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婚約破棄された気がするけれど、わたくしの聞き間違いかしら?

作者: 百亭早久良


「シャーロット・マンチェスター、私はお前との婚約を破棄するっ!」


 突如として響き渡ったロイド王太子の一声に、会場中の視線が集まった。

 光り輝く豪奢すぎるシャンデリアの下、様々な意匠を懲らした料理に、香り高いワイン。

 これ以上なく華々しい卒業記念パーティーの会場が、一瞬にして凍りつく。


 こ、これが噂の、婚約破棄!?

 今、(ちまた)で人気の小説は、婚約破棄から始まるものがとても多いの。

 でもまさか実際にこの目で見ることになるなんて……不謹慎ながらも、ちょっとドキドキしてしまうわ。


 わたくしはロイド王太子の次の言葉を待っていた。

 彼が人より秀でているのは見た目だけ、自己中心的だとか、被害妄想が激しいとか、聞こえてくる噂はすこぶる悪い。

 それでも一国の王太子、よほどの理由がなければ婚約破棄などしないはずよ。


 気になるのは、ロイド王太子の横にピッタリと寄りそう小柄な女性だった。

 ふわふわとしたピンクブロンドが美しい可憐な少女……見たことのない顔ね。

 もしかしたら下の学年の子かもしれないわ。

 ロイド王太子は聡明で美しい公爵令嬢、シャーロットさまとの婚約を破棄して、あの子と結婚するつもりなのかしら?


「シャーロット、お前は公爵令嬢という地位をかさに、この平民出の美しい娘、ソフィアを虐げ……」


「オーブリー・コールディン、私も家同士で決められた結婚よりも、自由恋愛を選びたい! よってお前との婚約を破棄するっ!」


 ロイド王太子の言葉に被さるように、別の声が会場内に響き渡る。

 今度はロイド王太子から少し離れたところに立つ、名前と顔くらいしか知らない伯爵令息だった。


 え……どういうこと?

 あの方も婚約破棄をしたの!?


「ちょ、待てプレストン! 私が先に婚約破棄をしているのだ、終わるまで待て!」


「ロイド王太子殿下、バッティングしてしまい申し訳ございません! しかし私も前々から婚約破棄のタイミングを見計らっており、もう気持ちを抑えるのも限界です! こちらはこちらで進めますので、殿下もどうぞそのままお続けください」


「お、おお、それならば仕方あるまい……では、気を取り直して」


 まさかの同時進行!

 予想外の展開に、わたくしも、そして会場中の人々も、どちらの婚約破棄に注目すればいいか迷ってキョロキョロする。

 しかし次に聞こえてきた声は、そのどちらでもなかった。


「ヴィオレット・セスティー、私もお前との婚約を破棄するっ!」


 なっ、さ、三人目!?

 いくら婚約破棄をする小説が大流行しているからって、そんな三組も一緒に……。

 と思った途端、さらに別の声が飛んだ。


「私もだ、クレア、私もお前との婚約をっ……!」

「イザベラ・ブルーム、ついでだから私もっ……!」


 次々とご令息達が声を張り上げていく。

 すべて婚約破棄の宣言だ。

 さすがに最初は沈黙していたギャラリーも、予想外の展開にどよめきだす。


「スカーレット!」

「エリザベス!」

「リリーネ!」


 ちょっと、婚約破棄がとどまるところを知らないわ!

 婚約破棄コンボが決まりまくりよ!

 この一晩でどれだけの数の婚約が破棄されるというの?


 こうなるともう誰もこの連鎖を止められない。

 どこで誰が宣言しているのかも分からず、会場中が婚約破棄宣言で埋め尽くされていく。


「ブレンダ!」

「シェスティア!」

「マリアンヌ!」

「……お前との婚約を、破棄するっ!」


 え……今、マリアンヌと言わなかった?

 マリアンヌはわたくしの名前ですわ!

 まさか、わたくしまで婚約破棄されてしまったというの!?


