6.疑心
エレインの活躍を聞いてから、レナの心中は穏やかではなかった。
良かれと思ってした事が、裏目に出てしまったのだ。
慌ててエリウスにエレインの復帰を打診してもらうも、直接連絡が取れないという。
エレインを追放したという悪評により、パーティーはろくに依頼も受けられなくなった。
そんな状況でも、エリウスは優しかった。
だが、その優しさが、むしろ辛い。
いっそ責めて貰った方が良かった。
そんな辛い日々が続く中、ファランがパーティーを抜けると言い出した。
「レナ、これはエリウスには内緒だが⋯⋯知り合いの弓使いに聞いたんだが、どうやら王国軍が、大規模な作戦を展開するらしい」
彼の説明によると、エレインの活躍により戦況を巻き返し始めた王国軍が、彼女を万全の状態で魔王城へと突入させるため、入り口にいる魔人を誘き出し、そのサポートする、ということのようだ。
「俺は正体を隠して王国軍に志願し、それに参加する。エレインを追放したパーティーのメンバーなんてバレたら、余計な詮索されて断られるかも知れないからな。幸い俺はエリウスや聖女様ほど有名人じゃないし」
「ファラン、あなた⋯⋯」
もしかしたら、彼はエレインに対して罪の意識を感じ、そんな事を言い出したのではないか?
彼がいくら強いとはいえ、魔人との戦い、それはほとんど死ぬのと同義だ。
「でも、エリウスには言うべきでは⋯⋯」
「ダメだ!」
強い口調にレナが口を噤んでいると、ファランはレナの肩に手を置いた。
「いいか、レナ。今回エレインが魔王を倒せれば、それでいい。だけど、もし負けたら⋯⋯その時にお前やエリウスがいなければ、もう勝ち目はない、俺はそう思う」
「ファラン⋯⋯」
「エリウスは⋯⋯同じ『豪』を冠するスキルを持っている俺だからわかる。アイツは『剣豪』に収まる器じゃない。絶対に、アイツの親父さんと同じ『剣聖』になる男だ。だから、今死なせるわけにはいかない」
「⋯⋯」
「だからレナ、お前は残って⋯⋯エリウスを頼む」
ファランを止める資格は、自分にはない。
彼に罪の意識を植え込んだのは、自分自身なのだから。
ファランが去って数ヶ月後、街中で声を掛けられた。
「聖女様、ご無沙汰しております。お渡しした手袋は役に立ってますか?」
声の主へと振り返ると、確かに手袋をくれた男だ。
「はい、お礼が遅れて申し訳ありません。あのあとお捜ししたのですが⋯⋯」
「それはお手数お掛けしてすみません。あの場所には聖女様に手袋をお渡ししようと訪ねただけで、普段は別の所にいるものですから⋯⋯」
「そうなんですね」
「はい。ところで⋯⋯聖女様のお耳に入れたい事が」
「⋯⋯? 何でしょうか」
「はい。今飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍されているエレイン様は、元々は聖女様と同じパーティーにいたとか?」
「⋯⋯はい、そうです、けど」
「それに関して、変な噂が流れてます」
「噂⋯⋯ですか? どのような?」
「その⋯⋯リーダーであるエリウス様は反対したのに『彼女を追い出さないなら、私が出て行きます』、そんな事を聖女様が言ったとの噂が⋯⋯」
「だ、誰がそんな事を!?」
「誰が言い出したのか、と聞かれれば、私には答えられないですが、そのような噂をする者がいます」
レナには、最近新たに目覚めた能力がある。
人の嘘が判る力──『嘘の看破』。
だから判る。
彼は嘘を言っていない。
じゃあ、誰がそんな噂を⋯⋯。
「⋯⋯あの、聖女様?」
「⋯⋯あ、す、すみません! 私考え事をしてしまって⋯⋯!」
「いえ、良いんです。こちらこそ変な事を申し上げ、聖女様のお心を騒がせしてまいました」
男は頭を下げると
「では、私はこれで⋯⋯どうか手袋の方、お役に立ててください」
