夏の夜の夢 ~グリーンアイズドール~
プロローグ
東京に行ったら、何かが劇的に変わると思ってた。だって、テレビや雑誌で見る東京はキラキラして、オシャレで素敵だ。こんな田舎と全然違う。だから、俺もそこへ行ったら変われると漠然と思ってた。
でもさ、現実は甘くねーのな。キラキラした東京なんて作り物だった。銀座とか表参道とかは確かに綺麗だけど、後は田舎と変わらない。いや、むしろ人口が多い分、ちょっと寂れた裏通りの汚さはこっちの方が上かもしんない。こないだ猫位の大きさのドブネズミ見てゾッとした。ま、俺もあのドブネズミみたいなモンかもしれないけどさ。
「は~ぁぁ…。」
デカい溜め息がでた。今日も疲れた。二十三時に上がったコンビニバイトの帰り。今日もめんどくさい客が多かった。特にヤニカス。番号で言って下さい、って言ってるのに頑なに銘柄を言ってくる奴何なの?誰もがタバコ吸ってると思うな。知るかよ!あー、ムカつく。俺は足元に転がってきた空き缶を蹴飛ばす。蹴飛ばした拍子に中に残ってたコーヒーがズボンに跳ねた。マジ最悪。ついてねーの。ポケットに入ってたよれよれのティッシュで拭いて、そのまま捨てたら、風が吹いた。捨てたティッシュがふわんと広がって、風に乗る。魔法の絨毯みたいだな、と思って目で追ったら奥の裏道に飛んで行ったから、気になって後を追ってみた。
チカチカと点滅する街灯。もうすぐ切れるのか、ジジッと音がする。その灯りにうっすら照らされる暗がりに、彼女は姿勢よく立っていた。
「ちょっとぉ、ゴミ捨てないでよね!」
そう言った彼女の瞳は光合成出来そうな綺麗な緑で、俺は思わず息を呑む。猫の目を思い出した。
「なによ?」
勝気な瞳で問いかける彼女は流行りの格好をしていた。いつも黒づくめの適当な格好をしている俺とは大違いだ。
「あ、すみません…。」
俺は慌てて、捨てたティッシュを拾ってポケットにねじ込んだ。
「わぁ、素直。」
面白そうに彼女は言う。俺は周囲を見回す。寂れた裏通り。以前は流行っていたのだろうか、ガラスのショーウィンドウが立ち並ぶ。ブティックなんとか、と書かれた看板が雨にうたれて読めなくなっていた。
俺の視線に気付いた彼女が言う。
「ここ、十年位前まではそれなりに賑わってたんだよ。でも、もうぜ~んぜん駄目。こんな裏通りの店に来る人なんかいない。フキョーってやだねぇ…。ここも、もうじき潰して新しくおっきなファッションビルになるみたいだよ?」
「そうなの?」
「うん…。」
そう言って、彼女はずっと先を指差す。
「あそこ。建設中の大きなスタジアムあるでしょ?あそこに合わせて再開発するみたい。」
「へぇ…」
知らなかった。朝遅く起きてソシャゲのログボもらってからバイト先のコンビニ行って、昼飯食って仮眠して、そっからこの時間までバイトで一日終わるから、ニュースなんか見ない。世の中の動きなんか他人事だった。世界はいつだって、俺とは関係なしに動いてる。
「へぇ、って…。君、この辺の人じゃないの?」
「近くでバイトしてるだけ。家はもっと遠い。」
「そうなんだ。」
そうなんだよ。住んでる所は家賃は安いけど、バイト代が安い。だったら、電車に乗って川を越えた都内でバイトした方がいいと思って…。あれ?だけど、なんかおかしいな。俺、コンビニでバイトする為にわざわざ東京に出て来たんだっけ?