 わたくしの婚約者はトラヴィス・ジャスティード、子爵令嬢である私とはお家の格が釣り合わない同い年の侯爵令息だった。

 茶色い髪の地味な外見のわたくしと違い、光り輝くプラチナブロンドに淡いブルーの瞳、甘く整った端正なお顔立ち、もちろん内面も文句なしに素晴らしい殿方よ。

 先ほどお会いしたときは、いつもどおり優しく微笑んで挨拶してくださったというのに……そこから急転直下で、婚約破棄?


 トラヴィスさまの姿を探そうにも、婚約破棄が続出しすぎて言い合う二人や泣き崩れるご令嬢、突然の事態に駆け回る給仕係であふれ、会場内は阿鼻叫喚のパニック状態だ。


「トラヴィスさまはどこに? 先ほどの声、トラヴィスさまの声によく似ていたのだけど……」


 けれどもよく考えれば、普通はわたくしの目の前で婚約破棄をするんじゃなくって?

 わたくしが周りをキョロキョロしていたから、トラヴィスさまに気づかなかっただけなの?

 でも彼はそのあとどこに行ったというのよ。


 それに「マリアンヌ」は珍しい名前ではないし、同じ学年に同じ名前が三人もいるから、別人の可能性も……。


「ねえリリーネ、先ほどわたくしの名前が呼ばれた気がしたのだけど……」


 焦る気持ちで、すぐ隣にいた友人のリリーネに声をかける。

 けれども振り返った先にはリリーネはおらず、少し離れたところでしゃがみ込み、両手で顔を覆って背中を震わせていた。


「リリーネ!?」


「そ、そんな、婚約破棄だなんてっ……!」


 なんてこと!

 リリーネまで婚約破棄されてしまったの!?

 あ……そういえば、先ほどの婚約破棄コンボの中に「リリーネ」の名前があったような、なかったような……。


 わたくしは慌ててリリーネに駆け寄り、その華奢な背中に手を当てる。


「ああ、まさかリリーネが、そんな……でも聞き間違いの可能性はないかしら? わたくしも自分の名前が呼ばれたような気がしたのよ」


 もうっ、誰かしっかり聞いていた方はいらっしゃらないの!?

 すると少し離れたところにキャスター付きで移動可能なタイプの黒板が見えた。


「婚約破棄されたご令嬢一覧はこちらでーす!」


 黒板には最初にロイド王太子に婚約破棄宣言をされたシャーロットさまを筆頭に、いくつものお名前が列記されていた。

 そして今も次々と書き足されていく。


 まるでビンゴ大会の、出た数字を書き上げていくアレみたいね……。

 なんだか不謹慎な気がするけれど、フルネームで書かれているから助かったわ!


 ええと、わたくしの名前はまだ黒板に書かれていないわね。

 おかしいわ、「マリアンヌ」に聞き間違えそうな名前もないじゃない。

 ……あっ、リリーネの名前があったわ!