とだけ言って立ち去った。
噂の出所を探したい、と思ったが、そんな事をすれば、ますます人は噂を広めるだろう。
それに──。
そんなはずはない、という思いと、もしかしたら、という気持ちがせめぎ合っていた。
もし。
噂を流したのが──エリウスだったら。
エレインは、エリウスを慕っていた。
そんな彼女が復帰要請を頑なな態度で拒否するのは、レナのせいだろう。
自分がいる限り、エレインの復帰は叶わない。
だからエリウスが望むなら、自分は何時でも身を引いても良い。
ただ、彼の口から「出て行ってくれ」、そう言われるならともかく、変な噂によって追い出されるのは本意ではない。
もしかしたらエリウスは、ファランと同様に王国軍の噂を聞き、レナを置いてそれに参加しようと考えているのかも知れない。
わからない。
何も、わからない。
だが、エリウスの気持ちを知る方法は、ある。
──自分には、人の嘘が判る。
自分の予想など、外れていて欲しい。
自分が間違っていて欲しい、と思いながら、質問した。
「エリウスさんが、ここに初めて来た日はいつか⋯⋯ですか?」
「はい」
レナの問いに対して──避難所に、もう長らく住んでいるという古株の男性は、怪訝そうな表情を浮かべた。
何でそんな事を聞くのだ? という表情にも見えるし⋯⋯何故、そんなわかりきった事を聞くのだ? という顔にも見える。
男性の答えから、後者であることがわかった。
「そりゃあもちろん⋯⋯聖女様、貴女が初めてここにいらっしゃった日と、同じ日ですよ」
ずっと疑問に思っていた。
エリウスは──どこか、おかしい。
彼が優れた人物である、ということは間違いない。
だとしても、出会ってから今までの日々を、思い返せば返すほど、異常だ。
初めて会った日。
幼子が落とした菓子を彼は宙で受け止めた。
あれは明らかに、落とす前から動いていた。
レナのスキルに関してもそうだ。
『善行』を積めば強化されるのでは? という答えにたどり着くのが早すぎる。
そしてレナが確認したところ、エリウスが初めて避難所に姿を見せたのは──レナを伴った、あの日が最初だとわかった。
そう、まるで。
レナに善行を積ませるため、すなわち──『聖女』のスキルが、善行によって強化されることを、最初から知っていたかのように。
それ以外にも、初めて訪れた迷宮でも迷いなく進み、エレインを何度か救った時も、明らかに先回りするような動きだった。
じゃあ何故、そんな事が可能なのか?
答は一つしか思い浮かばない。
スキルだろう。
しかし、未来を見通すスキルなど、聞いたこともない。
一つ考えられるスキルがあるとするならば、未知のスキルとされる『神眼』。
しかし所有者が過去、そして現在にもいる『聖女』とは違い、『神眼』は歴史上、実在の証拠すらないまさに伝説のスキル。
だが、もし、そんなスキルがあると仮定するなら。
どこまで先の未来が見えるのか、という事で、その実情は大きく変わる。
数秒、とは考えにくい。
エリウスが「善行」により、レナのスキルが強化される、と知るとなれば、数ヶ月は必要だろう。
問題は──仮に、五年、十年先まで見通せるとしたら。
出会ってからの全ては、エリウスに仕組まれた事だ、ということになってしまう。
彼の優しい言葉も。
「君をひとりにしない」と誓った、あの言葉も。
あくまでも、レナをパーティーに加入させる為の、芝居。
エレインを追放したこともそうだ。
会計のエレインはいつかパーティーを去る事になるだろう、そんな自分の見立ては見当違いで⋯⋯切り捨てられるのは、本当は自分なのではないか?
ファランもああ言っていたが、彼が去る時に、まだ自分は『嘘の看破』が使えなかった。
だから実は、レナを除く三人で、新たにパーティーを結成し直す、そんな流れができているのではないか?
