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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【短編】dark molasses

作者: 嗣藤結子

1/13 23:45頃 抜けていた文章を追加しました。

 

 カランコロン、カランコロン


「いらっしゃいませ」


 仕事柄めったに取れないが、イレギュラーでできた休日。僕、嘉手米(かでめ)(あらた)は、行きつけの店へ足を運んでいた。


 東京郊外にある純喫茶、『mediation(メディエーション)』

 一見お洒落なカフェのようだが、ところどころにアンティーク家具が置いてあり、落ち着いた雰囲気をしている。

 立地が悪いせいか人は少なく、けれど常連さんが多い。

 バイトは雇っておらず、四十代前半の優男であるマスターが一人で店を回していた。


「いつもの席、空いてますよ」


 僕はマスターに目礼して、穏やかな店内をスタスタと迷わず突っ切る。

 右側に並ぶテーブル席を素通りし、左側にあるカウンターの、入り口から一番遠い席に座った。

 立てかけのメニューをひらく間もなく、マスターに顔を向けて、一言。


「コーヒー、ブラックで」



 コポコポと湯が沸く音が耳に優しく響く。

 サイフォンの中で上へ上へとのぼった透明な湯が、黒いコーヒーへと変化し、落ちてゆく。

 僕は広がる香りを思い、鼻をヒクつかせた。すると、想像したのとは違う、香ばしいほうじ茶の匂いがする。

 コトリ、と湯のみが置かれる音がした。

 ふと目を向けると、隣に爺さんが座っている。おじさんからお爺さんに差し掛かる頃の年代に見え、後ろに撫でつけた髪は、ところどころに白髪が混じっていた。

 マスターと仲のいい常連さんのようで、見かけるといつもこの席に座っている。


「今日はブラックなんだな」


 おや、視線に気づかれてしまったようだ。


「なぜそのように?」

「お前さん、いつもはカフェオレだろう」

「たまには飲みたくなるんですよ」


 これが彼、東条(とうじょう)狂兵衛(きょうべい)との初めての会話だった。


 厳かな雰囲気を持つ老紳士、それが彼への第一印象。

 けれどこの店で目にするうちに、意外と茶目っ気があり、柔らかな人である事を知った。

 まるでそっと置いてあるアンティークの様に、この店に馴染んでいる。

 そんな彼が、十年来の親友に出会ったかのような口調で言った。


「兄ちゃん、なんでいつもその席に座るんだい」

「一番端だから落ち着くんですよ」

「そうかい」

「そういう貴方こそ、なぜいつもその席なんです?」


 ソファーが置いてある所もあるのに、わざわざここに座るなんて。

 カウンター席は足腰につらいだろうに。


「昔っから俺の定位置はここなんだよ」

「昔って、そんなにこの店、古いんですか?」

「私の代でリノベーションしましたから、新しく見えるんですよ。まあ、席の配置は変えてませんけどね」


 そう言って、マスターが僕にコーヒーを持ってきた。


「はい、ブラックコーヒー。ホットで良かった?」

「ありがとうございます」


 淹れたてのコーヒーは熱そうで、少し置いておくことにした。カップから伝わる熱で、凍えた手を暖める。

 この木製のカウンターのように、丁度良く感じる温もりになるまで。


「そういえば、このカウンターと席だけ特に年代を感じますね。」

「お気に入りなんですよ。あと、常連さんからの要望もあって、これはそのままにしているんです」


 マスターが、東条さんに流し目を向ける。


「おいおい、俺のせいにするんじゃないよ」

「メンテナンス、意外と大変なんですよ」


 その声は、言葉の内容と違って優しかった。

 二人が軽く言い合いながら、楽しげに語らっている。

 あぁ、愛されているんだな。自然と頬に笑みが浮かぶ。

 僕がこの店『mediation』を好きな理由の一つが、このじんわりと沁みる温かさだった。



 そろそろいいかな、と思ったところで、僕はコーヒーを手に取った。

 恐る恐る、口をつける。


「苦っっ!」

「ハッハッハ! 飲めないものを頼んだのかい」

「たまには良いじゃないですか」

「珍しいですよね。嘉手米さんがブラックだなんて」


 つい、と手元に視線を落とす。

 だってこのブラックコーヒーは、僕のものではないのだから。


「…お前さん、いつもと様子が違うじゃないか」

「そんなに分かりやすいですか」

「おうよ。どうだい、この老いぼれで良ければ話を聞くよ」

「…ありがとうございます」


 マスターが静かに、厨房へ下がって行った。


「実は、つい先日お世話になった先輩が事件に巻き込まれて亡くなって」


 そう。今日休日だったのは、先輩を失って憔悴していた僕に上司から休暇が与えられたからだった。


「『dark(ダーク) molasses(モラシス)』っていう覚せい剤を知っていますか」

「あぁ。最近のニュースで聞いた事がある」

「先輩は、その薬に関係する事件に巻き込まれたみたいで」


 僕の先輩刑事である(みなと)さんは、最近東京で流れだした『dark molasses』を追っていた。

 若者の間で流行っており、その名の様に蜜のように甘く、中毒性が高い。

 また、そのドラッグを服用すると、稀に超人的な身体能力を発揮することができるという噂がある。本当かどうか定かではないが、先輩によると、どこかの組の人間がその力を発現した若者を取り込み、鉄砲玉にでもしようとしているのではと考えていた。

