第4話 大樹の落果
「あれ⋯⋯?」
直前に迎えたはずの、今も残る死の残滓。
それを確認しようと刺された胸を触ると⋯⋯傷跡一つ無い。
「おかしいな⋯⋯」
思わず呟き、ベッドを下りる。
何だか視界に違和感を感じる。
(少し低い⋯⋯? いや、気のせいか)
部屋を出ると、そこには見慣れた母の姿があった。
母は俺の顔を見ると、笑顔で声を掛けてきた。
「エリウス、いよいよね。今日出発するんでしょう? 母さんも出来るだけ準備しておいたから」
「⋯⋯え?」
「どうしたの? 何か変なこと言った?」
訳がわからないまま母に話を聞くと、今は十五歳の成人式を終えた、つまり「導」を手に入れた、その翌日だとわかった。
混乱しながらも部屋に戻る。
ふと、「導」のスキルの事を思い出し、本を開いてみた。
一ページ増えていた。
白紙のページだ。
「俺は夢でも見てたのか?」
いや、そんなはずはない。
俺は確かに死んだ⋯⋯ハズだ。
その証拠だと言わんばかりに、一ページ目には『王国軍に志願』という文言が残されていた。
困惑しながら、俺は再び魔王討伐の旅へと赴いた。
「これまでの出来事は、本が見せた夢か幻なのか?」
そんな疑問を抱きながら、俺はなんとなく「王国軍に所属するのではダメだ」と感じていた。
王国軍は、しがらみが多すぎる。
そして『剣豪』のスキルは、1対1ないしは敵が少数であるほど活きるスキル。
集団戦闘がメインの王国軍においては、少し強い一兵卒、という立場でしかない。
宝の持ち腐れだ。
スキルを活かす、その為に俺は冒険者になることにした。
加入したのは「大樹の落果」。
俺と同じく、死んだはずのイグニスに歓迎されるという、不可思議な状況。
本は白紙のままだった。
「大樹の落果」に加入して五年。
イグニスやメンバーとともに、四つの小規模な迷宮を攻略した。
その中には、前回彼らが攻略に失敗したあの迷宮もあった。
パーティーはSクラス冒険者の中でも特に有望株とされ、正に「希望の大樹」の申し子のように扱われた。
端から見れば順調だろう。
だが俺は焦っていた。
「またその話か、エリウス」
パーティーメンバーとの会議の席で、俺が「魔王城を攻略すべきだ」と進言すると、うんざりとした様子でイグニスが返答をした。
「またも何も⋯⋯加入当初から言っていたはずだ」
魔王を倒したい。
そのために、このパーティーに入る。
それは最初から伝えていた。
「やる気のある奴は歓迎だ」
加入する時、イグニスはあの時と同じセリフを言った。
だというのに、この話題になるとのらりくらりとした対応をする。
俺はしびれを切らしていた。
「いつになったら、魔王を殺しに向かうんだ!」
俺が胸ぐらを掴みながら詰め寄ると⋯⋯。
「いい⋯⋯加減に⋯⋯しろ! エリウス! いつまでそんな夢物語を語ってんだ!」
俺の手を振りほどきながら、イグニスが叫んだ。
「夢物語、だと?」
「そうさ、魔王なんて倒せるわけねぇ! お前は見たことあるのか、魔人を!」
魔人。
見たことは、ある。
何なら現実かどうかは定かではないが、俺は一度殺されてすらいる。
だが、それを言っても信用されないだろう。
俺が何と言おうか迷っていると、その態度から「ない」と捉えたのだろう。
イグニスが話を続けた。
「俺はなぁ、あるんだよ。駆け出しのころにな。このパーティを立ち上げてすぐ、当時最有望株っていわれてたパーティーと合同で迷宮に向かった。そこのリーダーはお前と同じくらい強かったよ。だけどなぁ、魔人相手に十秒ももたなかった! 俺は恥も外聞も捨てて逃げた。生き残ったのは俺だけだった! 俺は今でも夢に見るんだよ、あの時の事を!」
「⋯⋯」
「こいつらだって同じようなもんだ。お前以外のメンバーはなあ、金を稼ぐためと割り切ってこの仕事してんだ! ある程度金が貯まったらこの国から出て、安全に暮らすためにな! 毎回迷宮に潜るたびに、『魔人に出会いませんように』って、ビクビクしながらよ!」
その言葉に衝撃を受け、周囲を見回すと⋯⋯他のメンバーは俺から目を逸らすことで、イグニスの主張を肯定した。
それは、裏切りの告白だった。
『一緒に、いつか魔王を倒そう』
『みんなに青空を見せよう』
冒険者として活動する中、何度もそんな話を語り合った彼らは⋯⋯腹の中では「ムチャなことを言う奴だ」と、俺を嘲笑っていたのだ。
「騙してた、のか」
「そうじゃねえ、聞け、エリウス!」
「これ以上、何を⋯⋯」
「俺はなぁ、そのうちお前が現実を受け入れると思ってたんだよ! 魔王討伐なんて無理、いつかその現実と折り合いをつけてくれる、そう思ってたんだ! お前は真っ直ぐで良いヤツだ、だから無駄に死なせることはねぇってな!」
「俺のため⋯⋯ってことか?」
「そうだ。わかってくれよ、な?」
そう言って、イグニスは俺の肩に手を乗せた。
それはイグニスなりの優しさだったのかも知れない。
だがそれでも、俺は──。
「ふざけるな!」
許せない。
その気持ちが先走り、叫びとともに右手に鈍い衝撃が走る。
気がつけば、俺はイグニスを殴っていた。
「俺の⋯⋯貴重な五年間を無駄にしやがって⋯⋯!」
彼らは知らない。
五年以内に事を成さなければ、多くの犠牲が生まれる事を。
それは彼らの責任ではないが、それでも俺は許せなかった。
興奮が治まらず、さらにイグニスへと追撃しようとした俺を、それまで事態を見守っていたパーティーメンバーが力ずくで制止しした。
「離せ!」
「いい加減にしろ! エリウス!」
「落ち着け!」
後ろから羽交い締めにされ、俺はそれでも暴れていた。
殴られて尻餅をついたイグニスが、俺を見上げながら言った。
「エリウス、もう知らねぇ。お前はクビだ! 出ていけ! 魔人でも魔王でも勝手に挑んで殺されちまえ!」
「上等だ、このやろう! その前にお前をブチ殺してやる!」
叫んでしばらくすると⋯⋯俺に強烈な睡魔が襲ってきた。
心当たりの方を見ると、パーティーメンバーの魔法使いが、俺に杖を向けていた。
「睡眠の⋯⋯魔法⋯⋯」
普段なら躱せただろうが、拘束された状況のせいで為す術がなかった。
次第に頭が重くなり、眼を閉じることに抵抗できず──。
目が覚めると、また自室にいた。
死因はわからない。
眠って倒れた拍子に頭でも打ったのかも知れないし、もしかしたら、俺からの報復を恐れたメンバーに殺されたのかも知れない。
どちらにせよ、俺が「大樹の落果」に入ることはもうなかった。
その後の彼らは、俺が王国軍にいた頃と同じ運命を辿った。