その答えが知りたければ、簡単だ。
エリウスに聞けば良い。
今の自分には『嘘の看破』がある。
──それはわかってる。
だが、もし。
本当に、全てが仕組まれた事だとしたら。
怖い。
自分には嘘がわかるのに。
真実を知るのが、怖い。
レナは懊悩し続けた。
何故そんな事をしてしまったのか。
レナ自身にも、きちんと説明はできない。
ただ、本当に、エリウスが全てを見通しているのであれば、自分の行動など阻止されるだろうという思いはあった。
直接聞く勇気は出なくても、彼を試したかった、ということなのかもしれない。
しかし、拍子抜けするほどに、あっさりと、眠っているエリウスを拘束し、郊外へと連れて来れた。
「目が覚めましたか? エリウス⋯⋯」
「ああ」
目覚めた様子のエリウスに声を掛けると、彼は落ち着いた様子で返答を寄越した。
「最近、噂で聞くんですよ⋯⋯エレインを追放した首謀者は私だ、と」
レナの言葉を聞いても、エリウスからの返答はない。
いよいよ⋯⋯確信に迫るべく、レナは問いを投げた。
「あなたは誓いました。私をひとりにしない、と。⋯⋯あの言葉は、あの誓いは嘘じゃない、そう⋯⋯言えますか? エリウス」
まだ、エリウスからの返答はない。
答えを促すため、呪文を詠唱する。
「右手人差し指は、破壊を司る──それは神が与えし、罰」
もしかしたら。
エリウスは、全てがわかる訳ではないのかも知れない。
なら、重要なのは──。
あの誓いが。
エレインの追放が。
仕組まれたものかどうか、だ。
答えなければ、呪文を放つ。
そう思わせることで、エリウスの本音を引き出せるかもしれない。
そして、エリウスの答えは──。
「君を一人になんてさせたくないっ! でも、無理なんだっ! どれだけ考えても⋯⋯無理だったんだ!」
やはり、そうだったのだ。
エリウスは──知っていたのだ。
エリウスの叫びが、伝えてくる。
彼の気持ちが本当だと。
だからこそ、あの誓いは嘘だったのだと。
「その気持ちが嘘じゃないのは⋯⋯わかりました。でも⋯⋯許せません」
怒りなのか、悲しみなのか。
あるいは、その両方のせいで、狙いを定めた指が震える。
だが。
──これも、見透かされているのかも知れない。
結局、エリウスを害することなど、自分にはできない。
いくら、偽りの誓いでレナを利用した彼が許せなくても。
偽りの日々だったとしても、共に過ごしたこの四年半は、それまでの、何よりも──
──と。
レナの制御を無視して、意図せず、魔法が指から放たれた。
放たれた魔法はエリウスの左腕を貫き、その衝撃で彼は吹き飛び、井戸に落ちた。
「えっ?」
しばらくして──理解が追いついてくる。
「エリウスッ!」
慌てて井戸に駆け寄りながら、とんでもないことをしてしまった、と身体が震えてくる。
これはあくまでも、彼の本音を引き出す為の芝居のつもりだった。
なのに、何故⋯⋯。
思い返せば、あの瞬間。
レナの魔法に、何者かが介入した、そんな感覚があった。
ふと、魔法を放った手を見る。
黒い手袋。
瞬時に原因がわかった。
だが、今はそれどころではない。
エリウスを救出しなければ──!
井戸を覗き込んだ瞬間。
沈んでいくエリウスを、黒い靄が包んだ。
しばらくして──。
既に事切れている様子のエリウスが、井戸へと再び姿を見せた。
それを見て、ここしばらくの出来事を思い出し、彼女は確信した。
(そうか、私は⋯⋯負けたのね)
と。
どのくらいそこにいたのか。
後に振り返っても、レナは思い出せない。
ただ、気がついたときには、空は青かった。
それだけは、憶えている。