男同士の電撃
今でも鮮明に思い出せる、幼い日の記憶。
その日、俺は流行りのアニメに出てくる必殺技を再現するべく、校庭で傘を振り回していた。
ーー花野って女みたいな名前だよな
ーーあれ?花野ちゃん泣いちゃったの?
花野は名前じゃない。竜司っていうめちゃめちゃ格好いい名前があるのに、当時はずっと名字のせいでからかわれた
「俺もあの技が出せるようになったら、二度と女みたいだなんて言わせない!」
もう何十回目かの呪文を唱えたときだった。突然、目の前に光が落ちてきて、視界が白く覆われた。とっさに目をつぶること数分。おさまったかと目を開けると、アニメで見たのと同じ光景ーー校庭が直線上に抉れていた
それから何年も時が経ち、俺は高校生になった。あの日、俺は間違いなくあの技を使えるようになったが、あまりの威力に恐ろしくなり、絶対に使ってはならないと心の中で誓ったーーはずだった
今、目の前では俺と同じ力を使って、学校を支配しようとしている男がいる。男は幼い頃の俺と同じように、クラスでいじめられていた
「お前らに復讐してやる!」
彼をいじめていた主犯格の男は、彼の技をもろにくらって動かない。近くにいた取り巻きたちも、ほとんど動けずにうずくまっている。誰かが救急車を呼んでいるらしいが、学校の周辺は彼の攻撃で破壊されている。学校の敷地内に辿り着くまで、かなりの時間を要するだろう
「怖い……」
隣で不安そうな彼女が、俺の腕を掴んだ。彼の狙いはいじめた奴らに向いていて、今のところ俺らに何か仕掛けてくる気配はない。しかし、激情している彼の攻撃が、いつ他の人間に及ぶとも限らない
「あいつの狙いは決まってるみたいだし、大丈夫だよ」
安心できるように、しがみつく手に自分の手を重ねた。高校に入って初めて出来た彼女。初めて俺を受け入れてくれた人。彼女のことだけは何としても守らなくてはならない
俺に出来ることは一つ、かつて手に入れた力で彼に対抗することだ。今、彼を止められるのは俺しかいない。だが、一度しか発動したことのない力を上手く操れるのか、彼を本当に止められるのか、全てにおいて自信がなかった。何よりも、彼の前に出て行って万が一のことがあったら……
「こんな時、勇者みたいな人がいたら、何とかしてくれるのかな……」
なんてね、と彼女が無理やり微笑んだ。勇者とは、例のアニメの主人公だ。アニメの最後は、最強と言われた勇者の技と同じものを使うラスボスが出てきて、死闘を繰り広げる。そして、自分の命と引き換えに世界を救うのだ
「……最初からこういう運命だったのかな」
「え?」
彼女が聞き返すが、答える代わりに彼女の手を優しく放した
「ここにいて?多分、一番安全だから。絶対に君には傷一つつけさせないから」
「どういうこと?どこに行くの?」
ついてこようとする彼女をそっと制する。そのまま俺は昇降口に向かった
「何だよ?散々俺のことをバカにして、俺がいじめられてるのを見て見ぬふりして、それがお前の運命だって顔して無視してきただろ!それが今はどうだ?俺の力を見た瞬間に、誰も何もできない!結局、お前らは力に服従するんだよ!どんなに頭がよくても、力の前では無なんだ!」
「それは違うと思う!」
彼がこちらを見る。反発されるとは思わなかったのだろう。表情には戸惑いが浮かんでいた
「力が強いのは確かだけど、それが全てじゃないと思う。力がなくても人を動かすことはできるよ!」
「誰だよ、お前」
「3組の花野だ」
「花野、お前の言うことは詭弁だ。これは俺の実体験から導きだした答えだ。どんなに努力しようとも、力の前では無力なんだよ」
「力で支配した関係は脆い。人を動かすのは、相手の事を大切に思う心だよ」
「お前は、いじめられることもなく、幸せに育ったからそういうことが言えるんだ!実際に力を目の当たりにしたら、そんなことは言えなくなる!」
叫びながら彼が構えに入った。様子をうかがっていた人たちが、一斉に引いていく。人が離れていくのを横目で確認しながら、俺も傘を構える
ーー誰の傘か知らないけど、今だけ力を貸してくれ!