ちょっともやっとしたら、唐突に彼女が歌い出した。綺麗で良く通る声。だけど、知らない曲だ。
「その曲、何?」
「ふふ~、私も良く知らない、だけど、歌詞が好き。君が部屋にいた時、僕は三日月を見てた、ってなんか好きなんだ。」
あぁ…。なんだろう。それを聞いた時、俺、自分が持っていた夢を思い出したんだ。
Ⅰ
『二十歳になった時の貴方は?~将来の夢を書きましょう~』
小学校の卒業文集のワンコーナーのお題だった。親が医者の奴は当たり前のようにお医者さん、ピアノが上手い奴はピアニスト、可愛い女子はアイドルって書いてた気がする。俺もサッカー選手って書いた。
けど、現実は甘くない。小学校で遊びでやってたサッカーと部活で本気でやるサッカーは全然違う。ボールに触る前に先ずはグラウンド三十周の時点で、俺には無理だ。先輩もうるさいし、俺は早々に部活を辞めた。
そんな訳で帰宅部になった俺は、暇を持て余していた。押し入れで親父が昔買って放置していたアコースティックギターを見付けたので、適当にかき鳴らしてた。ケースに一緒に入ってた教本を見て弾くけど、なんか違う…。
そんな時には動画サイトを見る。教本だけよりずっと分かりやすい。見ながら弾いてるうちにそこそこサマになってきた。流行りの曲を耳コピして弾いてみた。うん、いい感じ。
小学校の時は足が速い奴がモテたけど、中学は違う。ちょっと音楽を齧ってる、って言った方が断然女子受けがいい。音楽室に置いてあるギターをちょっと先生に断ってから弾けば、あっと言う間に女子に囲まれる。バレンタインにはチョコだって貰える。そこで俺は思ったんだ。
そうだ、ミュージシャンになろう。
なんだか、CMで良く耳にするキャッチコピーみたいだけど、それが俺の夢だったハズ。
高校時代に軽音楽部でバンドを組んだ。学祭でそれなりに盛り上がったから、メンバー全員でバイトして資金を貯めてライブハウスでもやってみた。他のバンドとも一緒だったけど、俺らのバンドだって受けは良かった。盛り上がった。ステージ上の自分がすごいミュージシャンになった気がして、それから二ヶ月に一回はライブした。このまま順調にいって、スカウトなんかされちゃったりして、デビューしちゃうかも?な~んて思った事もあったけど、世の中そんなに甘くなかった。有名バンドの「ライブハウスのライブ終了後に、事務所の人から名刺貰って…」なんてサクセスストーリーは極々一部の話で、俺には縁の無い話だった。
そんでもって、高三の夏休み前に俺のバンドは解散した。
「受験あるから、バンド活動はもうおしまい。」
「そうそう。音楽で飯食えるワケねーし。今時はやっぱ、大学位いっておかねーと。」
「タクもいい加減進路決めないとヤバいっしょ!」
いつかこのバンドでメジャーデビューなんて思っていたのは俺だけで、メンバーは現実を生きていた。それまで持ってた楽器をシャーペンに持ち替えて、ライブハウスの代わりに予備校に通い出したメンバーを見て俺は面白くなかった。だから進路調査票はずっと白紙で出した。担任は困った顔をして「大学に行かないなら、せめて専門学校に行くか?」と壊れたラジオのように繰り返す。何度も進路指導室に呼ばれたけど、結局進路なんて決められないまま、同級生の大半が大学へと進む中、俺は宙ぶらりんのまま卒業した。
しばらくしてからバイトを始めた。親に「大学にも行かないでゴロゴロしてるなら、せめて稼いで金を入れろ」って言われたから。でも、一か月真面目に働いた十万ちょっとの大半を、家賃だ食費だって取られる事がだんだん馬鹿らしくなった。だって、俺が稼いだ金じゃん?その金で親父はビールを買って飲むし、おかんは寿司を食う。じゃぁ俺は?
