はじまりの昼-9
「じゃあまず着替えて欲しいのだけど…ちょっと待っててくれる?」
うさ子さんはベッドから立ち上がるとそのまま部屋を足早に出ていった。
彼女のその足取りがどこか楽しげに弾んでいたように見えたのは気のせいかな?
あ、結局バスタオル姿のままだったけど…ま、いいか。
五分も経たないうちに彼女は部屋に戻ってきた。
両手にそれぞれ違うデザインの服を抱えている。
彼女はその片方の服を差し出して「アリスはこれに着替えて」と、微笑みながら言った。わたしはうなずき、彼女から受け取ると、たたまれていたその薄い青の生地の服をゆっくりと開いた。
「きっとアリスにぴったりだと思うの。だってアリスだもの」
うさ子さんの熱い視線を浴びながらその服をまじまじと見つめてみる。
青い生地のワンピースに、白い生地にフリルのついたエプロン。
これは…見覚えがある。
「これって…『アリス』?」
わたしが疑問系な発音でつぶやくとうさ子さんが嬉しそうに目を細めてうなずく。
「そう、不思議の国の『アリス』よ」
それはわたしとは違う『アリス』という、有名な物語に出てくる女の子のことだ。
そう、世界中に存在する『アリス』の物語の中でももっとも有名で、もっとも辛く悲しい物語。
「『アリス』か…」
「…嫌、かしら?」
うさ子さんはわたしの表情を見てそう聞いてきた。
わたしは自分でも気付かぬ間にそういう嫌そうな表情をしていたのだろう。彼女の表情が先ほどまでとは一変して、とても悲しそうに眉根を歪ませわたしを見つめていた。
確かにわたしは『アリス』があまり好きではない。昔は、大好きだったはずなんだけど…今は『アリス』の中で一番嫌いなのかもしれない。でも、どうして嫌いなのか、その原因がなぜかはっきりと思い出せなかった。
少しだけ間を置いてわたしは口を開いた。
「…嫌じゃないです、だぶん…私でよかったらいくらでも着ますよ。あんまり似合わないかもしれないけど…」
嫌いではある。あるのだけど、わたしは断ろうとは思わなかった。そういう衣装を着ることはメイド喫茶でバイトしていたから慣れているし、なによりうさ子さんを悲しませたくはなかったから…。
「似合うに決まってるわ。だって…」
うさ子さんは再び嬉しそうに表情をほころばせた。
そしてわたしのすぐ目の前に立ったと思ったら、すかさず彼女の両手が伸びてきてその両腕がしっかりとわたしの身体を抱き包みこんだのだ。
「ふぇっ!?」
突然の感触に、わたしは思わず変な声を上げてしまった。
しかしうさ子さんは構わずわたしのからだをぎゅっと抱きしめる。
分厚い布団の上からでも彼女の感触が伝わってくるのがよくわかった。たぶんこの布団がなかったら、直接素肌で密着なんかしていたら、わたしは鼻血を出して卒倒しているだろう。ちょっぴり残念と思いつつも、ほっと安堵する。
しかし、そんなわたしに彼女はさらに追い討ちをかけてくる。
「わたしのアリス、ですもの…」
わたしを抱きしめたまま、耳元でそんなことを囁いたのだ!
「は、はぅっ…」
また変な声出ちゃった。
ぬ、濡れたかも…なんてバカなことを考えてしまった。
やばい、顔が熱い…心臓がマシンガンみたいに激しく鼓動を刻んでいる。
布団の上からとはいえ当然うさ子さんにも伝わっているわけで、そう考えると余計に体温は上昇し、心臓はハイドロポンプの如く超高圧に、しかも超連続で血液を噴射を繰り返してしまう。
こういうことを平然とうさ子さんはやってのける。そこにしびれるあこがれるどころか、もうわたしのハートは確実に彼女の虜になってしまっている…。
うさ子さん、本当におそろしい…。
「あ、あの、じゃあ早速着てみますね」
わたしは何とか声を絞り出し、彼女の身体から離れた。
名残惜しかった。内心、実に名残惜しかった。