 じゃあリリーネは本当に……なんてこと、かわいそうなリリーネ……。


 ショックを受けるわたくしの目の前で、一人の女性の名前が消され、ささっと訂正される。


「君、シェスティーナ・インジェリーじゃない、シェスティア・インジェリーだ」


「あ、すまん、どうも数が多すぎて……」


 黒板を書いているご令息たちが、言い合いながら訂正したり書き足したりしている。


「……なんだか信憑性が揺らいできたわね」


「ううっ、マリアンヌ、私のは間違いではないわ。目の前ではっきり言われたもの……どうしてなの、私は何も悪いことをしていないのに!」


「ええ、そうよ、リリーネは何も悪くないわ!」


 リリーネは男爵令嬢でお家があまり裕福ではなく、学園でいじめられることもしばしば。

 わたくしがリリーネと出会ったのはちょうど二年前、そしてその時もリリーネはこうやって泣いていたわね……。


 わたくしはリリーネの背中をさすりながら、彼女と出会った時のことを思い出していた。


 ◇ ◇ ◇


 名家の子息令嬢ばかりが通う超名門校、王立ドミリアド学園。

 その中庭の片隅のベンチで、背を丸め顔を覆い、シクシクと泣いている女の子がいた。

 先生の手伝いでランチタイムに遅れてしまったわたくしは、急いで教室に戻ろうと中庭を横切っていて彼女に気づく。


「あら、どうかしたの?」


 あまりにも悲しげな様子に、つい声をかけた。

 近づいていき、その濃いブラウンのくせ毛を見て、彼女が同じクラスのリリーネという男爵令嬢だと分かる。


「ううっ……わ、私の大切な本を、誰かに水浸しにされてしまって……」


「なんてこと! わたくしも読書が大好きだから、本をダメにするだなんて許せないわ! どんな本なの? もう手に入らない貴重な物なのかしら?」


「いいえ、大ベストセラーの『追放された公爵令嬢は聖女の力に目覚めて隣国の王太子に溺愛される』という小説ですわ」


「ああ、今流行りのタイトルだけで内容が分かる小説の一つね」


 もちろん、わたくしも読了済みよ。

 いわゆる「ざまぁ」という展開で、とても読後感の良いお話だったわ。


「それならすぐに手に入るわ。思い入れがあった本かもしれないけど、仕方ないから新しいものを……」


「いいえ、わたくしの父はとても厳しくて、貧乏な男爵家だからせめて勉学にだけは励めと、小説はひと月に一冊しか買ってはいけない決まりなの」


「それは……随分と厳しいわね……」


 ひと月待ってやっと手に入れた本を汚されてしまったのなら、そりゃ泣くわよね……。


「それならその本はわたくしも持っているから、差し上げますわ」


「えっ、いただくなんて、そんな……!」


「いいのよ、別に。あなたにこんなことを言うのは気が引けるけれど、わたくしの家にはたくさんの本があふれているの。あっ、そうだわ、他の本もお貸しするわね! 家に持ち帰らずに休み時間に読めばいいじゃない?」


 そうしてわたくしは、読書に飢えるリリーネに本を貸すようになった。

 けれども学園の休み時間なんて短いものよ。

 放課後にいつまでも残っているわけにはいかないし……。

 それでわたくしは素晴らしい案を考えたの。


「ねえリリーネ、わたくしが小説を書いてみるのはどうかしら? ノートに書けばリリーネもお父さまにバレずに持ち帰ることができるでしょう? それに前から小説というものを書いてみたかったのよ」


「まあ! あなたが小説を……? 素晴らしいアイデアだわ! マリアンヌがどんなお話を書くのか今から楽しみよ」


 そうしてわたくしは小説を書くようになったの。

 処女作はとても拙いものだったけど、リリーネは喜んで読んでくれたわ。


 ◇ ◇ ◇


 リリーネのおかげでわたくしは創作の楽しみを知り、さらにはそれをきっかけにトラヴィスさまとも出会うことができて――。

 だからリリーネはわたくしの恩人のようなものだった。


「許せないわ! リリーネの婚約者は伯爵令息のラシャドさまでしたわね? どこに行ったのかしら。こんなにごった返していたら、みつか……あら、うっかりしていたわ!」


 リリーネも大事だけど、今は先にトラヴィスさまよ!

 わたくしたちの婚約はどうなったのかしら?

 結局、わたくしの名前は呼ばれたの? 呼ばれていないの?