だから、二十歳になった時に家出したんだ。探さないで欲しかったから「東京でビッグになる」って書置きして家を出た。若かったと言うより、馬鹿かった。
Ⅱ
憧れの東京はゴミゴミしてた。テレビで見てたのとはかなり違ったが、まぁこんなもんかと思った。修学旅行で行った札幌の時計台の小ささに比べれば、大したことない。
最初の頃は安い漫喫で生活してた。シャワーもあるし、飯も食える。ちょっとした寮みたいなもんだった。そこで仲良くなったおじさんに頼んで、親のフリして書類を書いてもらって安いアパートを借りた。漫喫は楽だったけど、常に他人を感じて落ち着かない。一人になれる場所が欲しかったんだ。それから、コンビニのバイトを見付けた。慢性人不足みたいだったから、碌に履歴書も見ずにオーナーが雇ってくれた。オーナーはいつも寝不足なのか、青白い顔をしている。適当な人だから、廃棄の弁当は全部くれる。おかげで食費は大分助かってる。だけど、たまに不安になるんだ。弁当に貼られたシールにずらりと並ぶ添加物名。俺、こんなんずっと食ってたら、ビョーキになって死ぬのかな??でもいいや。そんなの考えるの面倒。どうせ人間なんていつか死ぬんだし。毎日、適当にネットで時間を潰して、廃棄弁当食って、狭いコンビニの店内で一日の大半が終わる。ムカつく客には心の中で「くたばれ!」って思うし、美人さんは目の保養。また来たらいいな、なんて思ってると次は大体イケメンと来店してきて、あぁ、やっぱり顔のいい者同士がくっつくんだな、って世の中の真理を見た気になる。世の中、持ってる奴は何でも持ってる。俺みたいな持ってない奴は何一つ持ってない。そんな風に徐々にすり減っていく毎日で、かつての自分が何をやりたくて東京に出て来たのかをすっかり忘れてた。
そう、俺はミュージシャンになるのが夢だったんだっけ…。
昔は、夜に月を見ながら詩を書くのが好きだった。それを思い出して、家出してきた時のリュックに入れたままだったノートを引っ張り出してみた。色褪せた表紙のリングノートに並ぶ青い歌詞。今見ると、恥ずかし過ぎて黒歴史。だけど、書いてた頃は心酔してた。現実を知らないからこそ書けた気がするラブ&ピース。リアルに負けてる今の俺には口にするのもおこがましい。過去の自分に嫉妬した。今の俺に、この歌詞は絶対書けない…。それに気づいて悔しかった。
そして、悔しさと同時に物凄い焦燥感にかられた。テレビやネットで良く耳にする音楽を作っている奴らは俺よりずっと若くして成功している。じゃあ、俺は??
そう思ったらいてもたってもいられなくなって、ずっと埃を被ったままだったケースからギターを取り出した。試しにコードを押さえてみたら、バチンと音がして弦が切れた。ずっと手入れもしてなかったから仕方ないか…。
たった一回コードを押さえただけなのに、隣の部屋からドスン!と壁を叩かれた。まぁ、夜中の一時だし、仕方ないか…。このアパート壁薄いしな…。大きな溜め息。
とりあえず、今日はもう寝る事にした。
翌日、珍しく七時に目を覚ました俺は顔を洗い、綺麗めな服に着替えた。いつもヨレヨレな服を着てるので、それだけでシャンとした人間になった気がした。それから、九時になるのを待って楽器屋に行った。店員さんに頼んで、ギターの試し弾きをさせてもらう。
「お客さん、手慣れてますね。昔、やってたクチですか?」
「えぇ…。昔はバンドを少々…」
なんて話をしながら、いつも家を出る時間まで触らせてもらった。沢山試させてもらったので、お詫びの気持ちに弦だけ買った。ポケットに入れたそれをいじりながら電車に乗った。なんだろう、ただそれだけなのに、いつもの光景が違って見えた。電車内の奴等は皆、一様に手にしたスマホを覗き込んでいる。一種、異様な光景だ。そんな中、俺だけが弦を手に覚醒している様に感じた。
その日は、バイトの時間も早く過ぎた。
「…っした!」
俺はいつも通りの二十三時にシフトを上がると、昨日の裏道へと行ってみた。
そこに、彼女はいた。
「こんばんは。また会ったね。」
「こんばんは。」
ミニスカートから伸びたすらりと長い足をクロスして彼女は言う。
「昨日、君に会って俺は自分の夢を思い出したんだ。」
「夢?」
「そう。俺、ミュージシャンになるのが夢だった。君は?」
「………。」
こっちを見て黙った彼女を見て、昨日会ったばかりの良く知らない男にそんな踏み込んだ事を聞かれるのはアレか…と後悔した。恋人ももう長い事いないし、碌に他人と会話をしていないせいで、会話の糸口をしくじった…。
「わかんない…。」
やや遅れて彼女の声がした。