「ΛΜΗΘΞΤΣΛΘΘΝΜζηβγ」
「бздеШСРОЪЫЬЧТЯдг」
二人の呪文が重なる。空が再びどす黒い雲に覆われる。俺も彼もほぼ同時に技を繰り出した。
男同士の電撃がぶつかり合う
あの日と同じ、白い光で視界が遮られる。そして、あの日にはなかった、刺すような痛みが全身を走り回った。痛みに耐えきれず意識を手放す直前、悲しそうに見つめる彼女を見た……気がした
次に目を開くと、真っ白な壁が広がっていた。状況を把握するまでに数分。どうやら俺は病院のベッドにいるようだった。回りの様子を見たかったが、少し動いただけで全身に激痛が走る。俺はしばらくの間、人が来るまで微動だにすることができなかった
「気がついた?」
看護師さんが来て、ようやく俺はことの顛末を知ることが出来た
俺たちは電撃でぶつかり合うと、そのままその場で心肺停止の状態に陥った。彼の方が技を熟知していたこともあり、技に触れる寸前でわずかに回避したらしい。重傷ではあったものの、一命を取り留めた。一方の俺は彼の電撃をもろにくらい、1度は死亡したものと思われたらしい
「あなたの彼女が必死に呼び掛けてね。可哀想で止めることも出来なくて、私たちも彼女があなたに囁き続けるのを見ていたの」
誰もが助からないだろうと諦めていた。救急隊も学校側も俺たち二人を残して撤収の準備を始めていた。しかし、それからしばらくして俺が息を吹き返したのだという
「私も長いことこの仕事をしているけど、初めてのケースだったわ。彼女の愛があなたを救ったのね」
彼女が俺を救ってくれたーー最後に見た彼女は幻覚ではなかったということか。しかし、肝心の彼女の姿は見当たらない。看護師さんも複雑そうな、美談を話す表情ではない。言い知れない不安が沸き上がる
「彼女はどこにいるんですか?」
「……わからないわ」
「わからない?」
俺は無意識に半身を起こそうとして、激痛に襲われて沈没した。「まだ動いちゃダメよ」と看護師さんがベッドを直してくれる
「わからないってどういうことですか?」
看護師さんはますます困惑した表情で視線をそらす
「本当にわからないの。あなたの呻き声が聞こえて振り返ったときには、もう彼女はいなかったのよ」
当然ながら学校側も生徒の数を確認したが、彼女だけは見つからなかったらしい。今は警察も彼女を捜索しているという
「学校も、その近隣も探したけれど見つからなかったそうよ。今は捜索範囲を広げているって言ってたから、きっと見つかるわ」
励まそうとする看護師さんの横で、俺は最悪の可能性に思い至っていた。アニメのラストで勇者は死ぬ。しかし、今まで共に旅してきた魔法使いが、自分の命と引き換えに勇者を蘇らせるのだ。人々は勇者の帰還に喜ぶが、勇者はただ一人、自分のために死んでしまった魔女を想い続けるのだ
「魔女だったんだ……」
「え?っていうか、どうしたの!?」
看護師さんが慌てて俺の顔にタオルを当てる。俺は流れ続ける涙を止めることが出来なかった
結局、彼女は見つかることなく、俺は静かに元の生活へと戻った。一時期は"連続落雷事故"として連日ニュースで騒ぎ立てられ、学校をマスコミが取り囲む異常事態だったらしいが、俺が退院する頃には世間の興味も別の話題へと移っていた。事の発端となった彼も、犯罪の証明をすることが出来ず、とにかく学校中を混乱に陥れたという理由で謹慎処分になった。謹慎中に自分を見つめ直したようで、彼は高校を中退。噂では海外へと羽ばたいていったらしい。いじめも明るみになったことで、加害者たちは処分された
そして月日は流れ、俺は社会人になった。大学在学中に資格を取り、今は医師を相手に営業をしている。彼女が俺を生かしてくれたように、俺も誰かを助けていきたいと思ったからだ。残念ながら営業センスは皆無だけれども
「いやあ、花野くんはいつも欲しい情報をくれるから助かるよ。なかなか製品を使ってあげられなくて悪いね」
「先生のお役に立てて何よりです。うちの製品で助かりそうな方がいらっしゃったら、ぜひ使ってください」
こういう押しの弱さがダメなんだ、と先輩からは注意される。しかし生まれつきの性格というか、なかなか改善できない。今日もまた、労力だけ使って成果は得られなかった。費用対効果……最近の営業部のトレンドワードが脳内を巡る
「そうだ、ちょうどよかった。今、うちの娘が来てるんだけどね、花野くんに会いたいって言うんだ。ちょっと会ってみてくれないか?」
「え!娘さんっておいくつでしたっけ?」
まさか見合い話とか、なんか面倒な話にはならないよな?と恐る恐る探りを入れる
「今年、高校に入学したんだ。去年は受験で、かみさんには帰ってくるなって言われて大変だったんだよ。ほら、仕事柄、風邪とか持って帰るかもしれないからってさ。ひどいよな」
そうですね、と相槌をうちながら、内心で安堵する。さすがに高校生では、倍も年の離れたおじさんと見合いにはならないだろう。だとすると、何で俺なんかに興味を持ったんだ?
「君、連続落雷事故で助かってるだろ?その強運にあやかりたいって言うんだ。今、呼ぶからちょっと待っててくれ」
そう言いながら、先生は手元のスマホをいじり出した。そう言えば、先生のところに通い始めてしばらくした頃に出身高校を教えた気がする。高校名だけで、よくあの事件を思い出したな、と驚いたのを覚えてる
「もう来るよ。ほら、奈緒美!」
診察室の奥から顔を出したのは、まだ幼さが残る少女。その顔には不思議なほどに見覚えがあった
「やっと会えましたね」
いまだに思い出されるのは、最後の泣きそうな顔だけだった。今は、目の前にあの頃のように笑った顔がある
「……どうし、て……」
やっと絞り出した言葉を、最後まで紡ぐことができなかった。止めどなく流れる涙で視界はぐちゃぐちゃだ。それでも、あの懐かしい顔を目に焼き付けようと必死に顔を拭う
「おい、花野くん?どうしたんだね?」
戸惑う先生の横に座った彼女は、楽しそうに笑っている
「大切な人の事を想い続けたら、神様も動かせちゃったみたい」
よりによって得意先かよ、とか、何でこのタイミングなんだ、とか言いたいことは色々ある。でも、世の理とか全ての事を飛び越えて、彼女とまた出会えた。あの日のままの彼女がいる
ーー得意先のお嬢さんで、倍の年の差か……
壁はたくさんあるけど、彼女がこうして俺の前に戻ってきたように、今度は俺が頑張る番のようだ。もうあの技を使わなくても、彼女を守れるようにーー