 その時、わたくしの背後から女性陣の悲鳴が聞こえた。

 見ればバルコニーいっぱいに人垣が出来ている。

 その中に、今日トラヴィスさまが着ていらしたのと同じ、空色のジュストコールが見えたような気がした。


「トラヴィスさま!? リリーネ、一人にしてごめんなさい、ちょっと行ってくるわ!」


 しかし駆け寄ってみると、空色のジュストコールの殿方はどこにもいない。

 捜しながら人混みを抜けていくと、なんと一人のご令嬢がバルコニーの手すりを乗り越えているところだった。


「なっ、身投げ!?」


 涙で化粧がはがれ落ちてて一瞬だれだか分からなかったけれど、それは同じクラスのシェスティアだった。

 そういえば彼女も「婚約破棄されたご令嬢一覧」に載っていたわ……。


「早まってはいけない!」


「そうよ、身投げなんておやめになって!」


 人垣から制止の声が飛ぶ中、わたくしはシェスティアが俯いた瞬間を見逃さずに素早く駆け寄った。


「シェスティア、いったんこちらにいらしてお話しましょう!」


 シェスティアはわたくしに腕をつかまれ、ビックリした顔をする。

 彼女は手すりの向こうの小さなとっかかりにハイヒールのつま先を引っかけ、手すりにしがみついていた。


「ね、一回バルコニーの中に戻ってくださる? 身投げをするのはお話が終わってからでも遅くないわ!」


「マ、マリアンヌ……」


 シェスティアの顔に迷いが走ったのを見逃さず、わたくしは彼女の腕を引っ張り、半ば強引にバルコニーの柵を乗り越えさせた。


「はあっ、はあっ……だ、だめよ、衝動的に死ぬだなんて! そんなことをしても悲しむのはあなたのご家族やご友人で、あなたを婚約破棄した相手はむしろ喜ぶかもしれないのよ?」


 バルコニーに座り込んだシェスティアの横に膝をつき、その手をとって真摯に語りかける。


「でもっ、リカルドさまに捨てられたら、わたくしはもうっ……!」


 シェスティアの背をさすりながら、わたくしの中にリカルドさまとやらへの怒りが湧く。


「わたくしも前に身投げしようとしたことがあるの。でもあのとき死ななかったおかげで今があるのよ。だからあなたもいつか、今日死ななくて良かったと思える日が来るはず」


「えっ、マリアンヌも?」


 そう、あの日はわたくしの人生のどん底だったわ。

 そして……トラヴィスさまに出会えた、人生最良の日でもあるの。


 ◇ ◇ ◇


 最悪だわ……もう学園には二度と来れないし、来月に予定されているデビュタントも無理。

 社交界には憧れていたけど、もう誰の顔も見たくないの……。


 きっかけは二限目の休み時間だった。

 放課後にリリーネに小説ノートを渡すため、それまでにもう一度見直そうと思って。

 けれども鞄の中をいくら探してもノートが見つからない。

 だから昼休みに、リリーネに協力してもらって探していたら……。


「ああっ、どういうことなの!? 私には前世の記憶があるわ!」


 突然、教室の教壇の上でエスメラルダが声を上げた。

 まるで演劇のお芝居のように、片腕を胸に当てて大げさなポーズを取る。

 侯爵令嬢のエスメラルダはわたくしより身分も高ければ外見も派手で、クラスの中でも目立つ存在だった。


「え、急になに……?」


「しかもここは剣と魔法の世界よ! つまり私、アンジェリカは、異世界転生したってことなのね!?」


 演劇の練習かしら、と思ったのもつかの間。

 とてもなじみ深いその人名に、全身から血の気が引いた。


「そ、それはわたくしの……っ!」


 エスメラルダが口にしたのは、わたくしが絶賛執筆中の小説のワンシーンだった。


 どどど、どういうことなの!?

 どうしてエスメラルダが!?