「夢って、寝ている時に見るものでしょう?私、眠らないし…。」
あぁ、若い時によくある「私寝てない」自慢かな、と思って聞き流した。
「寝てる時の夢じゃなくて、なりたい夢の方。」
「……。でも、英語だと両方「I have a dream」でしょ?どっちの夢が本当なの?」
「え?」
寝ている時に見る夢と起きてる時にみる夢は違う物だと思うけど、そう言われると分からなくなる。
「どっちが本当とかいう事じゃなくて…。」
なんだか、自分でもよく分からなくなってきた。
「あ~、でも…。君なら、スタイルもいいし、顔も綺麗だし、モデルさんとかになれるんじゃないかな?」
「モデル?」
「そう。最新の服を着て、ランウェイを颯爽と歩くのとか、似合ってると思うよ。」
彼女はびっくりしたように目を見開いた。それから、にっこり笑って言った。
「ありがと。モデルじゃないけど、似たような事してるよ。」
「そ、そうだよね…。」
彼女の笑顔にどぎまぎしながら俺は言った。そうだよな、こんなに綺麗な子だもん。そういうしゃれた仕事してるよな…。俺とは、昨日偶然ここで出会って会話をしてるだけだしな…。
「あ、じゃ、じゃあね!もう夜遅いから変な奴には気を付けて!」
なんだかいたたまれない気持ちになった俺は早口でそう言って、彼女に背を向けた。
「あ、ねぇ!」
背後から彼女の声がした。
「明日も来る?」
「うん、仕事終わりに。」
そう答えたら、彼女が笑って手を振った。
「バイバイ!またね!」
「あ…また…。」
上手く口が回らなかった。誰かに「またね」って言ってもらったのって、いつ以来?
帰りの電車で、暗い車窓に映る自分を眺めてた。昔は「イケてる」と言われた事もある雰囲気イケメンだが、今は髪がボサボサでダサい。目も死んでる。こんなんじゃ、駄目だ!俺は一念発起した。手元にあるスマホでカットサロンを探す。明日の朝一番でカット出来る所を探した。最寄り駅の反対側に一軒見付けて、そこを予約した。
Ⅲ
久しぶりにサロンで髪を切ってもらった。耳に響く迷いのない鋏の音は気持ちいいし、誰かにしてもらう頭皮マッサージは眠たくなる位の心地よさだ。シャンプーとドライヤーを終えて「はい。こんなんでどうですかね?」と鏡を見せられる。うん、悪くない。
「ありがとう。スッキリしました。」
「どういたしまして。では、今日はこれで…」
会計を済ませて、外に出る。夏の日差しが眩しい…。俺は思わず目を瞑る。皮膚で感じる太陽の温度。あぁ、忘れていたな、この感覚。高校の頃は、こうやってあらゆる事を肌で感じていたっけ…。なんだか、細胞が活性化された気がした。長い眠りから覚めた感じ。
駅に向かって歩きながら、ショーウインドーに映る自分を見る。昨日の俺より、ずっとイケてる。猫背になってる背筋をピンと伸ばして颯爽と手を振って歩いた。不思議と世界が輝いて見えた。
「五百五十円になります。」
「電子マネーで。」
「ハイ。」
いつもならそこで終わる会話が「髪、切ったんですね。似合ってますよ」と続いた。
「あ、ありがとうございます…。」
商品を買ってもらった時の決まり文句に自分の気持ちも乗せて言う、変わらない言葉なのに、変わった気持ちになる。今日はそんな一日だった。オーナーにも言われた。
「今日の岩瀬君は、輝いてるねぇ。髪を切ると気分が上がるんだねぇ…。僕も…切りに行こうかな…。あ、でも、そんな時間無いか…。」
ブツブツ言うオーナーを尻目に見ながら俺は上がる。今日、これから俺は彼女に会うんだ!そう思うと足取りが軽くなる。一昨日は偶然だった。昨日はたまたまだった。だけど、今日は違う。約束してるんだ。それが嬉しかった。
「こんばんは。今日は暑いね。」
そう言ったら、開口一番「髪、切ったんだね!似合ってるよ」って返された。今日沢山言われた言葉だけど、一番嬉しい気持ちになった。
「あ、ありがと…。」
いつもの千円カットに比べると馬鹿にならない金額だったが、それだけの価値はあった。俺は満足した。だから、気になってた事を聞いてみた。
「あ、あのさ…。良かったら、名前教えてくんない?」
「名前?」
「そ。あ、俺の名前は岩瀬拓也。友達からはタクって呼ばれてた。」
そ。昔の話。地元を飛び出してから、アイツらとは連絡を取って無いから、もう俺をタクって呼ぶ奴はいないけど…。
「特にない。」
サラリと言われた。わ~ぉ!お前に教える名前は無い、ってか…。俺はガックリ肩を落とす。
「好きな名前で呼んでい~よ。」
そう言って、緑の目でじっと俺を見てくる。心の奥まで見透かされそうな綺麗なグリーン…。ハーフなのかな?それともカラコン?