 湊さんは、「あと少しで尻尾が掴める」と言っていたが、道半ばで死んでしまったのだ。


「先輩は、とてもいい人でした。いつも笑顔で、優しくて、とても穏やかで。でも仕事には人一倍努力する熱血漢で、ドジやらかす僕にも根気強く丁寧に指導してくれた人なんです」

「そうかい。それは辛かったね」

「はい。湊さんは、僕のあこがれの人です」


 目頭が熱くなる。

 葬儀場で散々涙を流したくせに、また人前で泣きそうになるなんて。


「そんな先輩がいつも飲んでいたブラックコーヒーを、私も飲みたくなって」

「そうか。…それで、そのコーヒーの味はどうだったかね」

「大人の味が、しました。私にはまだまだです。早く飲めるようになりたいですね」


 湊さんやマスター、そして東条さんのように、かっこいい大人の背はまだ遠い。



「おまたせしました」

「ありがとさん」


 東条さんの前に、ピンクと赤のマリアージュが可愛らしいイチゴパフェが運ばれてくる。毎度思うが、彼とパフェとの組み合わせは、何処かちぐはぐなようでしっくりくるから不思議だ。


「東条さん、相変わらず甘いものがお好きですよね」

「ここの甘味はうまいんだよ」


 待ちきれないといった様子で、爺さんはスプーンでてっぺんのイチゴをすくった。

 この外面はいかにも厳格な爺さんが美味しそうにスイーツを頬張る姿は、どうしてか笑いがこみ上げると同時に元気が出てくる。


「犯人、捕まるといいですね」


 いつの間にか僕の前にも、小さな小皿に乗ったミルクチョコが置かれていた。マスターを仰ぎ見ると、ウインクを返される。本当に気の利く人だ。


「警察の捜査が進んでいることを祈るしか無かろうて」

「でも、ニュースでは捜査中って言って犯人の目星もついてなさそうでしたよね」


 カップを握る手に力が入る。


「ええ。暴力団関係者じゃないかとしか聞いてないですね」


 そうだ、犯人はまだ捕まっていない。こうしている間にもドラッグはこの国を侵食していく。

 湊さんが命懸けで追っていた事件だ。彼の話を一番聞いていたのは、バディを組んでいた僕のはず。

 いくら頼りない後輩とはいえ、こんな状態の僕を見たら、彼になんてドヤされるだろう。


 僕はブラックコーヒーを一気飲みし、ミルクチョコレートを口に入れる。口の中に広がっていた強烈な苦みが、チョコの甘味で中和され、美味しさに変えてくれる。


「ごちそうさまでした。東条さんも、話を聞いて下さりありがとうございました。おかげで前を向けます」


 勢いよく立ち上がり、スタスタと歩いてドアへ向かう。


「おう、俺はほとんど何もしちゃいないがな」

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」


 背後から届く二人の声が、僕に送られたエールのようだ。

 カランコロン、と鈴が鳴る。透き通った空気をめいっぱい吸い込み、一歩前へ。

 先輩の無念を、僕が晴らすんだ。




 ◇




 嘉手米 新が去った店内には、二人の男が残っていた。


「先ほどの話って」

「ウチの組で始末した奴だな」

「酷い人だ。あんな若い子を悲しませて」

「周りをうろちょろしてたからよ、邪魔で仕方なかった」

「怖い人だ。そんなことを腹に隠して、彼にはいい人面するんですから」

「お前も大概だろ」

「私はその事件とは関係ありませんから」


 彼、鶯條(おうじょう)会幹部、東条 狂兵衛は、ニヤリと口角を上げた。


「残念だったな。そのサツを()ったウチの組員の代わりを紹介してくれ」

「いつものルートで?」

「ああ、頼んだ。それとクリームあんみつも」

「はいはい。黒蜜たっぷりですね」


 マスターと呼ばれる優男は、あんみつの在庫を計算しながら、厨房を通り抜ける。

 奥の部屋に積んである、真っ黒な袋に入った錠剤(ドラッグ)を手に、表の店内へ戻るのだった。

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