 驚愕するわたくしを見て、エスメラルダが意地悪そうな笑みを浮かべた。


「ふふふっ、いつもリリーネとノートのやりとりをしているから交換日記かと思ったら、まさかマリアンヌが小説を書いていただなんて!」


「しかも今人気爆発中の異世界転生モノよ! 主人公は転生した先で時の皇帝と恋に落ちるのよね。夢がありすぎじゃない?」


「マリアンヌの願望なんじゃない? ラブシーンなんて恥ずかしくって最後まで読めなかったわ!」


 トゲのあるエスメラルダとその取り巻きたちの言葉に、わたくしの頭は羞恥なのか怒りなのか、わけの分からない感情で沸騰した。

 そして気がついたら教室を飛びだし、この別棟の空き教室で床にペタリと座り込んでいたのだった。


 どれだけそうしていたのか。

 わたくしは泣きすぎてヒリつく目元をハンカチでぬぐってから、そっとバルコニーに出る。

 時は放課後、わたくしも白いバルコニーも、夕まぐれの優しいオレンジの陽に染まっていた。


「ああもう! 自分の小説を朗読されるのが、あんなに恥ずかしいことだったなんて!」


 クラスの女子達に回し読みされて、馬鹿にされて……。

 思い出すだけで羞恥心が致死量よ!

 今すぐ穴を掘って潜り込んで、一生埋まっていたい気分だわ!


 それにわたくしの小説を読んだのは、エスメラルダとその取り巻きだけじゃないかもしれないわ。

 あのノートが他のクラスの子や、他の学年の生徒達の手にも渡ってしまっていたとしたら……。


 もう粒子レベルまでバラバラになってしまいたい気分になったわたくしは、フラフラとバルコニーを進み、手すりに身を乗り出した。


「君っ! あの、もしや、君がマリアンヌかい?」


「……え?」


 気遣わしげな男性の声が、わたくしの動きを止める。

 振り返ると、教室の入り口に隣のクラスの侯爵令息、トラヴィス・ジャスティードが立っていた。

 彼は身分の高さはさることながら、見目も麗しい上に性格も誠実で優しくて、素晴らしい殿方だともっぱらの噂だ。


「あなたは確か、トラヴィスさま……? わたくしに何のご用ですの?」


「あの、この小説はあなたの……」


「きゃあああっ!」


 彼の右手にわたくしの小説ノートを見つけ、全速力で彼に駆け寄って奪い取った。


「どどどど、どうしてこれをあなたが!? ま、まさか、中をご覧になられました?」


「ああ、とても素晴らしい小説だったよ」


「くっ……そうですのね! 読んでしまわれ……え? す、素晴らしい?」


「ああ、君のクラスにいる私の幼なじみから回ってきたんだよ。実は私は男のくせに、女性向けの恋愛小説が好きでね……それで君の小説を読み始めたら、あまりの面白さにページをめくる手がとまらなくなったよ! この続きはどうしたら読めるのかといても立ってもいられず、君を探していたというわけさ」