「あ、あ…。じゃ、アオちゃんでどぉ?」
信号の青は緑にしか見えないけど、青って言うもんな、と思って言ってみた。
「アオ!いいねぇ~!」
彼女はにっこり笑う。
「気に入った?」
「うん!今から、私アオ!」
彼女は嬉しそうに言って、ピョンと大きく跳ねた。
「い~い気分!今なら、月にも行けそう!」
そう言って、彼女はビルの隙間から見える月に向かって手を伸ばす。
「宇宙飛行士にならないと月には行けないでしょ…。」
思わずマジレスした俺を見て、彼女は言った。
「そ~んな事言ったらつまんないじゃん!実際は行けなくても、夢見る位いいじゃない!」
「夢でも…いい?」
「うん!私、あれから考えたんだけどさ、月に行きたい、っていうのが私の夢かもしれない。」
昨日は「わからない」と言っていた答えを彼女はあれから考えてくれていたのか。
「そうだね。いいと思うよ…。」
嬉しい気持ちで俺は言った。地球から三十八万キロ離れてた場所にある月。そこに行きたいという夢か…。悪くない。そういや、アポロ十一号は本当に月に行ったのかな?一度、降り立った場所だというのに、あれから全然人類が月に降り立ってないのが疑わしい…。
そんな事を考えてたら、彼女はもういなかった。本当に月に行ってしまったのかもしれない。俺は不思議な気分で裏道を後にした。
翌日も早起きしたので、今度は散歩などをしてみた。なんだか、前向きな人間になった気がする。犬を連れたおばさんや、ジョギングをしている集団とすれ違う。実家を出てからずっと住んでた街なのに、知らない街にいるような錯覚。生活する時間によって街は違う顔をしているんだな、と思った。
それから、思いついて駅ビルを覗いてみた。色とりどりのファッション雑貨やアクセサリーが所狭しと並べられていた。住む世界が違う…。そこに女子が溢れていたら、耐えられずに踵を返してしまっただろうが、開店直後で人は殆どいなかった。店員も忙しそうに段ボールを開けて到着した商品のチェックをしている。だから、割と落ち着いて商品を見られた。そこにあった金色の三日月のイヤリングが目に留まった。彼女に似合いそうだなと思って手に取った。
「あ、あの…。」
「いらっしゃいませ~。プレゼントですか?」
「は、はい…。」
しどろもどろで答える。店員は慣れた手付きでラッピングしてくれた。
「はい。千六百五十円になります。」
お金を払い、それを鞄に入れた。安物だけど、気に入ってくれるといいな。そう思ってから急に不安になり、ネットで検索する。
『アクセサリー プレゼント』
そこにあったのは「趣味じゃないアクセ程、いらない物はない」「高い物なら即売っちゃう」「安物は趣味悪いし、売れないしでマジゴミ」等の辛辣なコメントだった…。心が死んだ。マジで?世の中の女子、皆そうなの?こんなひどい事言われてるの分かってて男は女にプレゼントするの?
