで働いてたからたぶん大丈夫」
メイド喫茶で培われてきたわたしの実力をとくと御覧あれ。って、そんな偉そうに言えることでは全然ないんだけど。
「そうなんスか!それなら安心してお任せ出来そうっスね!」
「あんまり期待されるとプレッシャーなんだけど…ま、まあ精一杯がんばりま〜す」
わたしはトラ吉から一通りの作業の流れとか、テーブルの番号や料理の名称、お酒の銘柄などの説明を受けた。ホールはわたしとトラ吉で回し、うさ子さんはコーヒーや紅茶、ドリンク系をつくるそうだ。ドウドは料理担当らしい。
「あとピーターさんがカクテルとかお酒の担当っス」
「ピーター…って?」
「ボクと一緒にいた…」
「あぁ、あの人か」
黒髪知的眼鏡くん。ピーターっていうのか。名前からして外国の人らしい。
まあここにいる人たちはみんな外国の人っぽいけど。
「うさ子さんもピーターさんもすご腕のバーテンダーとバリスタなんスよ!堂戸さんの料理もすごいんス!」
トラ吉が目を輝かせ皆の話を始める。皆がどれだけすごいのか。彼は余すことなく語り尽くそうという勢いで、まるで何かのスイッチがオンになったかのように語り出した。
このパターンは知っている。止まらなくなるのだ。人間て何かに夢中になってしまうと途端に周りが見えなくなってしまう。
「ね、ねぇトラ吉くん。その話はあとでゆっくりと聞かせてもらうから今は…」
「はっ、そうでしたっス!はやく準備しなきゃっス!」
わたしたちは再び準備に専念し始めた。彼はどうやら一つのことに集中してしまうと周りがみえなくなってしう、そんな性分のようだ。わたしも注意しないと。今は余計なことは聞かない方がいいな…。
「ただいま」
それから少しして、準備も大体終わりに近づいた頃。お店の扉がゆっくりと開いた。
入ってきたのはピーターだった。両手に大きな買い物袋をぶら下げている。
「おかえりなさいっス」
「おかえり〜」
「あれ、アリスさん?」
丁度わたしはテーブルに食器を並べていたところだった。彼は入って来るなりそのわたしの姿を見てきょとんとした顔で固まってしまった。
「あ、わたしも手伝うことになったの。よろしくね。えと、ピーター…さん…」
「えっ、あの、ピーターでかまいませんから…というか…」
その無防備な表情はすぐにいつもの凛々しく整った姿に変わった。少しだけ口元を柔らかくし、彼は優しい笑みを浮かべた。
「お似合いですよ、その服」
「えっ!?そ、そうかな…?ちょっと恥ずかしいんだけどね…」
正直すごく恥ずかしい。アリスの服だからメイド服に比べれば大人しめではあるのだけど…物語のアリスってさ、少女じゃん?わたしこれでも成人なったからね?自分、ハタチっすからね?ね?
「いや、素敵ですよ。とても…」
彼は少し照れたようにその整った表情を綻ばせる。何だか少しドキッとする。顔が何だか熱くなって、きっと赤くなってるなと思った。大丈夫だ、夕陽が当たっているからたぶん問題ない。ない、よね。
「あらピーター、戻ったわね」
先ほどまで姿のなかったうさ子さんがいつの間にかカウンターで何か作業をしていた。全然気づかなかった。一体いつからあそこにいたのか…。
「戻って早々悪いけど、時間もないんだから早く準備に戻ってくれるかしら?」
「は、はい、すいません…」
なんとなくうさ子さんの言葉にトゲがあった。表情も笑ってないし…正直こわい…。ピーターも慌ててカウンター中を通り、奥のキッチンへと入っていった。
そうすると彼女の表情は途端に元に戻り、普通に作業に戻った。な、なんだったのか…。
「ジェラシーっスね」
トラ吉が何故か一人うんうんと頷いていたが、理由を聞くのはやめておいた。またスイッチが入ってしまうかもしれない。
うさ子さんはカウンターテーブル下から紙袋をいくつか取り出し、それを並べながらエスプレッソマシンをいじっていた。
そのマシンはレストランや喫茶店などでよく見るような業務用の大きなものではなく、家庭用の小型なタイプのものだった。メーカーは…わからないな…木目調の、少し年代物を思わせるようなデザインだったけど、なんとなくわたしはそれがこのお店にはとても合っているなと素直に思った。
「そいやピーターはなに買ってきたのかな…」
「料理の食材っスよ」
わたしの独り言にトラ吉が素早く反応する。
「え?ここって歌舞伎町でしょ?そんな食材とか簡単に手に入るの?」
「歌舞伎町だってスーパーとか食材屋さんは普通にあるっスよ〜」
えっ、そうなの!?
わたしは歌舞伎町なんて普段滅多に来たことがなかったから、なんとなくそんなイメージが全くなかった。夜のお店とか、そんなのばっかりなんだと思っていた。
「良かったら明日にでも歌舞伎町を案内するっスよ!」
「う、うん、よろしく…」
トラ吉は再びスイッチが入りそうな気配がしていたので、何か話題を変えようと考えていたが、それよりも先にうさ子さんが彼を呼んだため、その心配は無駄に終わった。さすがうさ子さんもわかっているな。
★
「開店五分前っスよ!」
「準備は万端。間に合いましたね」
「そうね。アリスのおかげね」
「えっ、わ、わたしは何も…」
「そうだな。お前は特に何もしてね…ぐぉおぉっ!」
あらあらあら?堂戸の腹部が不自然にえぐられるようにへこんだわ。一体どうしたというのかしら?
「だ、大丈夫ですかぁ?」
「て、てめぇ…なかなかイイ拳持ってんじゃねぇか…さてはお前、女じゃねぇな…?」
「あぁ?なんじゃと?」
「ぐぉはあぁっ!!」
あらあらあらあらあらぁ?今度は堂戸の右頬が不自然に歪み、へこんだわぁ。一体全体どうしてしまったというのかしら?
「もしや新手のスタンド使いが…」
「おめぇだよ!!お・め・え・なんだよ!!」
「堂戸、静かにしなさい…落とすわよ?」
「お、俺だけじゃなっ…ぃ……す、すいません…」
うさ子さんの静かだけど強烈な威圧感を持つその言葉と視線が堂戸を完全に黙らせた。凄いプレッシャーだ。あれは誰も逆らえない…。
「それじゃアリス、よろしくね」
うさ子さんが言いながらわたしの頭を優しく撫でる。わたしのほうに向き直った途端に彼女から先ほどの威圧感が嘘のようになくった。まるで聖母のような笑顔だ。
「は、はい」
「みんなもよろしく」
「は〜い」
夕陽は完全に沈み、店内の照明が灯される。他のお店達や街灯も同じように照明が灯り、だんだんと世界は闇に沈んでいく。それ反するかのように、この街は急速に目を覚ましていく。
表の玄関に吊されていた「close」と書かれた札がひっくり返され、「open」の文字が表側へと向いた。
ダイニングカフェ&レストラン&バー「ワンダーランド」の開店である。