 彼の美しいセルリアンブルーの瞳が、優しい光をたたえてわたくしの顔を覗き込む。

 それで先ほどまで泣いていたことを思い出した。

 慌ててノートを胸に抱え込み、彼に背を向ける。


「でももうこの小説は……実はこの小説をクラスで回し読みされて馬鹿にされて、死んでしまいたいくらい恥ずかしくって……」


「そんな! きっとその人たちも君の小説を面白いと思ったに違いない。君をからかったのだとしたら、単なる嫉妬だ。その小説の素晴らしさは私が保証するよ」


「トラヴィスさま……」


「だからもう死んでしまいたいなどと言わずに、その続きを書いて私に読ませてくれないか? できることなら……この先も、ずっと」


「……は、はい、喜んで!」


 ◇ ◇ ◇


「というわけで、わたくしは身投げをせずに済んで、そしてトラヴィスさまという素晴らしい殿方と出会えたの」


「まあ、素敵……」


 シェスティアはわたくしの過去話にようやく涙が止まっていた。

 周囲の人垣も、静かにわたくしの話に聞き入っている。


「だからあなたも人生を諦めたらダメよ。もっとあなたにふさわしい殿方がどこかにいるはずだわ」


「ええ、そうね……もしかしたら今度こそマリアンヌのように、素晴らしい婚約者がみつかるかもしれませんものね」


「そうよ、わたくしのトラヴィスさまは……あっ、そういえば、わたくしも婚約破棄されたかもしれないのよ!」


「ええっ?」


 反射的に立ち上がったとき、背後から馴染み深い声がわたくしを呼んだ。


「マリアンヌ!」


「トラヴィスさま!?」


 集まっていた人垣が割れてそこに立っていたのは、捜し求めていた麗しのトラヴィスさまだった。

 走り回りでもしたのか、綺麗になでつけられていた前髪がはらりと額に落ちている。


「捜したよ! ちょっと目を離した隙に見失ってしまって……」


 ツカツカと歩み寄ってきたトラヴィスさまは、安堵したように息を吐いてわたくしの手を取る。


「あ、あの、わたくし……トラヴィスさまに婚約破棄をされてしまったの?」


「え? なっ、そんなことをするわけないじゃないか!」


「そ、そうですわね! ……ああああっ、良かったわ~!」


 わたくしは安堵のあまりフラッと立ちくらみを起こしたけれど、すかさずトラヴィスさまが抱き留めてくれた。

 その逞しい胸元に頬を寄せると、唇が勝手に震えだして視界がぐにゃりと歪む。


「だ、だって、あの婚約破棄コンボの中で、トラヴィスさまに名前を呼ばれたような気がして……」


「コンボ? あっ、確かに私は君の名を呼んだよ。君の親友のリリーネが婚約破棄されたのが聞こえたから、心配になって」


 えっ、それじゃ、やっぱりあの声はトラヴィスさまだったの!?

 でも、わたくしの名前を呼んだだけ?

 ……ああっ、だから「婚約破棄されたご令嬢一覧」に載らなかったのね!


「どうした、何があったのだ? 先ほどから集まって」


 突然の憮然としたその声に、慌ててトラヴィスさまから身体を離せば、不機嫌そうなロイド王太子がバルコニーに出てきたところだった。

 左腕には相変わらずあのピンクブロンドの女の子をひっつけている。


 どうやら衆目のある場で派手に婚約破棄をしようとしたものの、便乗犯により大量の婚約破棄コンボが決まってしまい、さらにはギャラリーたちがバルコニーに出てしまったので面白くない、といったご様子だ。


「ロイド王太子殿下、たった今、こちらで自殺未遂があったのですよ」


 トラヴィスさまが厳しい表情でそう口にする。


「自殺未遂……? ははぁ、婚約破棄されたどこぞの娘が世を儚んだというわけか」


 その言い方にわたくしだけでなく、まだ座り込んだままのシェスティアや人垣の皆さんの不快度指数が一気に上がる。


「そんな言い方はおやめください。この騒ぎの責任は殿下にあります。その自覚はおありですか?」


「なぜだ? 私は罪深き婚約者を断罪したのみ。そのほかの婚約破棄はそれぞれの者たちが勝手に……」


「いいえ、私の幼なじみも婚約破棄されたので理由を聞いたところ、殿下に自由恋愛を勧められたからだと白状したのです。さらに他にも何人か問いただしたところ、皆が同じ答えでした」


 自由恋愛?

 そういえば最初の方に婚約破棄を宣言した男性が、そんなことをおっしゃっていたような?

 たしかにわたくしたちは平民のように自由に恋愛して好きな人と結ばれる、というわけにはいきませんわ。

 ……まあ、わたくしの場合は幸運にも恋愛から始まったのですけど。

 たまたまお互いの父親が推理小説好きで仲が良かったから、その縁もあって婚約が決まったのよね。


「別に自由恋愛を夢見て婚約破棄するなとまでは言いません。しかし卒業記念パーティーという記念すべき場で行うことでしょうか? これでは婚約破棄が続出しすぎてパーティーが台無しですし、お相手のご令嬢にも失礼です」