折角可愛く包んでもらったイヤリングが、一瞬でゴミになったような気がして凹んだ。こんな安物もらっても嬉しくなんかないのかも…。
朝の散歩で日差しを浴びて、なんだか高揚した気分になっていたのが一気にしぼんだ。レジを打つのもだるかった。こんな日に限って荷物の手配が多い上に、余計なコンビニくじが始まる。言わなきゃいけない言葉も多くてマジだるい…。
へとへとになってあがった。とぼとぼと裏道を覗く。
「よ!タク、元気ないじゃん!」
片手をあげたアオがいた。まるで今日も約束して落ち合ったみたいな感じ。
「あ、うん…。今日、忙しくてさ…。」
「おっつかれ~。そんな日は寝たらいいよ!人間は寝たら元気になるんでしょ?寝ないと死ぬよ?」
「自分は寝ないと言う奴に言われてもなぁ…」
茶化す感じで返事してから、ついでの気持ちで言った。
「そうだ。アオに似合うかと思って買ったんだけど、良かったらこれつけて。」
「なぁに?」
俺は鞄から、小さな包みを取り出して、アオの手のひらにのせた。つるんとした手をしていた。細い指先で器用に開けると「あ!イヤリング!」と言った。
「うん…。安物だけど…。月に行きたいアオに似合うと思って買ってみたんだけど…」
ごにょごにょと言う。「いらない」って言われてしまうかも…。だけど、彼女は言った。
「やったー!どう?似合う?」
早速つけて、聞いてくる。
「うん。似合ってるよ、とても…。」
緑の目をしたアオの耳元で揺れる金色の三日月。
「ありがとう、タク!アクセつけるの、久し振り!嬉しい!」
ウッキウキでアオは言うと、歌いながらタップを踏み出した。その勢いのまま、裏道を走って行く。
「じゃあ、タクまたね~!!」
ビルとビルの間の細い隙間に影絵のように立って、アオは大きく手を振る。本当に、気紛れな猫みたいだな。そう思って苦笑した。でも、喜んでもらえて良かった。ほっとした。
その晩、久し振りに月を見ながら詩を書いた。指で机を叩きながらメロディーを作る。アオに、曲を作ってプレゼントしたかった。ミュージシャンを目指す男はみんなそうだと思うけど、好きな子には自作の歌をプレゼントしたくなるんだよ。男って、そういう生き物なんだ。
Ⅳ
その日は、時間が長く感じた。近くで工事が始まるのか、作業服を着た人達が多く来店して、ガッツリ飯とドリンクが良く売れた。
「発注を考え直さないと…」と店長は嬉しい悲鳴を上げていた。俺は無心でレジを打った。
夜、いつもの時間に上がったら、裏道に行く道路が塞がれていた。ヘルメットを被ったおじさんの絵が描かれた「お願い」看板が置かれていた。それを見て、アオが言ってた「ここも、もうじき潰して新しくおっきなファッションビルになるみたいだよ?」を思い出した。だから、作業服の人達が今日はやたらと多かったのか!
俺は近くを一周してみた。小声だけど、「アオ~」って呼んでみた。隙間を覗き込むように言ってたから、傍からは猫を探していると思われただろう。
返事は無かった。アオはいなかった。昨晩「またね~!」と言ったくせに…。がっかりした。まぁ、あんなに若くて綺麗な子がこんな薄汚れた裏通りにいるのがそもそもおかしいもんな、と思った。
帰りの電車に揺られながら、もしかして安物のアクセサリーをあげたのがいけなかったのかな?と思った。あの場では喜んだけど、本当はいらなかったのかもしれない…。凹んだ。
次の日、いつもは店のスタッフルームで廃棄弁当を食うけど、外に食べに出掛けた。街にアオがいるかも?と思ったんだ。
店を出てすぐに日差しを強く感じて太陽の方を見たら、それまであった筈のビルが無くなっていた。昨日から大きな音がしていると思ったが、ビルを壊していたらしい。昨晩は暗くて気付かなかった。そこにピーピーと音がして、荷台が空のトラックがバックで入って来た。
それに合わせて、塞がれていたバリケードが開けられる。重機でコンクリなどの廃材が次々と荷台に乗せられて行くのを見ていた時、見覚えのある服が見えた。
「アオ!!」
思わず叫んで飛び出した。
「うわっ!!」
「危ないだろっ!」
工事現場の人達に怒号を浴びせられたが、俺は荷台に駆け寄った。一体、何事だ?と重機を操縦していた人も降りて、近付いてくる。
「どうした?何かあったか?」
「今、知り合いの服が見えた気がして…」
「いや…、流石に俺達殺人とかしねぇよ…。見間違いじゃねぇの?」
そう言いながら、荷台に上がってみてくれる。一番上にあったコンクリ片をどかすと、笑いながら言った。
「ハハッ!あんちゃん!これだよ!マネキン!」
そう言って持ち上げられたマネキンは上半身だけで、服は汚れて一部が破けている。右腕はもげていた。もう何年も放置されていたようで、肌の色もすっかり焼けて白くなっていた。全体がそんなに寂れているのに、両耳から下がった三日月のイヤリングだけが真新しく、キラキラと夏の日差しを浴びて輝いていた。間違いない、アオだった…。
「全く…ビックリさせんなよなぁ~。」
作業員はそう言って、マネキンを放り投げた。投げられた上半身がコンクリの塊に当たって鈍い音を立てた。アオの悲鳴みたいで、俺は声が出なかった。
「はい。作業現場は危ないんで、もう中に入ってこないで下さいね~。」
背中をぐいぐい押されて俺は工事現場から追い出された。俺みたいなのがもう入ってこないように、バリケードがしっかり閉められた。中から、ガシャンガシャンと絶え間ない音がする。
俺は訳が分からなかった。
アオは…マネキンだったのか?俺は…夢を見ていたのか?良く分からない…。だけど、あのマネキンの耳にあったのは、確かに俺がプレゼントしたイヤリングだった。
そうして思い出す。「私、眠らないし」と言ったアオ。モデルになったらいいと言った時に「似たような事してる」と言ったアオ。名前を聞いたら「特にない」と言ったアオ。イヤリングを乗せたアオの手のひらにはある筈の手相は無かった気がする…。
そして、気付く。どうしてアオを初めて見た時、俺は流行りの格好をしている、と思ったのだろう?あの服装は、俺がバンドをしていた頃に流行っていて良く見ていた服装だったからだ、と。つまり、アオはその頃からずっと変わらない格好をしていたんだ。つまり、その頃からあそこは寂れて、アオは放置されてたワケか…。
その時、ビューっとビル風が吹いて砂埃が舞い上がった。目の奥が痛い。涙が零れた。
「いてぇ…。」
思わず、呟いた。砂が目に入ったからだけじゃない。心が、痛かったんだ。結局、昼飯は食えずにコンビニに戻った俺を見て、オーナーは吃驚していた。
「岩瀬君、どうしたの?顔が真っ青だよ?」
いつも青白い顔をしているオーナーに心配そうに言われた。
「ちょっと…。」
「分かった。ここのところ、岩瀬君には頼りっきりだったもんね…。今日はもう上がっていいよ。ちゃんと病院に行って診てもらった方がいいよ。」
「はい…。すみません…」
俺は謝ってから、早上がりした。いつもは通らない昼の時間の駅までのいつもの道。夜歩いてる時の様子と全然違う。ふと思う。俺は何を知っていて、何を知らない?俺は自分の見ている狭い世界だけしか知らなかった。だけど、それじゃダメなんだって気付いた。自分の属している世の中をもっと見ようと思った。そう、世界は広いんだ。それを気付かせてくれたのは、アオ。
エピローグ
それから。俺はちまちまと動画投稿をやり始めた。難しい事は出来ないけど、簡単な編集ならスマホで出来る。便利な世の中になったもんだ。
そこで、俺はギターを弾きながら歌っている。似たような事をやってる奴は星の数ほどいるし、俺より上手い奴はごまんといる。でも、いいんだ。俺は自分の夢を諦めたくないから、また歌おうって思った。夢を夢のままでなんか、終わらせたくない。また詩も書き始めた。不思議な事にアオの事を思うと、いくらでも書けるんだ。それにつけたいメロディーも次々と浮かんできて、早く曲にしてしまわないと気が狂ってしまいそうになる。
寝ている時に見る夢と起きてる時にみる夢の違いが分からないと言ったアオに気付かせてもらった自分の夢。大事な物だったから、今日もアオの為の曲を作って歌ってる。ネットの海に乗って、いつかアオの所に届くといい。
月に行きたいと言っていたグリーンアイズドール。
君は緑の目をしたお人形さん。
<終>