 トラヴィスさまは毅然とした態度でロイド王太子を責め立てる。

 最初こそ尊大な態度だったロイド王太子も、トラヴィスさまの堂々とした物言いと、そしてギャラリーの冷たい視線にマズいことをしてしまったかも、と気づいたご様子だ。


「いや、しかし私はなにも今夜、皆で婚約破棄しようと示し合わせたわけではなく、他の者たちが勝手に……」


「そもそもシャーロットさまがされたとされる、その女性への嫌がらせは真実なのですか?」


「も、もちろんだ! 証人もちゃんといるぞ」


「これだけ事が大きくなった以上、ただちに国王陛下の耳にも入りましょう。そして婚約破棄は個人ではなく家同士の問題でもありますから、その証人とやらにも念入りに聴取が入るだろうことをお忘れなく」


 その一言に、ロイド王太子の顔がサッと引きつり、その腕にひっついていた女の子の顔も青ざめた。


 ◇ ◇ ◇


 ロイド王太子が伝統ある王立ドミリアド学園の卒業記念パーティーで、友人達を先導して大量の婚約破棄を発生させた一件は「ドミリアド学園卒業記念パーティー連続婚約破棄事件」と呼ばれ大きな問題となった。


 さらにロイド王太子がシャーロット侯爵令嬢に対してありもしない罪をでっち上げ、婚約破棄の理由としていたことも判明した。

 それらの事態を重く見た国王陛下は、ロイド王太子を廃嫡することで事態の収拾を図ったのだった。


「あの日、婚約破棄を宣言した者のうち、何人かは宣言を撤回したらしいよ。集団心理というやつだったんだろう。それにリリーネや私の幼なじみも新しい婚約者が決まったし、これでようやく一件落着だね」


 紅茶のカップを手に取ったトラヴィスさまは、その端正な口元にかすかに笑みを浮かべてそう言った。


「ええ、わたくしが身投げを止めたシェスティアも、婚約破棄を撤回されたそうなの。それにリリーネの新しい婚約者はとても誠実な方らしいし……だから彼女のために始めた小説ノートは学園の卒業とともに終わりかしら。彼女が結婚すれば『小説は月一冊まで』という家訓はなくなるもの」


「ああ、その件だが……君の小説は素晴らしい。常々リリーネと私だけで楽しむのはもったいないと思っていたんだ。それで、どうだろう? この際、書籍化を目指すというのは」


「えっ? わ、わたくしの小説を、書籍化?」


「君さえ良ければ、まずは出版社と交渉するところから始めてみようと思う」


「まあ……」


 まさかトラヴィスさまが、そんなことを考えていただなんて!

 驚きとともに、胸に静かに感動が広がる。

 そうね、わたくしが小説を書かなければトラヴィスさまとも出会えなかったし、せっかくなら形に残したいわ……。


 そうして数ヶ月後。

 わたくしたちがめでたく婚姻を結んだ頃、わたくしのデビュー作が書店に並んだ。

 タイトルは『転生令嬢は愛されスキルで皇帝陛下と無双する』よ。

 異世界転生した少女が一見役立たずだけれどとても貴重なスキルを手に入れて、皇帝陛下に出会い、溺愛され……さらには魔王と戦って世界を救うという壮大な物語なの。


 この本が売れに売れ、わたくしは売れっ子作家になっていくのだけど――。

 もちろん、この本には婚約破棄のシーンは入っていないし、この先もそんなシーンは書かないつもりよ。

 だってわたくしもトラヴィスさまも、婚約破棄はもう、お腹いっぱいなんですもの。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

今回はちょっとふざけた話になりましたが……去り際にブクマや評価(↓の方にある☆)をつけていただけると大変励みになります!

では、また次回作でお会いできることを願って。

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[良い点] 最初の方の「バッティングしてしまい申し訳ございません!」で笑いのツボを激押しされました。 婚約破棄ってバッティングするものなんだ……。 そこからもう、ツボがそこかしこに。 「婚約破棄コン…
[良い点] 冒頭の連続婚約破棄ラッシュには思わず笑ってしまいました!
[良い点] マリアンヌが婚約破棄されてなくて良かったです(*≧ω≦) 学園の名前と、婚約破棄コンボで気付きました。 もしや、婚約破棄コンボがドミノ倒しになると掛けたのでは?( ☆∀☆) [気になる点]…
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